大学は京都の芸大に進みました。3日間の中で自分の絵について大学の先生と話すという、コミュニケーション入試という形式の入試で合格しました。中学や高校で自分の情熱を言葉で表現することを鍛えられていたので、役に立ちました。

入学してみると、周りの皆は本当に絵を描くのが上手い。挫折を味わいました。手に職をつけることを考えて、画家のコースではなくデザイン学科に進んだのですが、全く合いませんでした。デザインは引き算。機能美を追究するもの。自分は足し算が好きでした。自分の好きなものをぶつけてぶつけて、皆がうんざりするぐらいの方が好きなんです。それが自分の個性。デザインとは相容れないものでした。大学では画家で食っていくのは難しいとよく言われました。デザインが自分に合わないことと相まって、次第にやる気をなくしてどんどん落ち込んでいきました。学校でデザインの授業に出ながら、家では授業と関係のない絵を描いていました。

そんな時、秋元康さんに出会いました。

秋元さんは当時うちの大学の副学長で、AKB48のアーティスト版をつくるという趣旨で、ゼミを開講することになりました。大変人気のゼミで選考があり、選考のために、ポートフォリオと呼ばれる作品集を提出するのですが、どれもこれも見せたい作品ばかり。情熱を止められず全て詰め込もうとしましたが、ゼミの事務局の方に、情熱は分かるからと止められて、事務局の方と相談しながら10点ほどに絞り込みました。

ポートフォリオでの選考に通過し、いざ最終選考の10数名の面接になると、緊張して何も喋れません。周りは面白いことを言える人ばかり。選考結果はやはり落選でした。最後にお世話になった事務局の方に、お世話になったお礼と情熱だけは誰よりもあることだけを伝えて帰りました。

家に帰った後、相談していた事務局の方から電話がかかって来ました。「笹田くん、ねじこんどいた」。こんなに情熱のある人間を合格させないのは大学としてもったいない、そういう話でした。

秋元さんがゼミの開講の日、最初の挨拶の中で一言。「何か1人ラッキーで入った奴がいるらしいけど、それも運命だから。それもそいつの持っているものだから」。情熱で厚い鉄が溶けていく。奇跡が起こって壁が溶けていく。そんな瞬間でした。

それでも、現実は甘くありません。ゼミは、毎回、学生が企画を出して、秋元先生が評価して良いものは採用する、という形式。中には、AKB48の衣装を作らせてもらえるやつも出てきます。自分は、必死で考えた企画を「くそつまんない」と切り捨てられる。それでも、必死で企画を出す。でもまた切り捨てられる。その繰り返しでした。

心が折れそうでしたが、事務局の方も応援してくれて、企画を出し続けました。ある時、秋元先生が「笹田は、企画はつまんないけど、絵は面白いよな。」とコメントしてくれた。これだ、と思いましたね。AKB48のメンバーを描いて持っていこう、そう決めました。

秋葉原の「機械」のイメージと組み合わせて、AKB48のメンバーを3枚描いて持って行きました。秋元先生は、「気持ち悪い」と一蹴。次の授業で少し直して持っていくと、少し反応が良くなりました。これはいける、と思いました。授業は月1回。情熱だけは見せてやろうと、AKB48のメンバー全員48人を一気に描いて持って行きました。

さすがに秋元先生も断れなかったのか、「じゃあやろうか」。AKB劇場の壁に飾ってもらいました。情熱があればできるんだ、と思いましたね。