長野県に生まれ、広大な自然の中で育ちました。私が生まれたのは、日本が貧しかった時代。そして、長男は跡取りと決まっている時代です。長男は100%親のいうことを聞いて手伝えと。

家業は家畜商でしたので、家には常に牛が4,5頭いました。2階が藁小屋と私の勉強小屋でした。勉強部屋は区切られていましたが、牛と一緒に生活していたようなものです。学校から帰って牛の世話をするのが私の仕事で、乳搾りや、うんちの世話もしますし、仔牛の誕生にも立ち会いました。それが私の子ども時代です。

体格が良く、腕力だけはありましたから、学校でもけんかは負けませんでした。ただ、親に言われたのは、人を助けるためだったら、弱い者を守るためだったらけんかしてもいいよ、ただし、する以上はぶちのめす。丸太ん棒を持ってきてでも負けるなと。しかしそうでない限りは、弱い者を守るため以外はけんかするな、我慢しろと言われました。正義感や、弱い者を守る気持ちは強かったですね。

中学卒業後、鉄道員や鉄道保安官になれる学校を受験したのですが、落ちてしまいました。その学校を志したのは、電車が好きだったというわけではなく、みんなを守る職業に就きたかったからなんです。

私は、特に父親から、ものごとの捉え方・考え方において大きな影響を受けました。たとえば、少年時代のある日のこと、父は自ら分解した自動車のキャブレターを指し、私に「元に戻せ」と命じます。少年だった私はできるわけがないと途方に暮れましたが、「人間が作ったものを人間に直せないはずがない」と聞き入れてくれません。覚悟を決めた私は三日三晩かかってキャブレターの組み立てに成功し、「やってやれないことはない」ことを学びました。

そんな父は、地域の人からとても愛され親しまれていました。牛乳が採れると、父からまずは警察所や郵便局、駅に配るように言いつけられました。「町のために働いている人にお礼をするのが第一だ」と言うのです。ことあるごとに「自分の畑に水を引くな。人の畑に水を引け」と私に言い聞かせていた父から、助け合うことの大切さ、自分の利益のみを考えることの愚かさを学ぶことができました。