自分らしく暮らすために、建築にストーリーを。取り戻した自信と、自分の感性を信じる覚悟。
建築家が作る住宅の事例集のメディア「KLASIC(クラシック)」を運営する坂井さん。学生時代からスポーツ新聞やネットメディアで経験を積み、卒業後はADK、リクルート、講談社BCを経て独立へ。華やかな経歴とは裏腹に、表現する事への自信を次第に失っていったという。自分を成長させ、自信を回復させてくれた独立後のアルバイト生活とは。お話を伺いました。
坂井 裕之
さかい ひろゆき|坂井 裕之自分らしく暮らすためのメディア運営
建築家が作る住宅の事例集のメディア「KLASIC(クラシック)」を運営する株式会社クラシックの代表取締役を務める。
自らの表現で、ステークホルダーを横断した発信を
岩手県盛岡市に生まれ、小学生の途中からは千葉県で育ちました。小さい頃から自分で手を動かして何かを作ることが好きで、2〜3歳の時から、とにかくずっと絵を描いているような子どもでした。版画や刺繍、物書きなども好きで、人から褒められることが嬉しかったですね。祖父の影響も強く受けていました。
中学からはモテたいという理由でバスケ部に入り、それまで苦手だった運動が急に得意になりました。将来は美術教師になりたいと考えていましたね。美術を教えながら、バスケ部の顧問をしよう、と思っていました。
高校は千葉県で一番自由といわれる学校で、周りにはユニークな人がたくさんいました。自分より絵がうまい人もいっぱいいましたね。一緒に絵を描いていて、こちらが嫌になってしまうくらい。高校に入るぐらいまでは、芸大に進学したいと考えていましたが、美術の道に進むことは諦めることにしました。「これは敵わない」と。
改めて将来の進路を考えた結果、自分の特徴はこだわりの強さと視点の自由さだと考え、ジャーナリストを目指すようになりました。卒業後は、マスコミに強いイメージのあった早稲田大学第二文学部に進学しました。
大学では、早稲田スポーツ新聞会という、号によっては5万部を超えるスポーツ新聞を発行する、50年以上(現在)続くサークルに入りました。新聞紙の限られた枠の中でオリジナリティを表現し、自分の価値観に合うものを作れる環境はとても面白かったですね。人の話を聴き、表現することを繰り返し、サークルに没頭しました。学外では、新聞社でアルバイトをしたり、インターネットのスポーツメディアで働いたり、メディアの世界に入り込んでいきました。
就職活動の時は、出版社や商社、広告代理店を受けました。共通していたのは、皆、仲介・取次をする中間業者であること。スポーツ新聞の運営を通じて、読者・選手・学校などの様々なステークホルダーを、自分の表現を通じて満足させることにやりがいを感じていました。正しく聞けて、表現できることは、様々な人や組織を横断した発信に適しているという感覚がありました。
そんな背景から、大学卒業後は、株式会社アサツーディ・ケイ(ADK)への入社を決めました。
「自分には何が残るのか?」リクルートへ転職
ADKでは、雑誌のプランナーとして、クライアントの広告を雑誌にどう表現するかを企画する業務に携わりました。評価されることもありましたが、自分の中ではうまくいかない感覚がありましたね。学生時代の経験から自分の感性や表現には自信がありましたが、ビジネスの現場になると、通用しない部分がありました。自分の自尊心を守ろうとして、苦しかったですね。
自分で選んだ領域ではあるものの、中間業者ゆえのジレンマも感じるようになりました。新卒1年目の時に、有名女性誌とクライアントのタイアップ記事を作ったのですが、時間をかけて作った成果物は、結局、出版社とクライアントのもの。「自分には何が残るんだろう?」と感じましたね。「どこまでいってもお手伝いにしかなれないのかもしれない」と。スポーツ新聞の時は、自分達の手元に制作物が残るからこそ、覚悟を持って取り組めました。「自分の商品」が欲しいと思うようになりました。
入社して4年ほど経ち、そんなことを考えていたタイミングで、リクルートに就職した知人から「うちの会社に来ないか?」と誘われました。「これは良いチャンスだ」と感じ、転職を決めました。
リクルートでは、グルメ情報を配信するクーポンマガジン「ホットペッパー」の事業企画を行いました。営業企画から販売促進、商品企画まで幅広く経験することができて、ものすごく面白かったですね。仕事の環境も内容もとにかく楽しい。今まで以上にビジネスに深く関わるようにもなりました。
表現の世界に戻って感じた苦悩
中間業者から自社事業の企画に変わり、しっかり儲けることへの意識が強くなりました。扱う媒体が紙からwebに変わったことも重なり、数字を一層重視するようになりましたね。
ただ、そんな環境でがむしゃらに仕事をしていくうちに、気づけば、自分が得意だった表現とは遠い場所に来てしまっていました。数字合わせではなく、豊かな表現を追いかける環境に行きたいという思いを抱くようになりました。たまたま、パスポートが切れて実家に帰った時に、祖母から「小さい頃から感性が豊かで、道端の花の前に15分も立ち尽くすような子どもだった」という話を聞いたことも影響していましたね。自分は、事業企画の人間ではなかったな、と。
ちょうど退職をするタイミングで東日本大震災が起こりました。祖母ら親戚一同が住む実家が岩手にあったので、しばらくは組織に所属していませんでした。その後、好きな出版の世界に身を置きたいと思い、アルバイトとして講談社のグループ会社に入り、雑務をするようになりました。
その後試験を受けてその会社の正社員になり、新規事業開発室に配属されました。「リクルートの事業企画ノウハウを学んだ自分が、表現の世界でどこまで出来るか」と意気込み、出版業のなかで事業を考え始めました。
ただ、出版社の環境はとてもしんどかったですね。表現に自信を持って入社したのに、出版社で働くような人はまるでレベルが違う。天才的な人材がたくさんいて、自分はあんまり面白くないのかもしれないとすら感じました。事業寄りの環境に長く身を置いていたことで、自分が本気で面白いと思った企画ではなく、面白がられようとして企画を考えるようにもなっていました。気づけば、自分は発信者ではなくなっていました。
独立と挫折、バイトからの再スタートで見えたもの
社会人になってから、独立に対しての明確な希望はなかったものの、転職を通じて業界の仕組みや表現のやり方を学んだことで、いよいよ挑戦だという感覚が強くなっていきました。正直、自分がうまく価値を発揮できないことに対する不満を、旧態依然とした業界のせいにしている面もありましたね。最終的には37歳のタイミングで個人事業主として独立を決めました。
独立してからは、受託でDVDを作ったり、以前からやりたいと思っていたスマートフォンアプリを企画したり、自分のアイデアを形にしたいと力を注ぎました。
しかし、どれも全く上手くいきませんでした。自分でも「ああ、こんなもんなんだろうな」という感覚がありましたね。
個人で仕事をするのは辛いけれど、年齢的にもう企業には戻れない。
追いつめられた結果、自分の中で覚悟が決まりました。
性根を叩き直そうと、チラシのポスティングやテレアポのバイトを始めました。自分の弱点は、なんでも一足飛びにやろうとしてしまい、企画の実現のための行動力がないこと。行動しないと前に進まない仕事、サボることができない仕事をしようと、アルバイト生活を始めました。
テレアポでは20歳そこそこのフリーターよりも成績が悪く、上司から呼び出されて怒られる日々が続きました。行動するより先に、まず考えてしまうんです。考えて、電話をかけないようなことすらありました。さすがにまずいと思い、心を入れ替え、1日40コールの会社の目標に対して、100コールかけました。webサイト制作の営業だったのですが、業界を絞った方が知識がついて効率も上がるだろうと、IT化が遅れている花屋と建築事務所に絞って、タウンページを何周分もかけていきました。
建築事務所と商談をして話を聞くうちに、建築家自身の営業の仕方に課題を感じるようになりました。建築家が実際に携わった住居の「完成写真」を載せるメディアはあっても、建築家の「意図」や「思い」を伝えるメディアはない。注文した人が完成した建物を見られるのは1年半後。人生の中でも最も大きな買い物にも関わらず、実績の竣工写真だけでは、建築家と消費者の間の情報の非対称性を埋められません。
そこで、もっと建築家の設計意図やストーリーを伝えるようなメディアを作ろうと考えました。
バイトからの再スタートを経て、自分のこれまでの経験に対する自信を回復し、苦手としていた行動力も手に入れたという手応えもありました。たくさんの人から話を聞いて、業界で起きている課題を理解できた。ここまで事実を掴んで、解決のための企画も考えているのだから、かっこつけていないで独立してしまえ。そんな思いから、2015年5月、株式会社クラシックを創業しました。
自分の感性で表現するクリエイターとしての覚悟
現在は、建築家が作る住宅の事例集のメディア「KLASIC(クラシック)」を運営しています。注文住宅を中心に、暮らしに関わる周辺領域の情報も発信し、「ストーリー」を大事にしています。
巷には家に関するメディアが多く、写真を投稿するメディアもあります。ただ、注文住宅に関心のない潜在層の方に興味を持ってもらうには、建築家がどんな思いで住宅を造ったのかという「ストーリー」が重要だと思うんです。既に関心を持っている顕在層の方にとっても、写真だけでなく、テキストで設計意図や仕事ぶりを感じることで、本当に自分に合う建築家を選ぶことができます。
注文住宅は、買うのではなく頼むのです。まだ見ぬ家を頼む「人間」を知る、ことが重要です。そのために、写真はもちろんテキストで。家が出来たストーリーを切り取るなかで、建築家の仕事ぶりや人間性を表現することにこだわっています。
建築家にとっては、自分の人間性や仕事ぶりを伝えることができ、既存の施策では取り込めない、潜在層に情報を届けることができます。実際に閲覧している読者層は、小さい子どもがいる30代のご夫婦が中心で、自分の思い通りの住まいを作りたいと考えている方が多いです。同じような要望を抱く人は多いものの、建築家に依頼する注文住宅という選択肢に辿り着く人はまだまだ少ない。ポテンシャルはあるのに、注文住宅の価値を伝えきれてない。だからこそ、その間をテキストのストーリーで埋めることが出来たらと考えています。
小さい頃から、自分の感性に自信を持ちながらも、その感性を信じて仕事をすることがずっとできずにいました。信念を持って、「これがカッコいい」というものを作ることができていなかったんですよね。アルバイトからもう一度やり直して、自信を取り戻し、クリエイターとして、組織のトップとして、自分の感性で表現をすることへの覚悟ができました。正しいかどうかは後からついてくるもの。情緒的な価値にこだわりをもって、事業を作っていきたいです。
個人的には、関わってきた人に恩返しをしたいという思いもありますね。多くの人に支えられ、迷惑をかけていながら、まだ恩返しができていない。自分がいて良かったと思ってもらえるように、自分の仕事を通じて人を幸せにしていきたいです。
2016.01.14