私は東京都新宿区で生まれ、小さい頃からたび重なる引っ越しをしました。小学校に入学してからも関東・東海地方と転校を繰り返し、故郷や幼馴染というものがありませんでした。中学校でこれ以上は転校したくないという想いが強くなり栃木県にある私立の中高一貫ミッションスクールに入学しました。

ところが、ミッションスクールのお嬢様学校という雰囲気や伝統的な制度が肌に合わず、徐々に学校から離れていきました。アウトローな生活をしており、中学高校時代はほぼ学校に行かなくなりましたね。ロック喫茶に入りびたり、自分で書いた詩を路上販売したりしました。

それでも、学校生活の中で唯一演劇だけは力を入れていました。実は、授業中の朗読が得意分野で、シスターが才能を見出してくれたんです。校内の演劇祭では主役に選ばれたり、声を生かして放送部に入ったりもしました。

そんな日々だったため、当然高校卒業時は出席日数が足りず、卒業式後にも出席単位稼ぎで学校に通っていました。そのため、大学進学自体は元々頭になかったです。シスターからは、「朗読の表現力を生かして、劇団に入ってはどうか?」という勧めもありましたが、表現の世界に興味はあるものの、人前に出るのは好きではなかったのです。

高校生頃から東京のアンダーグラウンドカルチャーに接していたので、卒業してからは東京に出ていきました。カウンターカルチャーの聖地西荻窪を拠点に、ベトナム戦争の反戦から始まった、ヒッピー文化を吸収したかったのです。私は戦時中の苦労をした両親から、その反動のように金銭的な豊かさを受けて育ったので、金銭に支配されないことが大切かなと思いました。商業主義を捨てるヒッピー文化もそのひとつでしたね。

また、幼少の頃の経験から社会は保守的で、変わろうとしないと感じていました。引っ越しが多く、どの土地でも異星人だったため、世の中を窮屈に感じていたんです。もっと自由に、のびのびと生きるには「自分だけの表現」を、周囲の大人がいなくても生きていける「仕事」として持ちたいと思っていました。それが、表現の世界に入ったきっかけでした。

そこで、その夢にも近づこうと、編集のアルバイトをしたいと思い始めたのですが、高卒未経験では求人がなく、エディタースクール3ヶ月間コースに通いました。校正、レイアウトなどの編集のハード部分を学べる学校です。それからは、編集アルバイトをしながらカウンターカルチャーの世界に触れていきました。瞑想や精神世界など、自分の内面への興味が大きかったと思います。生産的でないことにしか興味がありませんでしたから、社会からはドロップアウトですね。