飽きずに遊び続けるための、ルールメーカー。レールから外れることで得た自由な働き方とは。

インターネットショピングモールを運営する楽天で「フェロー風正社員」として働きつつ、自分の会社も経営する仲山さん。まわりから「自由すぎるサラリーマン」と評される仕事のスタイルは、どのように形成されてきたのか。お話を伺いました。

仲山 進也

なかやま しんや|夢中で仕事する人を増やす
楽天株式会社 楽天大学学長/仲山考材株式会社 代表取締役
2000年に「楽天大学」を設立、楽天市場出店者42,000社の成長パートナーとして活動中。楽天市場の最古参スタッフ。2004年、Jリーグ「ヴィッセル神戸」の経営に参画。2007年に楽天で唯一のフェロー風正社員となり、2008年には仲山考材株式会社を設立、Eコマースの実践コミュニティ「次世代ECアイデアジャングル」を主宰している。
主な著書『あの会社はなぜ「違い」を生み出し続けられるのか』『今いるメンバーで「大金星」を挙げるチームの法則』

「夢中に遊ぶためのルールをつくる」のが楽しい


僕は北海道旭川市で生まれました。小学3年生の時、『キャプテン翼』の影響でサッカーが流行り、僕自身どんどんハマっていきました。

サッカー少年団のようなものはなかったので、放課後に遊びでボールを蹴っていました。毎日集まる人数も、時間もバラバラ。練習という概念もないので、チーム分けして試合をやり続けるわけですが、一方的だと負けたほうのやる気がなくなって、全体として楽しくなくなります。そこで、バランスを考えてチーム替えをしたり、ハンデになるルールを考えたりするのが僕の役目でした。

ただ、極度の負けず嫌いなので、自分は勝ち越して一日が終わるように工夫をします(笑)。とはいえ、みんなが「楽しかった。また明日も来たい」と思える状態を目指していました。そうしないと、遊びが長続きしないので。

小学4年の時、テレビゲームが流行しました。友達の家に通い詰めた結果、1年もしないで飽きてサッカーに戻りました。敷かれたレールをなぞって遊ばされるよりも、自分で遊び方を考えるほうが楽しいなと思って。

ある時、サッカーのルールブックを買って読むと、それまで知らなかったルールが出ていました。早速、試合中に「はい、それ反則!」と新知識を披露すると、みんな「えー、そんなルールあるの?」と言いつつも、それに従ってゲームを進めるようになるんです。その頃から、「ルールを知らないと損するな」と思うようになっていました。

中学生の時、大学では法律を学べるらしいと知って、法学部にいこうと思いました。中学、高校とサッカー漬けの生活を送りつつ、受験勉強に興味を持てなくて、推薦で慶応大学の法学部に入ることができました。授業は一般教養も含めて、98%出席するという変わった大学生でした。法学部だと司法試験というレールがあるので、自分も受けてみようと思い、予備校にも通い始めました。

司法試験に落ちて大学5年に。敷かれたレールから外れる


しかし、4年生の時に受けた司法試験は、1次試験で1点届かず不合格。浪人するかどうか考えた時、「そういえば試験対策がキライなんだった」と思い出しました(笑)。テレビゲームみたいに誰かが決めたルールに沿って攻略法探しをする自分がイメージできなかったので、就職しようと思いました。

就職氷河期だから卒業すると就職できないと言われて、自主留年して5年生になりました。この時、いわゆる敷かれたレールから外れたわけですが、何か気が楽になった感じがしました。「レールから外れることへの怖れ」がなくなったんだと思います。

就職をまったく考えず過ごしてきた結果、「メーカーと商社って何が違うのかな?」という低レベルの就活生が誕生してしまいました。面接で「ありがとうと言われる仕事をしたいのですが、できますか?」と質問して、何度も笑われました。50社くらい落ちて、たまたま3社に内定をいただき、「マンチェスターユナイテッドの胸スポンサーだから」という理由で大手電機メーカーに入社しました。

しかし1年ほど働くうちに、モヤモヤしてきました。新卒の割には責任ある業務を任されはしているものの、大きなプロジェクトのごく一部分なので、どうしても全体像がわからないんです。

全体がわからないと、どう工夫していいかもわかりません。自分の見える範囲で良かれと思ってやったことも「それ反則」と言われてしまう。言われたことをやるだけではつまらないし、自分でルールを決めて遊べるようになるには、全体像を知る必要があると感じました。3年やれば見えてくるかなと思いつつ、モヤモヤしながら働いていました。

そんなモヤモヤトークを一緒にしていた同期が、2年目の夏、「いんたーねっとのべんちゃーな会社にいくことにしました」というメールを残して、いなくなりました。

その翌年の4月、その同期から電話がかかってきて、「どう、そろそろ」と、転職の誘いがありました。ネットに疎い僕には何の会社かもわかりませんでしたが、「最近どう?」と聞くと、「楽しい」と言われ、「ずるい!」と思いました。「でも3年は続けようと思ってるし」と伝えると、「いまウチの会社15人なんだけど、社長が年末までに60人にすると言ってる。来年4月か……20人目と100人目って違うんだろうな」とつぶやかれて心が動き、社長に会ってみたくなりました。

3日後、三木谷さんという社長との10分ほどの面接で、「じゃあよろしく」と握手を求められ、転職が決まってしまいました。一部上場企業からよくわからないベンチャーへの転職ですが、同期とは「夢中で仕事したい」という価値観が似ていたので不安はありませんでした。むしろ、今のままくすぶり続けているほうがリスクだと思っていました。まわりからは「またレールから外れた」と思われたようです。

マネージャー業ができず、部長白旗宣言


1999年6月に入社した会社は「楽天市場」というインターネットショッピングモールを運営していて、僕は、出店しているネットショップの店長さんをサポートする係になりました。

23時からインターネットが定額になるサービスがあって、店長さんたちがサイトの更新をするので電話が鳴りまくります。日付が変わるまで働くなんてあたり前。土日もみんな会社にいて、求めていたような思い切り仕事ができる環境に、「部活みたいで楽しい!」と感じました。また、店長さんと話しながら思いつきのアイディアを言うと、しばらくしてから「この間のアイディアやってみたら反応あったよ。ありがとう!」と言われるのがうれしくて、どんどん仕事にハマっていきました。

入社半年後に、出店者向けの教育機関「楽天大学」を立ち上げました。三木谷社長から、「MBAの本質は自分で考えて動けるためにフレームワークを身につけること。その楽天版をつくりたい」と言われ、多くの事例をベースにしつつも、小手先のテクニックではない「考え方」を体系化したものです。

ただ、楽天大学では、「考え方」に加えて「店長さん同士の横のつながり」を提供することも価値だと考え、リアルな学びの場を中心に展開しました。ネットショップ店長の仕事は「孤独な闘い」で、経営者であれサラリーマン店長であれ、社内に相談できる人はなく、なかなか結果も出ないと冷たい目で見られる。そういう人がリアルな場に集まると、「自分と同じ悩みをもっている人がこんなにいたなんて!」「自分はがんばっていると思っていたが、まだまだだった!」と気づけて、元気になれるのです。

その後、部署に人が増えて、いつのまにか部長業をやるようになりました。ただ、僕は自分が納得できるクオリティにこだわりすぎて仕事を任せることができず、一人ですべて抱え込んでしまって、どんどん増える業務量にパンクしてしまいました。マネジメントを誰かに教わったこともないし、それを自分の仕事だと認識できていなかったのです。

結局、上司に「講座コンテンツづくりに注力したい」と伝え、別の人に部長をやってもらうことになりました。部長白旗宣言です。

ただ、大学留年や転職の時のように、組織の中で出世していくというレールからまた外れたことで、好きでないことや得意でないことを無理にやらずに、自由に動けるようになった瞬間でした。

正社員のまま、兼業フリー・勤怠フリーに


楽天大学が軌道に乗ってくると、次第に僕は遊軍的な新規プロジェクトの立ち上げ要員になっていきました。三木谷社長がJリーグチーム「ヴィッセル神戸」のオーナーになった際は、「神戸いきたいです!」と志願したところ、クラブのフロントに席を置いてもらえたので、ネットショップを楽天で立ち上げて1年ほど運営しました。

その後、出店者向け月刊誌の創刊や、一年ごとに3人、30人、60人と激増する新卒研修などをやりました。いずれも店長さんに協力を得る形で企画しました。地道に築いてきた店長さんとのネットワークが、いつしか自分の強みになっていました。

出店者の売上がどんどん伸びるに連れて、経営者の悩みは人や組織の問題に変化していきました。そこで、専門家とコラボして「チームビルディングプログラム」を立ち上げました。「部長白旗宣言」をした時の自分に教えてあげたい内容だからか力を入れて取り組み、ライフワークの一部になっていきました。

そのうち楽天自体の従業員が数千人を超え、またモヤモヤを感じるようになっていました。やはり大きな組織よりも、阿吽の呼吸で動けるチームで臨機応変に仕事をするスタイルが合っていたようです。

また、チームビルディングプログラムで経営者ばかりを相手に語り合うなかで、自分だけがサラリーマンであることに違和感がありました。ヴィッセルで実際にネットショップをやってみて初めてわかったことも多かったので、「会社も自分でやってみたい」と思いました。

すると、「正社員のまま、兼業フリー・勤怠フリーの働き方をしないか」と提案をもらったのです。そこで、社内唯一のフェロー風正社員となり、自分の会社をつくりました。

楽しそうに遊んでいると「一緒に遊ぼう」と誘いがくるように


自分の会社の理念は、「子どもが憧れる、夢中で仕事する大人を増やしたい」です。小学校の卒業文集の「将来の夢」に、「イチロー選手」や「サッカーの本田選手」の代わりに「近所のお店の◯◯さん」と書かれるような大人が増えたら、世の中もっと楽しくなると思うんです。「仕事を遊ぼう」というフレーズも大切にしています。

自分の会社でも、楽天でも、僕の役割は、主に楽天市場で商売をやっている人たちと一緒に遊ぶ係です。仕事に夢中になれるように、どうやったらもっと良い商売できるかを考えたり、大金星を挙げるチームになれるかを考えながら、みんなでワイワイやってみる遊びです。主なルールは「お客さんの笑顔のために」と「自分の強みを活かす」。

みんなで楽しそうに遊んでいると、違うジャンルの方々から「一緒に遊ぼう」と声をかけてくれる人が増えてきました。岐阜・佐賀・宮崎では県庁さんとコラボして、地元のネットショップ運営者を集めてコミュニティづくりをしています。高校や大学では、半期から1年にわたる授業を店長さんと一緒にやらせてもらっています。

そうした活動や、遊び仲間のお店の事例を本にして出版すると、今度はそれを読んでくれた著名な著者の方々から「何か一緒にやらない?」と誘ってもらえるようになりました。理念、ブランド、会計、脳科学などの達人に学ぶ会をやったり、変わったところでは『サッカーマガジン』という雑誌で「サッカーから学べる仕事論」の連載をさせてもらったり。

結局、やっていることは「ぬか床をかき混ぜる」ような仕事かなと思っています。固まって傷まないように新しい空気を入れたり、新しいぬかを足したり。「それはコミュニティファシリテーターだね」と言われたこともあります。難しいことはよくわかりませんが、子どもの頃のサッカー遊びとやっていることは変わらない気もします。夢中で遊ぶためのルールをつくる仕事。

理想のイメージは「公園にいつもいるおじさん」です。管理人ではないし、遊んでいる子どもに指示するようなことはないけれど、ゆるく見守っていて、たまにボソッといいことを言う(笑)。おじさんが目に見える形で何かをすることはないけれども、いることで遊びに夢中になれる。そんな存在でいたいんです。

まだ知らない方からも、「一緒に遊ぼう」とお声がかかって、面白いことができたらいいなと思います。

2015.12.08

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