誰かの人生にキッカケを与えたい。「映画のフェス」に込めた思い。

フリーランスの映像クリエイターとして活動するかたわら、屋外のステージで様々な映画を楽しむ映画のフェス「夜空と交差する森の映画祭」を主催する佐藤さん。高校時代から目指していた数学教師ではなく、映画の仕事を選んだ背景とは。

佐藤 大輔

さとう だいすけ|夜空と交差する森の映画祭主催
フリーランスの映画監督・映像クリエイター。制作・企画を行う傍ら、「夜空と交差する森の映画祭」を主催する。

創作活動への関心と教師への憧れ


山梨県に生まれました。小さい頃から創作活動が好きで、漫画や小説を書いたり、ホームビデオを使って映画撮影の真似事をしたりしていました。

ゲームも大好きで、特に『メタルギアソリッド』シリーズの映画的な演出やインタラクティブな仕掛けに惹かれ、作品の演出家・小島秀夫氏に会うためだけに、東京で開かれるゲームショーに山梨から行くほどでした。

自分でメタルギアのファンサイトを作ったり、攻略記事をゲーム雑誌に寄稿したりと、徹底的にのめり込みました。

創作の仕事への関心はありましたが、高校生になって進路のことを初めてちゃんと考えた時、思い浮かんだ職業は教師でした。授業が面白くて、男女どちらからも人気があった担任の先生に憧れていたんです。先生は数学を担当していたので、同じように数学教師を目指しました。

ただ、受験生になっても、受験勉強をあまり真面目にしませんでした。放送部に入り浸って映画を撮ったり、毎日何本も映画を見たりしていました。

映画を見ていると、誰かの人生を体験しているような覚醒状態になり、見終わった後は世界が変わって見えるんですよね。「これはすごいな」という連続で。監督だけでなく、キャストやスタッフも含めそれぞれが持ち寄った背景が重なる化学反応があるんです。映画があまりにも刺激的で、勉強しなくてもしょうがないような状況でしたね。

センター試験1週間前にも1日5本の映画を見ているような状態で、受験は当然失敗でした。

誰かの人生にキッカケを与えたい


上京して、1年間アルバイトをしながら勉強した末、上智大学理工学部に進学しました。受験勉強を終えた解放感から、大学ではとにかく新しいことをやろうと思いました。軽音サークルに入ってギターを始めるだけでなく、オールラウンドサークルやテニスサークルにも入って、さらには居酒屋でアルバイトをして、ととにかく幅広く色々な人と交流しました。その分、大学にはほとんど行かず、ダメ大学生の鏡のような生活を送りました。

高校生の時から目指していた、数学の教師になるという進路については、考えが変わりました。元々、教師に憧れていたのは、勉強を教えることへの関心や、単純に数学が好きだからということ以上に、「誰かの人生にキッカケを与えたい」という思いがあったからでした。私自身、高校の先生に人生的な部分を学びましたし、諭した後は自分に考えさせるという姿勢に憧れました。それが、大学に入ってから色々な人と出会い、「それって数学教師じゃなくてもできるんじゃないか」と感じてしまったんです。自分の中で、固定観念が崩れたような感覚でしたね。

結局、一番面白いと思っていた映画に関心が戻ってきて、趣味で映画を撮りたいと思い、映像団体を立ち上げました。大学4年の時に初めて映画を撮りました。『スタンド・バイ・ミー』にインスパイアされて撮った作品でしたが、自分の実体験を反映する部分もありました。いつも一緒に授業を受けていた友人と、何気ないことから疎遠になってしまったことがあって、その中で人間関係について感じたことを撮っていました。自分の考えや経験を形にして表現していましたね。

映画を撮っていると、簡単な映像の仕事を依頼されるようになり、映像制作でお金をいくらかは稼げるようになっていました。ぼんやりとですが、「こういう感じで、アルバイトをしながらフリーランスで映像制作をして暮らすのもいいのかもしれない」と考えるようになりました。

映画のフェスを開きたい


大学2年生の時、初めて音楽フェスの「ロッキンジャパン」に行きました。そこで、特に観たいアーティストがいない手持ち無沙汰な時間があって、たまたま訪れたステージで演奏していたバンドにハマってしまいました。来る前は知らなかったのに、帰ってすぐにiTunes Storeで購入しました。その時、フェスだからこそ生まれる偶然の出会いがあると感じました。元々興味を持っていなくても、偶然目に入ってしまうような出会いです。

映画でも同じことができるんじゃないかと考え、「音楽フェス」の映画版を構想するようになりました。アイデアを一枚企画書に落としていき、コンセプトを表現したwebサイトも作り始めました。

大学卒業後、映像制作を行うフリーランスとして独立しました。企画・撮影・編集の全てを含めた映像制作をしながら、企画したフェスの準備を進めました。秋の夜に、屋外の会場で五感をフルに使って映画を体験するイベントにしようと考え「夜空と交差する森の映画祭」という名前をつけました。協力してくれる仲間も見つかり、映画祭開催が一気に前進していきました。

フリーランスになってから4ヶ月後の2014年10月、埼玉県秩父郡の森の中にある会場で、夜空と交差する森の映画祭を開催しました。ショートフィルムを中心に、様々な映画を4つのステージで流しました。お客さんに楽しんでもらうことはもちろん、安全面の管理から運営スタッフのマネジメントまで気を配らなければならず、思った以上に大変でしたね。大所帯のトップに立ったことがなかったので、苦労もありました。

ただ、webサイトの制作からコピーライティング、プロモーション動画制作や細かな情報管理まで、全ての作業がすごく楽しくて、「イベントの企画が向いているのかもしれないな」という感じました。自分で映像を作る時は、webに載せることが多かったので、直接お客さんの反応を見られるのは新鮮でした。楽しんでいるお客さんの姿を生で見て、イベントへの手応えを感じましたね。来年必ず2回目を開くと決めました。

好きだった映画と、人生にキッカケを与えたいという別々の思いが収束されていき、一つのやりたいことになった気がしました。

映画で経験や考えを発信したい


現在は、フリーランスとして映像制作や企画全般の仕事をしながら、「夜空と交差する森の映画祭」を主催しています。

第1回の映画祭で、「ショートフィルムの普及」という、映画祭が目指すべきミッションが見えたことも一つの収穫でした。ショートフィルムは、ヨーロッパでは商業的に確立されています。反響が大きかったり、プロデューサーからの評価が高かったりすると、長編の制作に繋がるというプロトタイプ的な側面があるんです。

しかし、日本では、ショートフィルムは映画好きの人しか見ないものになっています。森の映画祭の来場者は7割以上が20代の女性で、これまでショートフィルムに触れたことがない人ばかりです。「森の映画祭」は、日本でのショートフィルム普及につながる非常に重要なポジションになれると考えています。

2015年10月に2回目の映画祭を開催し、2回合計で2300人の方に来場してもらいました。お客さんが来てくれる限りは続けていきたいと考えていますが、現状に満足せず、前年のものを使い回すのではなく、毎年新しいものを作る気持ちで運営しています。クリエイターの自主映画のお披露目場として、来場者と化学反応を生み出し、将来は音楽のように、映画でもインディーズを根付かせていきたいです。

映画祭の運営だけでなく、映画監督として作品作りも続けています。2回目の映画祭では自分で企画・監督・編集をした短編映画も上映しました。自分が考えたことや経験したことを一番最適な手段で表現したいという意味では、映像に限らず、他の手段もあり得るので、webや写真や動画など、色々なスキルを身につけたいですね。

ただ、やっぱり今は映画を撮りたいという思いが強いですね。総合芸術としての表現の幅や深さもありますし、単純に、エンターテイメントの中で映画が一番好きなんです。色々な経験を積み、揉まれた体験を作品として発信していきたいですね。

2016.02.08

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