岐阜県瑞浪市に生まれました。小さい頃から要領が良くて、勉強は好きではなかったですが、試験で出る範囲を当てるのが得意で、成績は優良でした。唯一英語は苦手だったのですが、先生からの「勉強しようと思うからできないんだ」という言葉で、変わりました。洋楽を聴いたり、英文日記を書いたりということを始めてみて、興味を持てるようになりましたね。特に洋楽にはハマってしまい、歌詞の意味が知りたくてよく調べていました。

音楽が好きになり、高校時代にはライブハウスでお手伝いをすることもありました。親との約束で勉強を頑張ったこともあり、県内の進学校でしたが、成績はずっと上の方でした。

英語への興味もずっと変わらず、「英語が話せたらかっこいい」とか「『ハリーポッター』を原書で読みたい」と思い、大学受験では英語が学べる学部を受けて、山梨の都留文科大学英文学科に進学しました。

センター試験で失敗し、第一志望の学校ではなかったので、入学してすぐは受験の失敗を引きずっていましたが、友達と遊んでいるうちに、前向きになっていきました。アルバイトで貯めたお金で一人旅をしたり、国内のゲストハウスを回ったり、楽しく充実していましたね。

2年生のある時、アルバイト先のバーのオーナーから将来の夢を聞かれたことがありました。そんなこと初めて聞かれたので、焦りましたね。考えても何も浮かんでこない。たまたまカウンターにおいてあったリキュールに面白いキャッチコピーが書いてあるのを見て、「コピーライターになりたい」と答えました。元々、言葉や文章を書くことに関心があって、「自分が好きなものをこんな風に紹介できたらいいな」と思っていました。

オーナーから、『13歳のハローワーク』という本を紹介してもらい、コピーライターという職業に就くためには、広告代理店や制作会社に入るのが一般的だと知りました。広告代理店や制作会社は、就職しようにも面接で何もアピールするものがない。就職活動の面接の時に、何か学生時代にこれをやったという取り組みが欲しくて、たまたま見つけた交換留学プログラムに申し込みました。

なんとか選考を通過し、アメリカに留学しましたが、すぐのころは来たことを後悔していました。周りの参加者はみんな自分の夢を持って留学していて、「英語が話せるように」とか「就職活動のため」という人なんていませんでした。周りの学生への尊敬と焦りを感じながら、とにかく毎日勉強しましたが、周囲の優秀さに対して萎縮してしまって、辛く思う時もありましたね。