東京に生まれ、生後半年でアメリカに渡り、4歳で神奈川県横浜市に引っ越しました。小学生の時、親の意向で、慶應義塾湘南藤沢中等部を中学受験しました。

最初は嫌々でしたが、「今頑張れば、後で楽になる」と、次第に勉強に打ち込むようになりました。小学校での成績はトップクラス。受験本番も問題なく、慶應義塾湘南藤沢中等部に入学しました。

入学してからは、「慶應ブランド」に悩まされました。同級生は各学校でトップの成績だったような人の集まりなので、真面目に勉強しても平均点くらいしか取れません。一方で、学外では「慶應に入るなんて優秀だね」と言われる。学外からの評価と学内での実態のギャップに苦しみました。学校名で評価されることにも悔しさを感じました。

身体が小さく、運動があまり得意ではなかったので、中学ではフェンシング、高校ではフィギュアスケートと、マイナースポーツの部活に入りました。本気で打ち込むわけではなく、部活に出ずに友達と遊んでいることが多かったですね。

ITになんとなく可能性を感じていたので、高校卒業後は、ITを学べる環境情報学部に内部進学しました。慶應の内部進学生は大学に入ってからスイッチを入れる人が多く、私も体育会のヨット部に入りました。

毎週金曜の夜から合宿に行き、土日はひたすらヨットの練習。入部して1ヶ月経つ頃には、日焼けで肌が真っ黒。体育会に入ったことで生活が急激に変わり、肉体的にも精神的にもキツかったですね。あまりの厳しさから精神的に追いつめられ、身体は疲れているのに夜眠れないこともありました。試合に出場する機会もあったのですが、結局1年で退部しました。

部活を辞めたことに対する負い目は大きく、「絶対に大学生活を遊んで過ごしてはいけない」と誓いました。ストイックに生活するため厳しいゼミに入り、研究のために学校に泊まり込むようになりました。

ゼミのテーマは、「ユビキタスコンピューティング」。コンピュータ・センサ・カメラなどのデバイスにいつでもアクセスできる環境でどのようなサービスを提供できるか、という研究を行っていました。その中で、「雰囲気をデジタル化する」という、誰も取り組まないようなハードルの高い研究に取り組みました。

カメラやセンサーを制御するシステムのプログラミングから、研究成果のプレゼンテーション、更に次の仕組みを考えるところまで、一連のプロセスを全て自分でやることができて、非常にやりがいがありましたね。難しさもありましたが、人と同じことはしたくなかったので、研究テーマを変えようとは思いませんでした。ひたすら研究に時間を費やし、そのまま大学院進学を決めました。