私は東京都世田谷区に5人兄妹の次男坊として生まれ、町田市で育ちました。小さい頃から身体が弱く、弟にすぐさま身長を抜かれてしまうような子どもで、「元気でいてくれればいい」と言われていました。そのため、「勉強をしなさい」などと言われることもなく、自由な性格になっていきました。

ぼーっとしていて、いつも学校の授業は上の空。雲が流れていく様子や、煙突から出る煙を観察しているのが好きで、「なんでこういう形になるのかな?」ということをよく考えるようなタイプ。好奇心が強く、通り過ぎる電車や自動車の警笛音の変化が気になってしまうこともありました。そこで、父と兄に自らの疑問を尋ねてみると、「一般相対性理論」の話をされたんです。それ以来、物理に関心を抱くようになっていきました。

そんな背景もあり、運動は苦手で、体育の授業等の徒競走ではいつも最下位グループで、横の友達と笑いながら走っていました。しかし、小学4年のある時、先生から「へらへら笑わずに、思いっきり走ってみろ」と言われ、よくわからないながらも足をしっかり上げて走ってみると、速かったんです。そのため、次第に陸上競技や野球などのスポーツにも打ち込むようになっていきました。

また、小さい頃から母が色々な楽器を演奏していたため、3歳で母からピアノやオルガンを習い始め、小学生になってからは洋楽に関心を持つようになり、バンド音楽を聴くようになりました。次第に自らもバンドを始めるようになり、ギターやベース・ドラム等どんな楽器でも演奏するようになりました。人と競うことが苦手な性格だったため、みんなが選ばない余った楽器をやろうと考えていたら、結局なんでもやるようになっていったんです。

そんな風に、幅広い方面に関心を持ちながら、高校は少し休んでも卒業できそうなところを選び農業高校に進みました。野球も音楽も引き続き力をいれるものの、プロになろうという思いはありませんでした。やはり、自分よりすごい人が多数いる分野はいやだという感覚があったんです。将来については迷いが多く、イメージは固まっていませんでしたね。

そこで、高校に通いながら、父が定年退職後に趣味程度で作った貿易会社の手伝いを始めることにしました。最初は主に輸出の手続き業務から始めたものの、仕事上で技術系の話が出てくることが多く、元々物理にも関心が強かったので、理系の勉強を積極的に行うようになっていきました。そして、理論物理の世界にのめりこみ、自分で分からないことはその道の権威の方に話を聴きにいくようにもなりました。特に、ある流体工学分野の先生に出会ってからは、もっと勉強したいという気持ちが強くなり、師事をさせてもらうようになりました。