排熱から電力を生み、エネルギーの循環を。唯一得意な研究で目指す、社会への恩返し。
車や船の排熱等を利用し、温度差を音波に変えて電力を生み出す「熱音響機関」の研究を行う長谷川さん。小さい頃から唯一得意だったのは、物事を観察し考えること。研究者を目指し大学院・研究所とキャリアを重ねる中で、社会への恩返しとしてエネルギーのテーマに取り組むことに決めた背景とは?
長谷川 真也
はせがわ しんや|熱音響機関の研究
東海大学工学部動力機械工学科の講師として、車や船の排熱等を利用し、温度差から音波を発生させて電力を生み出す「熱音響機関」の研究を行う。
※本チャンネルは、TBSテレビ「夢の扉+」の協力でお届けしました。
TBSテレビ「夢の扉+」で、長谷川 真也さんの活動に密着したドキュメンタリーが、
2015年12月13日(日)18時30分から放送されます。
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自分が唯一得意なこと、研究者を目指した学生時代
私は新潟県新発田市に生まれました。小さい頃から木々や花や虫等、身の回りのものを観察して自分なりの発見をすることが好きな子どもでした。答えを出すには沢山の時間が必要で、どんな物事も自分が納得するまでゆっくり考えていました。道に落ちている石を観察して、「なんでこの形なんだろう?」と考えこむこともありましたね。
そういったマイペースな性格だったので、学校の先生からは怒られてばかりいました。お弁当を食べるのが遅かったり、列に上手く並べなかったり。納得してから動き出すタイプで、決まった時間でこうしなさいと指示されることが得意ではありませんでした。母だけは「そういう部分があってもいいんじゃない」と許容してくれていましたが、周りからは「大人になったらお前はダメになる」と言われていて、自分はどうなってしまうんだろうと不安でしたね。
そんな中でもずっと私の中での唯一の希望が研究でした。時間をかけてじっくり観察したり考えたりすることは得意だから、研究者になれば、自分でも社会に価値を提供できるんじゃないかと考えたんです。高校卒業後は工学部で物理を勉強したいと思い、東海大学の工学部動力機械工学科に進学しました。
大学では、一つの分野に時間をかけてじっくり取り組めるということで、私の性格と合う環境で、成績はトップクラスに。急に優等生になりました。高校までの1時間の授業だと、調子がやっと乗ってきた時に終わってしまうイメージでしたが、大学では勉強の仕方の歯車があった様な感覚でした。今まで上手く行かなかった分を取り戻すかのように、生き生きと勉強に打ち込んでいきました。気づけば悩みも小さくなっていき、将来は自分の得意分野でやっていけるだろうという感覚を持てるようになりました。
自らの研究を社会の価値に繋げたい
研究者になりたいという思いは大学に入ってからも変わらず、修士課程、博士課程へと進学しました。研究テーマは、「磁気浮上」と呼ばれる、リニアモーターカーのように磁力でものを浮かせることに関する分野を扱いました。現象の不思議さへの知的好奇心だけでなく、教授や仲間に恵まれていたこともあり、毎日夜11時まで、土日も研究に打ち込みました。
大学院にいるうちに、博士課程修了後は企業の研究所で働きたいと考えるようになりました。アカデミックな研究は大好きでしたが、研究を社会に活かす部分に注力したいという思いもあり、企業の中で研究に没頭したいと考えたんです。ちょうど、尊敬する友人から「君に向いている」と、いすゞ中央研究所を薦められ、なんとか内定をいただくことができました。
入社後は、魅力的な上司と巡り会い、非常に恵まれた環境で研究に携わることができました。入社前から研究がしたくて仕方なくて、勝手に総務に電話をかけて研究所に遊びに行っていたのですが、その時から面倒を見てくれていた山本さんという方の元で研究に取り組むことになりました。山本さんは研究の申し子のような方で、「長谷川くんのペースでやればいいよ」と、一ヶ月同じ数式と向き合う様なことを許してくれていました。
私が会社で研究テーマとして定めたのは、「熱音響機関」という、温度差から音波を発生させ、その波動で電力を生み出すという再生エネルギーの研究でした。社会でも大きな課題となっているエネルギー問題について、自らの研究を通じて価値を提供できればと考えたんです。いすゞはトラックを扱う会社だったこともあり、会社にとっても意義の大きい究テーマでした。
研究を続けたい、自分の存在意義のため32歳で大学へ
温度差から音波を「高効率」で発生させる熱音響機関の研究は、1999年に論文で発表されていました。しかし、高い効率を得るためには700℃以上の熱が必要で、一般的な産業の排熱は300℃程度のため、実用化に至ってはいませんでした。そこで、もっと低い温度で熱音響を作り出せないかと考え、300℃でも機能する仕組み作りに取り組みました。
熱音響現象自体は非常に起こりにくい現象のため、最初の1年は装置がまともに動きませんでした。社内の人が見学に来ても、「何の役に立つの?」という感想でした。それでも、低い温度差でも高い効率で電力を生み出せるよう、熱音響機関を直列で配置し、乗数的に音響パワーを増幅させる、という理論を数値計算で作っていきました。
ところが、研究に打ち込み3年程経った頃、会社の方針で、研究所の社員も3年間は本社に出向するという制度が施行されることになりました。周りからは良い経験になると薦められたものの、私自身はすごく不安でした。ちょうど研究の手応えが出てきて、これからというタイミングで研究を離れることに対する強い抵抗もありました。自分が全力を尽くしたい時にそれができないのでは、存在意義が無い、と。ちょうどそのタイミングで東海大学の工学部で公募が出ていることを知り、大学に戻って研究を続けることを考え始めました。
ひとつだけ気にかかったのが、ずっとお世話になっている上司の山本さんや会社の他の方に迷惑がかかることでした。ある日の夜、山本さんに電話をして、大学に戻って研究をしようと考えていることを伝えると、「長谷川君はきっとそのほうがいいだろう」と言ってくれました。さらには、「私は企業で研究を続けるから、共同研究をしよう」という言葉までもらいました。その後押しで心が決まり、32歳のときに会社を辞めて東海大学で働くことに決めました。
子どもが生きる次世代のため、研究で社会に恩返しを
東海大学では自由に研究することができ、前職時代からの研究に継続して取り組むことができました。いすゞ中央研究所の山本さんをはじめとする前職の研究チームが共同研究に取り組んでくれ、前職で作ったベースをより最適化させていくことに打ち込みました。
大学に移って2年目に、「世界で最高の熱音響機関を作ろう」と宣言。学生にも協力してもらいながら、計算式に基づいた構築を行っていきました。
2012年に300℃の温度差でも高い効率で音波を生み出すことに成功し、プレス発表で成果を世の中に発信することができました。実用化という意味ではこれからが正念場だと思いましたが、お世話になった周囲の方々に「やっとスタートに立ちましたよ」と報告できました。
発表後、自動車や造船業・ガス業界等、工場からの排熱を活用したいと考える民間企業が複数、共同研究に参画してくださることになり、更に科学技術振興機構の助成金をいただけるようになりました。実用化できた場合の例として船を挙げると、船はディーゼルエンジンで高いコストがかかることに加え、魚を保存しておく船内のいけすの温度を保つためにもコストを要しています。エンジンの排熱を音波に変えて、その音波で冷蔵することができれば、エネルギーを循環させることができるんです。他には、工場でも、それまで捨てていた熱を再循環させ、低炭素化につながることが非常に大きな注目に繋がっています。
小さい頃から研究者を目指し、自分が社会に恩返しできる唯一の分野が研究だと考えていました。そして、どうやったら社会のためになれるだろうと考えて辿り着いたのが、人間にとって深刻な問題であるエネルギーというテーマでした。また、子どもが生まれてからは、「次世代のために」という思いが強くなりました。私の子どもも、私と同じように落ち着きが無く、ゆっくり物事を考える子どもです。人間は繰り返していく。だからこそ、今自分ができることは、未来のためにエネルギーの無駄を少しでもなくすことだと考えています。
自分が唯一出来る「研究」という形で社会に価値を生み出すため、これからも全力を尽くしていきたいです。
2015.12.07