先祖が繋いでくれた歴史を受け継いでいく!茶道とラクロス、静と動のバランスが大切。

遠州流茶道を次世代に繋いでいくために、様々な活動に取り組む一方で、ラクロス選手としての顔も持つ小堀さん。家元の娘に生まれながら、茶道の修行を本格的に始めたのは、意外にも大学卒業後。そこにはどんな想いがあったのか。お話を伺いました。

小堀 優子

こぼり ゆうこ|遠州流茶道を未来に受け継ぐ
遠州茶道宗家 13世小堀宗実家元の次女として生まれる。幼少より祖父12世宗慶宗匠と父宗実家元より、茶道の手解きを受ける。学習院大学法学部卒業。平成22年より、父宗実家元の内弟子修行を経て、現在は家元の膝元で茶道の普及にあたる。遠州流茶道ドキュメンタリー映画「父は家元」に出演、ナレーションも務める。個人ブログ「綺麗さび ~遠州流とわたし~」も展開中。

在学中よりラクロスで活躍し、日本代表にも選出される。現在は社会人クラブチームMISTRAL主将。

チームを背負った個人の感覚が好き


私は、遠州茶道宗家13世、小堀宗実の次女として、東京で生まれました。そのため、小さな頃から、節目や大切な行事の時には、お茶会の「お運び」をしていました。

ただ、活発な性格の私には、着物を着て、正座で長時間過ごすことなどは、あまり得意ではありませんでした。 また、6歳の時に始めた剣道が楽しくて、お茶の稽古は月に数回する程度でした。

遠州茶道宗家は長男が継ぐのが伝統で、跡継ぎとして8歳下に長男にあたる弟がいたことも、私が茶道にそこまで関わらなかった理由でした。 中学生になり、剣道に真剣に打ち込むようになってからは、一層茶道からは離れて行きました。

剣道の練習は厳しかったのですが、楽しかったですね。試合は1対1の個人戦ですが、団体戦では5人の勝敗数でチームの勝ち負けが決まります。個人の戦いではあるものの、チームの責任も背負って試合する感覚が好きでしたね。

また、剣道の精神性にも惹かれていました。防具や小物には「トンボ柄」が多く描かれています。トンボは「勝虫」と呼ばれ、前にしか飛べない縁起物だという由来があり、前に出るしかない、その心構えが好きでした。

主将になってからは、チームの意識を統一することを心がけました。また、自分たちだけで稽古をしても成長に限界があるので、できる限り強い高校へ出稽古にも行くようにしました。

その結果、高校3年生の最後の大会では、都大会の団体戦で優勝することができたのです。ずっと目指してきた目標を、チームで達成できたことが嬉しかったですね。

「日本一」を目指してラクロスへの転向


幼稚園から大学の付属校に通っていたので、高校3年生の夏で部活を引退してからは、大学の部活を体験する機会がありました。私はそのまま剣道を続けるつもりでした。

しかし、ラクロス部に入っていた姉に、「ラクロスで日本一を目指そうよ」と誘われ、「日本一」という言葉に惹かれた自分がいました。剣道の実力では日本一になるのは難しいと感じていたこともあり、競技人口は違えど、「日本一」に挑戦してみたいと思ったのです。

また、球技が得意ではなかったので、ラクロスを試した時も、全然うまくできず、できないことを克服したいとも思いました。

剣道は大好きだったので、とても悩みました。自分で決断するのが苦手で、心の中ではラクロスに傾きつつも、剣道も捨てきれませんでした。最終的には、父の「ラクロスも良いんじゃない」という後押しで、思い切ってラクロスに転向することができました。

まずは、12名のレギュラーに選ばれるために、必死に練習しました。コーチに小さな身体を大きくするように言われ、1年目に15キロ近く体重も増やしました。それでもなかなか上達せず、レギュラーにはなれなかったですし、試合にも出られませんでした。下手すぎて、姉から「いい加減にして欲しい」と言われる始末でした。

それでも、姉からのアドバイスで、試合を開始する時の「ドロー(※)」の動きを練習していくと、少しずつ試合で使ってもらえるようになりました。さらに、試合経験を積むことが成長に繋がり、2年生の頃からはレギュラーになりました。そのまま日本一を目指し続け、大学生活ではラクロスに没頭する日々でした。

※ドロー=試合を開始・試合再開する時の動作。バスケットボールでいうジャンプボール、サッカーで言うとキックオフのようなもの

先祖への感謝と、茶道の世界へ踏み込む決意


個人としては、関東ユースやU-22の日本代表などに選ばれましたが、チームとしては日本一になれずに、4年生の11月に部活を引退しました。それでも、1年後にはワールドカップがあり、その代表選考会も間近だったので、1年間は就職のことは考えずに、ラクロスだけに集中しようと思っていました。

ところが、大学卒業間近、母から、「今の時代、手に職を就けないと生きていけない」「あなたには茶道しかないでしょ」と言われ、宗家で内弟子になることを勧められました。

最初は、将来はバリバリ働きたいと思っていましたし、「お茶の先生になりたいのかな?」と疑問も感じました。ただ、今までの人生を振り返っていくと、茶道の仕事をすることが、自分の役目であると感じるようになりました。

これまで、8歳下の弟が節目ごとに色々な体験をしているのを見て、自分も同じく貴重な経験をしていたのだと気づくことは多くありました。例えば、乳離れする時に、父が弟に「お抹茶を好きになるように」と、初めての離乳食には抹茶を混ぜていたり、末広がりで縁起が良いと、「6歳の6月6日」からお稽古を始めたりするのです。それは、文化的にも、とても貴重な体験ではないかと感じたのです。

また、私が好きなことをできるのは、この環境を守ってくれた先祖のおかげだと、感謝の気持ちもありました。しかも、私の名前は、苦しい時代に遠州流を復興した、8代目宗中公の名を由来に付けられたものでした。そこには、8代目と同じように、私にも遠州流を盛り上げて欲しいとの想いが込められている気がしたのです。

宗家を継ぐのは、あくまで弟。ただ、彼はまだ未成年ですし、父はもうすぐ還暦を迎えます。その間を繋いでいくのが、私の役目だと自然と感じられたのです。 そこで、大学卒業後、ラクロスの日本代表を目指しつつも、内弟子として家元の膝元で修行をすることに決めたのです。

世界の中で一服のお茶が持つ力


修行は主に掃除をすることでした。お道具やお庭など、お茶会を彩る様々な場所や物を綺麗にしながら、自分の心を清めていきます。朝早くから夜遅くまで働き、最初は苔むしりから始まりました。

ただ、私はラクロスを練習するために、土日だけは特別にお休みを頂いてました。平日の肉体的・精神的な疲れが残る中、集中して練習できるようになるまでは、慣れが必要でした。それでも、一番下の弟子の身分にもかかわらず特別にお休みを頂いている以上、絶対に結果は出さなければというプレッシャーもあったので、より一層頑張れました。

その結果、日本代表選手に選ばれ、晴れてワールドカップへの出場が決まりました。嬉しかったのと同時に、家族に良い報告ができると、ホッとした気持ちの方が大きかったですね。

全世代の日本代表として世界に出ることは、それまでの国際戦とは重みが違い、想像以上に「国を背負っている感覚」が強くありました。どこの国の選手もその覚悟を持っていたのですが、特にアメリカ代表の飛び抜けたかっこよさに、圧倒されてしまいました。アメリカ選手の背中からは、「USA」を背負っている誇りに満ち溢れていたのです。一方で、私たち日本代表は何かが足りない気持ちがしました。

そんな自信を持てない状況を打破してくれたのは、「お茶」でした。私はいつでもお茶のお点前(てまえ)ができるようにと、簡易的なお道具を持っていて、大会にも持参していたので、宿舎でも外国の選手も交えて簡単なお茶会を開きました。

すると、お茶を点てた瞬間に、他国の方たちが、日本に対するリスペクトの眼差しを向けてくれたのです。言葉は通じなくても、お茶を見ればそれが「日本の文化」であることがひと目で分かり、一服のお茶で五感を共有できる。一服のお茶がもつ力の偉大さを、肌で感じました。

この経験を通して、自分の国に誇りを持つためには、「自国の文化を知ること」が大事だと学びました。スポーツ選手など、世界で活躍する日本人に、茶道を通じて、「日本の心」「侍の心」を伝える活動もしたいと考え始めたのです。

日本の心を未来に受け継いでいく


現在は、3年間の内弟子修行を終え、遠州流茶道を広める仕事をしつつ、土日はお休みを頂き、社会人チームでラクロスに打ち込んでいます。私にとって、茶道とラクロスは、どちらも影響し合い、欠かせないものになっています。茶道で得た学びが、ラクロスの中でも活かせる瞬間が多々あります。

元々が活発な性格なので、土日ラクロスによってエネルギーを発散しているからこそ、平日の茶道の仕事で、心を落ちつけていられる節もあります。私にとっては、茶道とスポーツは、「静」と「動」を保つために重要なものなんですよね。

ラクロス選手として、あと何年続けられるかは分かりませんが、日本一になるための挑戦を続けていきます。ラクロスはスポーツとしてはまだ発展途上ですので、確立された練習方法や戦術がありません。チームみんなで考えて、形を作っていけるというのも魅力です。みんなで結果を出して、笑顔の多いチームにしていきたいです。特に、昨年はこれまでで一番歯痒い思いをした年なので、挽回したいですね。

一方で、茶道は「道」。ゴールは存在せずに、無限に勉強し続けるものです。ひとつのことを知ったらまた次の疑問が湧いてくるので、自分の中で調べるのを辞めてしまったら終わり。常に自分との戦いです。

目標に向けて考えるのが得意な私にとっては、難しいと感じる部分もあります。 それでも、道を極めるために歩み続けたいと思えるのは、先祖への感謝の気持ちが強いですね。先祖がして来てくれたように、私も次世代に繋いでいきたいのです。

また、単純に茶道が好きでなんですよね。自分が点てたお抹茶を一口召し上がっていただいて、「大変結構です」「おいしい!」と言っていただけるまでの間が好きです。他にも、五感を研ぎ澄ませることなど、茶道には魅力がたくさんあります。その魅力とともに、そこに宿る心を、日本の人にも海外の人にも、伝えていきたいですね。個人的には、未来を担う子どもたちに教えている時はとても楽しいですね。

遠州茶道宗家を継ぐのは、あくまで弟の役目。お家元ではないからこそできる、私のやり方もあると思うのです。茶道や日本の文化、その背景にある心を未来に受け継いでいくために、これからも一生懸命勉強していきたいです。

2015.12.17

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