工業用のエアノズルから水耕栽培のメロンまで。人を喜ばせるため、競わない独自の研究開発を。
東京都町田市にて、土を用いず水中で栽培を行う「水耕栽培」で1本の株から40~60個ものメロンを育てる、まちだシルク農園の代表を務める林さん。好奇心旺盛で人と競うことが嫌いな少年時代を経て、25歳で会社を設立。工業機器の領域で研究開発を行っていた林さんが、メロンのオリジナルブランドを立ち上げたキッカケとは?お話を伺いました。
林 大輔
はやし だいすけ|メロンの多収穫水耕栽培
フラットエアーノズル及び熱風発生機、熱風発生用ヒーター等を中心とした研究開発を行う大浩研熱株式会社の代表取締役を務める傍ら、東京都町田市を拠点にメロンの水耕栽培を行う株式会社まちだシルク農園の代表を務める。
※本チャンネルは、TBSテレビ「夢の扉+」の協力でお届けしました。
TBSテレビ「夢の扉+」で、林 大輔さんの活動に密着したドキュメンタリーが、
2015年11月15日(日)18時30分から放送されます。
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好奇心旺盛で自由な少年時代
私は東京都世田谷区に5人兄妹の次男坊として生まれ、町田市で育ちました。小さい頃から身体が弱く、弟にすぐさま身長を抜かれてしまうような子どもで、「元気でいてくれればいい」と言われていました。そのため、「勉強をしなさい」などと言われることもなく、自由な性格になっていきました。
ぼーっとしていて、いつも学校の授業は上の空。雲が流れていく様子や、煙突から出る煙を観察しているのが好きで、「なんでこういう形になるのかな?」ということをよく考えるようなタイプ。好奇心が強く、通り過ぎる電車や自動車の警笛音の変化が気になってしまうこともありました。そこで、父と兄に自らの疑問を尋ねてみると、「一般相対性理論」の話をされたんです。それ以来、物理に関心を抱くようになっていきました。
そんな背景もあり、運動は苦手で、体育の授業等の徒競走ではいつも最下位グループで、横の友達と笑いながら走っていました。しかし、小学4年のある時、先生から「へらへら笑わずに、思いっきり走ってみろ」と言われ、よくわからないながらも足をしっかり上げて走ってみると、速かったんです。そのため、次第に陸上競技や野球などのスポーツにも打ち込むようになっていきました。
また、小さい頃から母が色々な楽器を演奏していたため、3歳で母からピアノやオルガンを習い始め、小学生になってからは洋楽に関心を持つようになり、バンド音楽を聴くようになりました。次第に自らもバンドを始めるようになり、ギターやベース・ドラム等どんな楽器でも演奏するようになりました。人と競うことが苦手な性格だったため、みんなが選ばない余った楽器をやろうと考えていたら、結局なんでもやるようになっていったんです。
そんな風に、幅広い方面に関心を持ちながら、高校は少し休んでも卒業できそうなところを選び農業高校に進みました。野球も音楽も引き続き力をいれるものの、プロになろうという思いはありませんでした。やはり、自分よりすごい人が多数いる分野はいやだという感覚があったんです。将来については迷いが多く、イメージは固まっていませんでしたね。
そこで、高校に通いながら、父が定年退職後に趣味程度で作った貿易会社の手伝いを始めることにしました。最初は主に輸出の手続き業務から始めたものの、仕事上で技術系の話が出てくることが多く、元々物理にも関心が強かったので、理系の勉強を積極的に行うようになっていきました。そして、理論物理の世界にのめりこみ、自分で分からないことはその道の権威の方に話を聴きにいくようにもなりました。特に、ある流体工学分野の先生に出会ってからは、もっと勉強したいという気持ちが強くなり、師事をさせてもらうようになりました。
エアーノズルの技術が成果を生み、25歳で会社設立へ
高校を卒業後は、そのまま家業を手伝いながら、関心のある分野の勉強を師のもとで行い、野球では実業団でプレーし、音楽でもプロのバックバンドをするような生活になりました。元々、父が有名大学を出ていながらも、戦争等で苦労した経験があったため、学歴に対してのこだわりはありませんでしたね。
ただ、家業の手伝いといっても、元々の事業を継続するというよりは自分の興味で新たな研究開発を行っていくようなイメージで、特に父が病気をしてからは一層深く関わるようになっていきました。
すると、ある時、師事している先生から印刷業界の会社で必要とされている技術の研究開発についての仕事をいただきました。元々、紙の印刷時に、印刷機の中でニスを塗っていた所、環境衛生の基準が変わり、特定の種類のニスが使えなくなり、水性のものを瞬時に乾かすことが必要になりました。しかし、ヒーター等を入れてみてもうまく成果を出す事が出来ない状況。そんな中、教授から仕事を任され、エアーノズルで熱風を吹き出し、0.2秒で通過する紙を乾かす技術の開発を行うことになりました。
そこで、空気の流れの強さや波動、噴射、吸引する角度、熱伝達のメカニズム等を最適化させたエアーノズルを新規に開発すると、試作品がうまく作動し成果を出すことが出来たんです。そして、設計図も公開しておしまいかと思いきや、製造工程の技術も特殊だったため、製造まで依頼を受けるようになりました。
そんな背景から注文が急に増えていき、個人企業ではなく本格的に会社にしなければということになり、25歳のタイミングで大浩研熱株式会社を立ち上げ、特許を出願しました。水切りや乾燥、加熱などの作業を速く、正確に、効率良く行うことを追求していたため、先端産業の製造ラインで活用していただき、事業は軌道に乗っていきました。
ただ、会社を大きくしたいという思いは特になく、設立後も音楽や野球を続け、大手企業の傘下に入ることをお断りすることもありました。制約のない自由な発想で、競争がなく、新規性の高い事業を続ける道を選びました。
農商工連携事業で、メロンの多収穫栽培槽に挑戦
会社は町田市を拠点としていたため、1社としての活動だけでなく、開発型中小企業が連携してより高度な事業展開を図る「まちだテクノパーク」に所属したり、2007年からは町田商工会議所工業部会の部会長も務めるようになりました。とはいえ、リーマンショックの影響等もあり、市況は良くない状況であまり活動は盛り上がっていませんでした。
そこで、たまたま研究を行っている知人と話していた、「水耕栽培」という、土等の固形培地を必要とせずに水中で栽培を行う方法について、まちだテクノパークの研究テーマとして提案することにしました。栽培を行う水槽の中では、根に液体肥料の養分が行き渡らないとダメになってしまうため、その中の理想的な水の流れはどのようなものなのだろうという点に、個人的に関心があったんです。水耕の野菜作りは多数挑戦されながらも、水っぽくて味が薄いという評価もあり、料理のプロから酷評を受けることもある状況。まだまだ進化する余地があるんじゃないかという思いがありました。
すると、そのテーマに対しての盛り上がりは大きく、他社の先行事例を分析し、商工会議所でも研究目的で水耕栽培のプロジェクトを始めようという話になりました。そして、個人的には高菜やゴーヤ等、相性が良いものを検討していたのですが、「誰も挑戦したことが無いものを」という声から、メロンの水耕栽培を行うことになったんです。「そんな無茶な」というのが正直な感想でした。水耕栽培では成功した事例がなく、今までに挑戦した方も1・2年程度で止めてしまっていたんです。ただ、業界の先行企業である協和株式会社さんの協力が得られ、農商工連携事業で立ち上げようという話が盛り上がったこともあり、実際にプロジェクトを立ち上げ、メロンの水耕栽培にチャレンジすることになりました。
ところが、実際に挑戦してみると、メロンが成長するほど栽培槽に根がぎっしりと張ってしまい、水の流れにバランスを欠く状況が生じ、最終的には根が腐ってしまったんです。収穫間際にも関わらず、カビが生えてきて実が落ちてしまい、中身も全く甘くない状況に。「これまでチャレンジした人はこういう気持ちを味わってきたんだ」と感じましたね。
目の前の人を喜ばせるための、オリジナルな研究開発
しかし、失敗はしながらも、手応えも感じていました。根を腐らせないようにすることは出来るんじゃないかという思いが残っていたんです。連携事業としての取り組みは終わり、集まってきた人が引いていく中、それと反比例するように再挑戦への好奇心は強くなって行きました。ほとんどの人が失敗だと思っているものの、ここで止めるのは面白くないという思いもあったんです。
そこで、自社で資金を出して温室を借りてもう一度設計を開始することに決めました。重要なテーマは理想的な水の流れ場の形成だったので、エアーノズル等で培った自社のコア技術を転用して、水面の揺らぎを作る仕組みの開発に取り組んだんです。これならばいけるのではないかと熱中していきました。
するといきなり、4kgもあり糖度も高いメロンを収穫することが出来たんです。商工会議所や市の職員の方に見せにいくとすごく驚かれ、話はすぐに市長のもとへ。それからは「まちだシルクメロン」として、市長室近くに展示され、説明のパネルを制作したり、次に挑戦した回でも糖度が高いものが収穫できると、市でも発信を大々的に行うようになり、試食会が開催され、マスメディア等でも取り上げられるようになっていきました。
現在は、大浩研熱株式会社に加え、(株)まちだシルク農園の代表も務め、「まちだシルクメロン」の研究開発に力を入れています。「まちだシルクメロン」プロジェクトは栽培設備の原型完成、高糖度・高品質の実現まで辿り着きましたが、まだまだ安定供給までの道程と品質の維持等改善の余地が多くあります。
特に、長期的に町田に根付いて、設備も増えていきオリジナルブランドとして広まっていくことが目標のため、自分が生きている間に叶わないかもしれませんが、追いかけていきたいですね。ちょっと失敗しても、粘って揺さぶっていれば隙は出てくるので、努力を続けていきたいです。
「まちだシルクメロン」は土の栽培とは発芽から収穫までの栽培プロセスが大きく異なるうえ、品質も瑞々しく味の深みが出ています。ですから従来品と比べたり、競合したりではなく、全くの新種、オリジナルブランドとしての位置づけが妥当と考えています。独自のブランドとして質を突き詰めていくことに関心がありますし、なにより目の前の人が喜んでくれることをひたすらやっている感覚が強いですね。人から求められる分野で、自らの関心があるオリジナルな研究開発を用いて成果に繋げていく、そんなことを続けていきたいです。
2015.11.09