教育×ICTで、地域課題を解決したい。離島移住で見つけた、人生の3つ目のテーマ。

島根県隠岐郡海士(あま)町にて、ICTを活用した遠隔授業を行う学習塾の運営に携わる大辻さん。 勉強が嫌いで楽しめずにいた高校生活から、予備校教師との出会いで勉強に対する考えが一変。教育業界に飛び込んで見つけたICTの可能性。そんな大辻さんが、海士町という新しいフィールドで目指すものとは?

大辻 雄介

おおつじ ゆうすけ|地域課題を教育とICTで解決する
島根県隠岐郡海士(あま)町にて、ICTを活用した遠隔授業やキャリア教育を行う公立塾である隠岐國学習センターの副長を務める。

予備校講師との出会い


兵庫県に生まれました。小さい頃から勉強が嫌いで、絵を描いてばかりいる子どもでした。進学意識が高く「偏差値の高い子が偉い」という雰囲気の高校に進学したため、性に合わず、暗い学生生活でしたね。遊びで描いた先生の似顔絵を職員室に貼ってもらったり、2年連続で文化祭のパンフレットの表紙を描いたり、自分が好きなことをしているときは、唯一楽しく感じていました。芸大に進もうかと考えたものの、周囲の理解を得られず、父の出身校だった神戸大学を目指しました。

とはいえ、高校3年生の偏差値は40前後。現役では合格できず浪人しました。現役時代とは一転して、浪人の時は、寝食以外は全て勉強していました。親の期待に応えたいという思いや、焦りもありましたね。

浪人してから通い始めた予備校で、すごく面白い先生方に出会い、学ぶことの面白さを感じるようになりました。日本史の先生は、ずっと戦の話ばかりしていて受験に出ることを教えないのですが、日本史に興味が湧いて自分で調べるようになりました。文字の線すら定規で書く数学の先生を見ていると、なんだかアートのように感じられ、私も真似するようになりました。授業というプレゼンテーションの素晴らしさに気付き、それまで灰色だった学生生活がカラフルになっていきました。

結局、志望校の神戸大学には届かず、慶應大学の経済学部に進学することになりましたが、自分の中では満足感がありましたね。学校への進路報告では、成績の伸び幅で驚かれましたし、親にも申し訳が立ちました。自分の中での成功体験となりました。

自分だけの授業を見つける


期待して入った大学でしたが、どこか馴染めない感覚がありました。教授の授業は予備校の時ほどきらきらしていませんし、周りの学生と同じようにテニスサークルに入ってみましたが、人間関係に疲れてしまいました。そんな中で、浪人時代の経験から、自分でも人に教える仕事をしてみようと思い、塾講師のアルバイトを始めました。

塾では、答えが出てすっきりする感覚を伝えたくて、数学の授業を担当しました。子どもの成果につながると、非常に充実感がありましたね。担当していたクラスの子が、上のクラスに成績で勝った時は気持ちよかったですね。面白い先生を分析して自分に取り入れようと必死に研究しましたが、「その先生らしさ」みたいなものが内から沸き上がらないと良い授業にならないと次第に分かってきて、塾講師としての自分の特徴を見いだそうと、考えるようになりましたね。

大学3年の就職活動の時に、関西に帰りたいと思い、地元で予備校講師になろうと決めました。他の業界も含めて、会社説明の資料を見ていても、手が止まるのは大体教育業界の会社。「ああ、やっぱり教育に関わりたいんだろうな」とあらためて感じましたね。最終的には、関西を拠点に学習塾を展開する、株式会社アップに入社しました。

大学生の時は、講師として授業のことだけ考えれば良かったのが、社員として入社すると、生徒数を増やす営業も考えなければならず、しばらくは葛藤があり、もやもやを抱えながら働いていました。

ある時、授業のICT化の施策として、社長から「授業にPCを使うなら、購入費用の半額を補助する」という話が出ました。半額出してくれるのならと、私もそれに手を挙げて、PCを買い、アニメーションやフラッシュを使った板書で授業を始めました。周りからの反応も良く、武器がなかった自分が、「これだけは自分にしかできない」というものを見つけたという、手応えがありましたね。

「自分らしさ」を見つけて、ICTを活用した授業に力を注ぎました。3年間働いた後、東京の栄光ゼミナールに転職し、算数・数学の授業を担当しました。予備校講師のスーパースターが集まる環境で、色々と学ぶことが多かったですね。ただ、教室長としてマネジメントの役割を期待されていたこともあり、ここでも、教えることに集中したいという自分の思いとはすれ違いがありました。

そんな時、仕事で携わっていたベネッセの方が、ICTを用いた授業スタイルに関心を持ってくれて、ICTを介した遠隔授業の新規事業の部門に誘ってくれました。自分で一から考えた仕組みが評価されることはとても嬉しく、そのまま転職を決めました。

どこかで大企業に憧れを抱いていた部分もありましたね。「慶應大学出身なのに塾講師なの?」と言われ続けて、見返してやりたいという思いもあったのだと思います。

ベネッセでの達成感と海士町との出会い


ベネッセでは、ICTを介した遠隔授業の新規事業で、自ら遠隔授業を行う傍ら、遠隔授業の先生の育成から法務まで幅広い業務に携わりました。それまでのベネッセにはいないタイプだったので、自分のノウハウを事業に活かせました。非常にやりがいがありましたね。

実際に遠隔授業を行ってみて、ICT×教育が目指すべき方向が見えてきたように感じました。最初は遠隔授業をいかに対面授業に近づけるかを考えていたのですが、対面ではできないことで付加価値をつけようと考えるようになりました。例えば、遠隔では、雰囲気が伝わり辛く、雑談や冗談など、フランクな話題を振ることは難しいですが、一方で、ビデオ画面で授業を配信しながらチャットで個別にやりとりしたり、生徒ごとに問題を変えたりすることができます。チャットや生徒ごとに問題を変えるのは教室ではできません。

教室ではできないことを軸に、新規事業として、自分の集大成のサービスを作りました。同時に1万人が授業を受けられる環境を作ることができ、病院にいる子どもなどを中心に使ってもらえるようになりました。事業を通じて人を誰かを喜ばせることができた手応えがあり、「ああ、よかったな」と心から感じましたね。

仕事が一段落した頃、島根県隠岐郡海士(あま)町で、人口減少問題を解決するため、教育に力を入れているという話を聞き、妻と島を訪ねてみました。島に行ってみて、すぐに、「この島に移住しよう」と決めました。人がすごく魅力的で、なんだか島全体にベンチャーのような空気感がある。島では教育に関わる人が必要とされていて、自分ができる仕事がある。「進化するには、変化するしかない」。そんな思いもあり、39歳で移住を決めました。

地域課題を教育・ICTを通じて解決する


現在は、海士町の公立塾である隠岐國学習センターの副長を務めています。この塾では、近隣3島の中学校や、町内の高校生向けに授業を行っています。町は限界集落に近く、人口は2300人しかいないのですが、うち10%以上は私のようなIターンの移住者です。高校の魅力化プロジェクトを通じて、廃校の危機から、1学年50人ほどまで生徒数が回復し、早慶や上智に進学する生徒も出てきていて、家族連れが暮らし易い環境に変化しつつあります。ミッションは、教育のインフラを整えて島や町自体への移住者を増やすことですね。

個人的には、これまで注力してきた「教育」「ICT」に、新しく「地域」というテーマが加わり、地域ならではのICTを活用した教育を意識しています。例えば、島では、同じぐらいの学力のライバルがいないことでモチベーションが上がらなかったり、船が欠航してしまうと塾や学校に来れない、といった問題がありますが、ICTを通じて他地域の学生と繋いだり、遠隔でも授業を届ける仕組みを作ることで解決する、というかたちです。

中学生向けの遠隔授業では、タブレットを無償貸与し、家庭で塾の授業を受けられる環境を作ることに加え、他県から授業を配信することも行っています。高校生に向けたキャリア教育でも、遠隔地の学生とのディスカッションをさせることによって、普段は会わない外の学生と接する機会を設けています。最近では、町の社会人を対象としたまちづくり講座の配信も始めました。都市の有識者によるハイレベルな授業を遠隔で行い、子どもだけでなく、社会人の教育にも繋がればと考えています。

島に来た当初は、格差を越えた教育モデルの確立に重点を置いていましたが、実際に2年間住んでみたことで、今はもう少し広く、地域の課題に自分の知見を活かしたいという思いが強いです。

地域が輝かなければ、日本に未来はない。だからこそ、海士町に限らず、ICTや教育を通じて地域課題の解決に関わりたいですし、そういう仲間を増やしていきたいですね。

2016.01.19

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