漫才を通して、日本酒の一番の紹介者になる。自分が役立つところに全力で。
【KURAND協力:日本文化チャンネル】きき酒師の漫才師「にほんしゅ」として、日本酒とお笑いを掛けあわせた活動をする北井さん。中学生の時から目指し続けた漫才師として、着実にキャリアを積む中で訪れた、大きな転機とは。お話を伺いました。
北井 一彰
きたい かずあき|きき酒師の漫才師
日本酒のきき酒師の漫才師「にほんしゅ」として活動する。
※日本文化チャンネルは、KURANDの協力でお送りしています
憧れの漫才師になるために
僕は兵庫県姫路市で生まれました。よく喋る性格でしたが、学級委員もやったりと、比較的真面目な子どもでした。運動も好きで、野球に夢中になっていましたね。
それが、中学生の頃からは漫才師を目指すようになりました。お笑い劇場「baseよしもと」のお笑いライブをテレビで見て、衝撃を受けたんです。関西圏で育ったこともあってお笑いは身近でしたが、他の番組と全然違いました。劇場の文化も含めた全てに憧れを抱き、「これをやりたい!」と思ったんです。
それからは、漫才師になることを目標にして、ネタを書き始めました。高校では同級生とコンビを組み、文化祭でネタを披露したり、テレビの公開オーディションに参加したりしていました。性格的にボケではないので、ツッコミをやりたいと思っていましたね。
ただ、高卒でお笑い学校に入っても、自分には「売り」がないと思っていました。そこで、学歴や大学での経験も強みにするため、兵庫の大学に進学。2回生からお笑い学校に通うと決めて、1回生の時にはボクシング部に入りました。格闘技も好きだったので、悔いが残らないように、お笑いを本格的に始めるまで大学生活を謳歌したいと思っていたんです。
2回生の時にお笑い学校に入学して、大学と並行で通い始めました。ふたつの学校に通いながらバイトもする生活は大変でしたが、やっと漫才師への道をスタートできたので、楽しかったですね。お笑い学校を1年で終えてからは、そのまま事務所に入り、同期とコンビを組んでお笑い活動を始めました。
場外ホームランを打てる道に行こう
ところが、1年半ほどで、相方がお笑いをやめることしたので、コンビ解散となりました。やめると聞いた時は、「まじか・・・」とヘコみましたね。その後はピンで活動をしていましたが、僕は漫才がやりたかったので、「ひとりならやらなくてもいいのでは」とすら思っていました。
そんな時、お笑い学校の同期4人でライブをすることがありました。ピンで活動していたメンバーのひとりが面白くて、純粋に「コンビを組んでみたい」と感じました。
ただ、彼は、面白いものの、漫才ではボケにもツッコミにも当てはまらない性格でした。何人かの中にいたら安心して見ていられる面白さは持っているものの、ボケもツッコミもできないので、漫才には向いていなかったんです。
彼とコンビを組むなら、例えしばらくはウケなくても、「場外ホームランを打てるコツをつかむまでの旅」だと、腹をくくる必要がありました。それでも、ふたりでやったら面白いことができそうな予感は強烈にあったので、「にほんしゅ」という名前でコンビを組むことにしました。
コンビを組んで初めて出場した漫才コンテストでは、他に方法がなく、僕がボケを担当したものの、全くウケませんでした。そこで、自分たちの良さを見つけるために、しばらく漫才ではなくコントをしてみました。コントなら、台本次第である程度は面白くでき、ボケやツッコミといった役割分担はありません。
しかし、コントをやりたくて仕方がなくて台本を作り込んでいる他の人たちほど面白いことはできないし、自分たちの良さが活きているわけでもありませんでした。結局、漫才に戻り、ボケとツッコミを入れ替えることにしました。
苦肉の策として、相方には「アホキャラ」を演じてもらいました。しかし、「アホキャラ」はアホじゃないとばれてしまうとしらけてしまうので、演じるのが本当に難しく、かなり苦しい状況でした。
そこで、無理はやめて、「ボケること」をやめることにしました。僕はツッコむけど、相方は言いたいことを言うだけ。それだと、相方にボケてもらう必要もなく、「アホキャラ」のように嘘を演じるわけでもないので、無理なく自然に掛け合いができるようになりました。少し地に足がついてきた感じでした。
競争環境の中で振り回され続けて良いのか
僕たちは、事務所が運営する劇場に出ることをひとつの目標にしていました。オーディションは、300組近い芸人の中から勝ち上がらなければならない、厳しい競争環境。それでも、3年ほど経つと、僕たちもオーディションを勝ち上がることができました。「やっとスタート地点に立てた」と、人生で一番嬉しい瞬間でしたね。
ただ、入れ替えが激しいので、一回勝ち上がっても、またオーディションまで落ちてしまうこともありました。それでも、やめようとは一度も思いませんでしたね。漫才は、ふたりの会話の回数を重ねていくほどに面白くなるもの。実際、20代後半になって初めて、ふたりの漫才の「ひとつのかたち」ができた感覚があったので、目の前の競争は苦しくても、ふたりの会話を続けていけば、もっと面白いことができる、と感じていました。
とはいえ、年齢を重ねるにつれて生活環境も変わってきたので、さすがに何か自分の武器を持ちたいと考えるようになりました。漫才と違う角度で強みを作り、自分たちを見てもらうきっかけを作りたいと。
そこで、日本酒ナビゲーターの資格を取ることにしました。僕はお酒が好きで、毎日飲んでいましたが、日本酒はほとんど飲んだことがなかったんですよね。値段もちょっと高いし、そもそも何を飲んでいいのか分からなくて。せっかく「にほんしゅ」というコンビ名で活動しているのだから、勉強してみようと思ったんです。とはいえ、日本酒ナビゲーターの講習を一日受けたからといって、仕事にどう活かせるかをすぐにはイメージできませんでしたが。
その講習を受けて1,2ヶ月ほどした頃、劇場に年齢制限が設けられて、僕らは出演できなくなると噂が回ってきました。それをきっかけに、「このままでいいのか」と、これからのことを真剣に考えるようになりました。
劇場が閉鎖するなら、別の事務所に入るなり、東京に行くなり、取れる手段はある。だけど、結局は同じような競争の世界なので、今までと同じことの繰り返し。僕たちはこれまで競争の中で勝ち上がれたわけじゃない。どんなに面白くてもお金を稼げない人がたくさんいるのも事実。それなのに、この環境に振り回され続けてもいいのか。自分たちにしかできない別のやり方もあるのではないか。そう考えるようになったんです。
漫才は好きだし、コンビとして良いかたちになってきた感触もありました。しかし、この競争の世界にい続けるのかどうか、漫才を続けるのかどうか、人生単位で考えなければ、と思いました。様々なことが重なり、「考えて行動するなら今だぞ」と言われている気がしました。
自分たちにしかできないかたちでの挑戦
そんな状況の中で、日本酒ナビゲーターを取った時の先生から、「日本酒を本格的に勉強しないか」と、誘われました。その先生は、お酒関係の人に、「にほんしゅ」を紹介して、「日本酒を広める立場になってくれたらいいよね」と話してくれていました。
そこで、「日本酒の世界で僕たちができる役割」を担うための基礎を作ろうと思い、事務所を辞めて、その先生が経営する酒販店に、コンビふたりで修行に行くことにしました。色々なタイミングが重なり、これまでとは違うかたちでチャレンジする良いきっかけだと考えていました。
もちろん、漫才師として、「笑ってもらう仕事」は続けようと思っていました。それでも、こんなに大胆に、「自分たちしかできないこと」に挑戦できるのはラッキーだと感じていました。茨の道ではあるだろうけど、きっと強みになると。
そして、半年間だけと決めて、漫才師を一度やめたような心持ちで、千葉県の酒販店での修行を始めました。店頭に立ったり、お酒を運んだりと、肉体仕事も多くありました。ただ、次第に併設されていたバーの中で、お酒を絡めた漫才をするようになりました。
さらに、相方と一緒に利酒師の資格を取ってからは、日本酒関連のイベントで仕事の依頼をもらえるようにもなりました。イベントでは、漫才だけでなく、司会やリポーターのようなことまでやらせてもらいました。それまではそんな仕事をやったことがなかったので、自分たちにも役に立てる場所がある、日本酒の世界に飛び込んで良かったんだと、確信を持てた瞬間でしたね。
日本酒の先生は、台湾で開いたイベントにも、僕たちを誘ってくれました。そこには、日本の文化やお笑いが好きな台湾人が集まってくれて、ネタをやると凄いウケたんです。「これならいける」と、自信につながりましたね。
日本酒を伝えていく「一番のフィルター」に
現在は、「きき酒師の漫才師」として、事務所には所属せずフリーで活動しています。漫才師としての力を活かしながら日本酒のことを多くの人に知ってもらうために、日本酒の知識を漫才のネタに盛り込んでいます。日本酒も漫才もどちらも欠かせない要素で、周りの人には、「いつもお酒のことを喋ってる奴」と思ってもらえたらいいですね。
僕たちは、「ゼロ杯目から一杯目」の動機を作る役割があると考えています。日本人にとって日本酒は身近な存在ですが、飲んだことがない人もたくさんいます。そんな人たちが、「今度、日本酒を飲んでみよう」と思えるものを提供していきたいんです。特に、日本酒を飲んだことがない人には、まず、米の旨味とか甘みが最大限に引き出されている美味しい日本酒を飲んでみてほしいです。
最近行っている、「サケライブ」という日本酒とお笑いの融合型イベントは、理想のかたちのひとつです。日本酒を提供するお店で、蔵元さんの話をお客さんに聞いてもらう時に、僕たちが仲介役になってより面白く伝える。日本酒のことをちょっと知ってもらって、すごく笑ってもらい、帰る時には、ふたつの意味で、「日本酒(にほんしゅ)って楽しいな」と思ってもらえたら最高です。
今は、ありがたいことに日本酒関係で色々な仕事の話をもらえているので、漫才師としても、これまでとは違った立ち位置を確立できている感覚があります。とはいえ、まだまだ勉強中の身なので、何か機会があったらすぐに動ける状態でいられるように、フリーで活動していこうと考えています。
これからも、日本酒を世の中に伝えていく「一番のフィルター」であり続けたいですね。そのために、できる限り時間を費やし、圧倒的にやりきることで、さらに可能性を広げていきます
僕は、漫才もお酒も「リラックスしてもらう」と言う意味で、すごく似ていると思います。漫才で笑ってもらい、お酒で笑顔になってもらう。そのために、自分が役に立てるところで全力を出し続けていきます。
2015.12.11