新しい業界を創ってきた経験を還元したい。社会の流れとともに、社会貢献を。

ビジネスや政治・スポーツの領域で、ヤフーのCOOやソフトバンクの役員で培った経験を還元したいと、話す喜多埜さん。教員免許を持ち、大学卒業後10年間ニューヨークでの塾講師を経て、創業期のヤフーに参画。ユニークな経歴の背景には、社会の流れとともに進化を続けていきたいという考え方がありました。

喜多埜 裕明

きたお ひろあき|知識や経験を社会に還元する
ヤフー株式会社のCOO、ソフトバンクモバイル株式会社の役員を経て、現在は複数社の顧問・取締役や、衆議院議員事務所・スポーツ事務所のアドバイザーを務める。

進路に悩んで、ニューヨークで塾講師に


神奈川県横浜市に生まれました。中高と地元の学校に通い、卒業後は早稲田大学の教育学部に進学しました。明確な将来の進路の展望は持っていませんでしたが、教師をしていた叔父の影響で教育に馴染みがあり、教職課程がありかつ民間就職の選択肢も残せる環境という基準で選びました。

大学に入ってからは、もっぱら遊び中心の生活でした。朝は必ず海に行ってサーフィンをしてから大学に向かい、出席が厳しい授業以外はサボって、アルバイトをしたり、麻雀をしたり。企画・イベントサークルに入り、学園祭で企画をしたり、自分たちでパーティーを開いたり、派手なことが好きでしたね。大学に芸能人を呼んでイベントを開いたり、雑誌やテレビを巻き込んでミスコンを企画したり。何か企画を考え、自分で運営することにやりがいを感じていました。

大学時代は塾講師のアルバイトをしていました。深く考えずに始めたのですが、元々教職志望ということもあり、小中高生に向けて授業をするのは面白かったですね。決められた授業時間の中で、どんな流れで何を教えるかひたすら考えました。塾でも企画を考えているような感覚でしたね。「授業を聞くだけで頭が良くなる人はいない」思っていたので、学習するときの要点だけを覚えてもらうようにしました。実際に生徒の成績につながった時は、やりがいを非常に感じましたね。

教員免許は取りましたが、就職活動の時期になっても、一般企業から国家公務員まで、将来の進路を全く絞れませんでした。そんな状況で、バイト先の学習塾がニューヨークに拠点を展開することになり、「正社員になってニューヨークで働かないか?」という誘いを受けました。英語は話せませんでしたし、飛行機に乗ったことすらなかったので戸惑いました。親や仲間に相談してみると、予想に反して「ニューヨークに行けるなんていいじゃん」と薦められ、「みんなにも薦められるし、何事も経験かな」とそのまま就職することに決めました。日本での就職はニューヨークに行った後でもできる、という考えもありましたが、どんどん日本人が海外に進出していた時代で、可能性を感じたことが決め手でした。

現地では、日本人の学生に向けて、帰国後の日本での受験のための対策や進路相談を担当しました。日本では、塾は学校の授業の補助的機能ですが、アメリカでは、日本国内と同じカリキュラムを学ぶ機会は塾にしかありません。生徒からの頼られ方が全く変わり、非常に大きな責任の伴う仕事でした。最初は数年で転職しようと考えて働き始めたのですが、現地法人の成長に伴って、ニューヨークだけでなくロサンゼルスやシカゴでも教えるようになり、仕事のやりがいもあって、のめり込んでいきました。

インターネットの可能性に惹かれ創業期のヤフーへ


就職して数年後、バブル崩壊とともに大きな変化がありました。企業の海外赴任で対象とされる世代が、家族連れから未婚の若手に変わり、主なターゲットとしていた層が減っていきました。変化が起きた後もしばらく働き続けましたが、勤続年数が10年を超えたころに「この業界はもういいかな」と感じていましたね。

アメリカで仕事をするうちに、インターネットの分野に大きな可能性を感じました。学習塾の広域展開の際に、保護者とのコミュニケーションが、パソコン通信のメールの登場以降、格段に便利になりました。環境の変化を体感し、インターネットに対して関心を持つ様になり、日本に戻って、インターネットの業界に転職しようと決めました。アメリカで働くという選択肢もあったのですが、10年海外にいたので、日本に戻りたいと思いましたね。

帰国後就職情報誌を色々見て、ヤフー株式会社を見つけました。まだ20人前後のベンチャー企業でしたが、アメリカにいたときから「Yahoo!」は知っていたので、迷わず転職を決めました。

当初は広告の運用部隊として入社し、途中から経営企画になり、何でも屋として幅広い業務に携わりました。最初は検索とニュース・天気しかなかったサイトに、株価やスポーツ、不動産に旅行、自動車にショッピングまで、幅広いサービスを追加していきました。世間では「やっほー?」と訝しがられることもありましたが、アメリカで可能性を感じたインターネットの普及のため、がむしゃらに働きましたね。

広告収入が収益の中心でした。最初はIT業界の一部の企業しか出稿主がいなくて、広告代理店でもインターネットは重視されていませんでしたが、閲覧数の増加にともなって扱いも変わっていき、段々テレビや新聞などのマスメディアと同じように、幅広い出稿主がつくようになっていきました。年々、会社の知名度が上がっていくことを肌で感じましたね。

一方で、参入障壁が低いポータルサイトの領域には、ライブドアなどの競合が次々参入してきたので、現場には常に緊張感がありました。競合に負けずに「一番使われるサービス」で居続けるために苦労しましたね。個人的にも様々な部署を経験し、42歳で役員になり、44歳からはCOO(最高執行責任者)になり、事業の全責任を負うようになりました。

社会の流れに適応していく中で辿り着いた、52歳の選択


入社時と比べ社員の数が100倍以上になり、プレイヤーとしての役割から、マネジメントとして責任を負って事業を回すことに力をシフトしていきました。マネジメントスタイルを何度も変えました。会社の成長に適応するために自分も進化しなければと必死でしたね。

役員になってからは、ソフトバンクグループの孫正義社長と直接仕事をする機会が増えていきました。携帯に電話がかかってきたかと思えば、ホークスの買収の話をされて、球団経営に携わるなど、孫社長は、規模の大きなことをものすごいスピードでまとめあげていきました。未経験の分野に携わることも増えていき、非常にエキサイティングでしたね。

一方で、自分たちが経営を続けることに、どこか疑問も感じていました。追随してくるIT企業のほとんどは30代以下が社長を務めているのに、自分たちは40代・50代がトップのままでいいのだろうか、と。「どこかで変わっていくべきなのかもしれない。」そう感じていたところに、孫社長との会議の中で経営陣の抜本的な若返りが決まり、役員を退くことに決めました。黎明期から最前線を走ってきたので、寂しさは感じましたが、世の中の流れに合わせることの重要さを感じていたので、迷いはありませんでしたね。

それからは、ソフトバンクモバイルの役員になり、新しいスマホのサービスを作ることに注力しました。ヤフーというサービスを作る会社から、ソフトバンクという営業の会社に移ることに不安もありましたが、孫社長に声をかけてもらって、できることをやろうと思い、チャレンジを決めました。

その後、3年間働いたタイミングで、ソフトバンク傘下の3つの会社が合併することになり、それをきっかけに会社を離れることに決めました。自分ができることをやり切った感覚がありましたし、孫社長と一緒に働くことがモチベーションだったため、スプリント買収以降、孫社長が海外に行く機会が増えたこともキッカケでした。52歳にして、新たな道を歩むことに決めました。

自分が中心でない、社会への役立ち方


会社を離れた後は、何をするか決めていませんでした。少しゆっくり考えよう、と。しかし、すぐに色々な方から声をかけていただき、個人として色々な会社やプロジェクトに携わることになりました。話をいただけることは嬉しかったですね。以前からぼんやりとイメージは持っていたのですが、これまで経験した経営やマネジメント・ITの知見を、直接自分が主役にはならない方法で社会に発信していくことを決めました。

現在は、複数の会社の顧問や取締役を務めながら、衆議院議員事務所のアドバイザーや、スポーツ事務所のアドバイザーも務めています。私にとって「働く」とは、単純にお金を稼ぐためだけではなく、誰かの役に立つことです。教師として生徒の人生に携わったり、「流行らない」とか「怪しい」とか言われていたインターネットの普及に取り組んだり、その手段は色々あります。

これまでは、自分の経営によって直接誰かの役に立とうとしてきました。ただ、残り10年を考えると、自分が中心になるのではなく、誰かのお手伝いという形で、自分が経験させてもらったことを世の中に還元しようと思うんです。学生時代から企画が好きで、ヤフーのサービスもほとんどなんらかの形で企画に関わってきました。この経験はIT以外の領域でも、さらには会社経営以外でも何かしら生きる部分があるのではないかと感じています。

全て、私が手伝いたいと思って動いているものなので、やりがいはありますね。様々な分野にまたがって複数のプロジェクトに携わっていると、都度頭の切りかえが必要になるという大変さは、新たに感じています。遠い将来のことは考えていませんが、これからも、社会の流れに沿って自分にできる社会貢献をしていきます。

2016.02.04

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