生き方が交差する場作りで、日本を盛り上げる。「過去の自分」を救うため、銀行員から起業へ。

ベンチャー企業の経営者と、大手企業で活躍するビジネスパーソンが1対1で語り合う場を設けるマッチングサービスを運営する川元さん。新卒で銀行に入社し、将来のキャリアを悩む中、ベンチャー企業に出会うことで受けた衝撃。「過去の自分を救うことが一番のモチベーション」と語る背景にはどんな思いがあるのでしょうか?

川元 浩嗣

かわもと ひろし|ソーシャルマッチングサービス運営
ベンチャー経営者と語り合う「X-エックス-」を運営する株式会社Mi6の代表取締役を務める。

物事を好きになるのが得意な性格で、勉強に没頭


私は山口県岩国市に生まれ育ちました。小さい頃から知的好奇心が強く、物事を好きになるのが得意な性格で、小学校ではどの教科もまんべんなく好きでした。また、周りに受験をする友人が多かったこともあり、私も中学受験を経て、広島県にある中高一貫校に進学しました。

その後も性格は年を重ねても変わらず、入学したときは下の方だった成績が、勉強に打ち込むことで常にTOP20に入るように。ただ単に学校の勉強が面白いということに加え、順位等の結果が出ることに対する競争意識に駆り立てられる面もありました。

一方で、田舎にある山の上の学校で勉強に打ち込んでいたため、将来についてのイメージはあまり明確ではありませんでしたね。まずは一番偏差値の高い学校を目指そう、その先は国連か外務省か弁護士か、特に肌感覚があるわけでもなく、いい大学・大きな組織というメインストリーム志向でした。

しかし、世間知らずで塾にも通わず大学受験に臨んだ結果、東大の受験は不合格に。「これでもう1年か」と肩を落としていると、親や先生から説得されてもう一校だけ受験した、慶應大学法学部の補欠合格の通知が届いたんです。元々は一校しか受けないつもりでいたものの、その通知を受け取ると、涙が出る程嬉しく感じました。これから1年、紙と向き合うのではなく、人と向き合って前向きに過ごしたいと感じるようになり、そのまま慶應大学への入学を決めました。

実際に大学入学とともに上京してみると、人の多さやビルの高さに驚きましたね。また、テニスサークルに入ってみると、高校まで男子校だったので、学内に女子がいるということが新鮮でした。何より、周りは自分よりも随分と世間を知っており、そのギャップに驚きながらも、次第に馴染んでいきました。

自分の基盤が揺らがせ得る財政問題への関心から、新卒で銀行へ


大学3年生を迎えてからは計量政治学という分野のゼミに所属することに決めました。ゼミの選択を考えて課題を行っている時に財政投融資という仕組みを知り、問題意識を感じたのがキッカケでした。元々、旧大蔵省の時代に郵便貯金のお金が自由に使われていて日本の財政悪化に響いており、「何故こんな債務があるんだ」と感じたんです。2005年時点で、国民1人あたり約450万円の借金を抱えているような状況で、これが勝手に作られたというのは許せないという思いがありました。

また、個人的に、自分の基盤が崩れることへの恐怖心を幼い頃から強く感じることがありました。最初は、小学校低学年のある時に夜中に目を覚ましてみると両親が壮絶な喧嘩をしており、もしかしたら離婚するかもしれないと感じたんです。それまでもそれからも仲良く過ごしていたので、私の杞憂に終わったものの、その時は生活の基盤が崩れるような恐怖がありました。そして、高校2年生の芸予地震の時には、ちょうど電車に乗っており、すごく揺れて倒れるかもしれないと感じたことがありました。さらに、電車を降りてみるとそこは川の手前で、これはいつ死ぬか分からないかもしれないと感じました。

そういった意味で、一人一人の人生から成り立つマクロ経済において、財政問題から自分の人生の基盤が崩れることへの不安感があったんです。そこで、国の歳入を増やすか歳出を減らすことに貢献しようと考えた結果、後者を司る官僚になっても、自分一人でできることが少ないかもしれないという感覚がありました。逆に、歳入を増やす方であれば、自分でもより大きなことが出来るかもしれないと。

そんな背景から、ゼミでの勉強も踏まえて銀行に関心を持つようになり、特に法人営業で企業の活性化を行いたいと考えるようになりました。そして、就職活動では一人当たりの収益力が一番高い環境を探し、三井住友銀行に入行することを決めました。入行前に15人前後の社員の方に会わせていただき、エネルギーがある人が多かったという面も決め手でした。

銀行での葛藤、ここから逃げたら逃げ続ける人生になる


入行後は新潟の法人営業部に所属することが決まりました。実際に働き始めると、思っていたのとギャップが大きかったですね。厳しい所だと覚悟はしていたものの、想像以上に厳しい環境で、数字を上げなければいけないというプレッシャーと戦い続けました。高い目標を掲げながらも、自分が請け負った数字は達成したいという思いもあり、同期に支えながら業務に打ち込む日々を過ごしました。

その後2年半ほど働いた後に新橋法人営業部に異動に。それまで以上に数字に厳しい環境で、本当に限界まで追い込まれながら仕事をいていました。また、何よりお客さんとwin-winを築けないような売上の立て方に強い疑問を感じており、目標のために銀行が儲けるためだけの営業にならないよう、必死に自分のポリシーを貫きました。

正直折れそうになることもありましたが、転職等を考えることはありませんでした。ここから逃げたら、これからも逃げ続ける人生になってしまうという危機感があったからこそ、なんとか前向きに、満足できる形で成果を上げて克服したいという思いがあったんです。

また、将来はぼんやりと起業に関心を抱きつつも、自分がしたいことが分からなかったため、あまり明確に道筋を描けずにいました。そんなある時、営業の一環で未上場のベンチャー企業のオフィスに伺う機会があり、衝撃を受けました。そのオフィスにはステージがあったり楽器が置かれていたり、非常に自由な雰囲気だったんです。さらに、会社自体も急速な成長を続けた結果、その後すぐにその会社は上場を達成し、「こんなに生き生き働き、結果を出す人がいるんだ」と驚きました。

自分自身、会社で少しずつ評価を得ながらも、どう生きていこうか悩んでいた部分があったため、こうやって生き生きと働ける人が増えるような事業を起こしたいと考えるようになっていきました。

「生まれてくる子どもに、仕事が楽しいと言えるか?」


そんな時、妻の妊娠が分かりました。そして、これから生まれてくる子どもに仕事が楽しいかと聞かれて、自分はイエスと言えるだろうかと自問してみると、答えはノーだったんです。そこで真剣に自ら起業することを考えるようになりました。

すると、ちょうどそのタイミングで、ある起業のアイデアが降りてきたんです。それは、ベンチャー企業の経営者と、大手企業で活躍するビジネスパーソンが1対1で語り合う場を設けるマッチングするというものでした。元々、法人営業を行う中で会社は経営者の器だという感覚があり、自分が生き方を変えるなら、経営者と1対1で会いたいという思いがあったんです。更に、市場で趣味等を介して集うソーシャルマッチングサービスが流行り始めていたことも追い風に感じました。まるで娘が機会を運んできてくれたような感覚でしたね。

それからは本格的に起業準備を考えるようになり、仲間6人を集めて事業のディスカッションを始めました。ところが、仲間内での本気度に差があり、結局途中で解散することに。自分が会社を辞めてフルコミットをしていないから周りも本気になれないという状況に課題感がありました。

しかし、そんな中、解散から半年ほど経ったタイミングで、チームの中にいたあるエンジニアから、「webのモック(試作)を作ったので見てもらえませんか?」という電話をもらったんです。彼の思いに感激した私は、2人でもう一度本格的にやっていこうと決めました。

さらに、自分が望んでいた形で業務の成果が出せるようになってきたことも一つの後押しとなっていました。取引先と銀行が一緒に発展する事例をいくつか実らせることができ、それまで積み重ねた努力が花開き、全国の営業トップ賞をいただくことができたんです。一緒にやってきた仲間にささえられて皆の代表として賞をもらうことができ、長年の積み重ねが実を結び、すごく嬉しかったですね。

その後、元々手を挙げて決まっていた子会社のベンチャーキャピタルへの異動を経て、半年働いた後退職し、2人で株式会社Mi6を設立しました。

「過去の自分」を救うサービスを


現在は、「一人一人が本来の生き方を取り戻す そして、 日本から世界を変えていく」というビジョンのもと、ベンチャー経営者と語り合う「X-エックス-」というサービスを運営しています。具体的には、大企業のエースクラスをベンチャーに送ることを目的に、ベンチャー経営者と大企業のエースがパワーランチ・パワーディナーをガチでサシで行うサービスを行っています。

ベンチャー経営者側は資金調達が終わったアーリーステージからレイターステージを念頭に置いており、従来の人材サービスでリーチできない人にアクセスできるというのが大きな利用動機です。私が直接話をすることで、ビジョンに共感していただける方に登録いただいています。

大企業のエース人財側に関しては、以前の私をロールモデルに想定しています。大企業で成果は出し、給料もそれなりの水準ながらも、どこか生き方に疑問がある、今がいやで逃げ出したいというよりも、本来的な自分のやりたいことに気づいていない人をターゲットにしています。

ベンチャー企業自体は日本の中でマイナーな存在ながら、最近はニュースや政府の発信でも目にする機会が増えています。とはいえ、どういう人がやっているのか、どんな活動をしているのか知らないし、1対1で、本気生き方を語り合う機会等中々ありません。だからこそ、悩みを抱える人がユニークな会い方でベンチャーに飛び込むことで、日本自体を盛り上げていくことに繋がればと考えています。

まずは知人から初めて最近では紹介やイベントを通じて登録していただける方が増えています。大事にしているのは、ビジョンに共感したユーザーが登録してくれることなので、こちらも直接会ってから登録をしており、高いレベルでの共感を維持していきたいという思いがあります。webとリアルの両輪で回すことで、ユーザーコミュニティの文化を作っていきたいですね。

実際に事業を始めてみて、新しいサービスだからこそ知ってもらい使ってもらうための苦しさは感じながらも、やりたいことをできている楽しさの方が大きいですね。まさに、死んでも悔いが無い生き方が出来ている感覚があります。

一番のモチベーションは、「過去の自分」を救うこと。結果に繋がるアプローチをしながらも、生き方や所属組織に疑問を抱えている人にとって、生き方が変わるサービスになれればと思うんです。私自身自分の選択に後悔はしていないものの、同じ力をベンチャー企業で注いでいたら社会にインパクトを与えられたかもしれないというのも本音です。人生の4分の3を占める仕事は生き方そのもの。だからこそ、その時間をもってその人がもっと社会にインパクトを与えることが出来、結果的に日本が盛り上がることにも繋げていきたいです。

今後は、この事業以外にも、食や学童保育・宇宙の分野で事業を立ち上げることを決めています。これからも、その使命を達成するために自分の人生を費やしたいですね。

2015.11.11

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