女優・鼓奏者として、自分の表現を追求する。後悔しないため、夢を追いかけて見えたもの。

女優としてドラマや映画等に出演しながら、歌舞伎囃子住田流名取として、鼓(つづみ)等の和楽器奏者としても活躍する木田さん。5歳で和楽器、7歳で初めて舞台に立ち、自分の身体を通じた表現の追求に没頭していく日々。不安を抱えながらも上京して夢に挑戦する木田さんが歩んだ道のりとは?お話を伺いました。

木田 ゆきの

きだ ゆきの|女優・和楽器奏者
舞夢プロに所属し女優としてドラマや映画を中心に活動を行う傍ら、歌舞伎囃子住田流名取 住田長ゆき(すみた ちょうゆき)として、鼓(つづみ)等の和楽器奏者としても活動を行う。

舞台で見つけた、表現の楽しさ


私は愛知県名古屋市で生まれ育ちました。祖母が伝統芸能の師匠であることから、生まれた頃から家では長唄や三味線の音色が、子守唄代わりのように鳴り響いていました。私自身は3歳から長唄、5歳から三味線を始め、日本の芸能に触れていくようになりました。その後、他の和楽器も習った方が芸の幅が広がると祖母に薦められ、9歳から歌舞伎囃子住田流にて鼓・大鼓・太鼓を習い始めました。

そんな祖母の影響からか母も表現をすることが好きで、娘と何か一緒にしたいと考えていたらしく、私が7歳の時「名古屋市民ミュージカル」という舞台のオーディションに連れて行ってもらいました。気付けば母と一緒にオーディション会場にいた、という感じで状況をあまり理解していなかったのですが、合格通知を頂き2人で舞台に立てることになりました。それが初めての舞台でした。

そのミュージカルは結婚式をテーマにしたドタバタコメディで、私が演じたのはわがままな子どもの役。踊ったり走り回ったり、元気いっぱいに演技をすることはとにかく楽しかったですね。母が傍にいてくれているのも嬉しかったですし、まるで日常に舞台があるような感覚でした。

それ以降、母と一緒に名古屋の劇団に参加させてもらい、色々な舞台に出演するようになっていきました。中には戦争がテーマの作品で、疎開し母親と離れる役を演じ、自分には苦しい内容もありましたが、演技への前向きな気持ちは変わりませんでした。舞台上で自分の身体と言葉を使って伝えることがとても楽しく、毎回没頭していました。

その後中学に進学してからは、またまた母が薦めてくれたNHK『中学生日記』のオーディションを受けることになりました。ただ、おてんばだった幼少期とは一転、友達から「体調悪いの?大丈夫?」と心配されるようなタイプになっちゃっていたんですね。なぜか。その外見でオーディションは緊張していたので、声が小さかったり、自己PRもままならなかったり、自分でもがっくりする位だったんです。そのため、合格通知を目にした時は本当に驚き戸惑いましたが、「映像の現場に行けるんだ!」ととても興奮しました。

実際に撮影が始まり、初めてスタジオに入った時、舞台とは全く違うピリッとした緊張感を感じました。舞台よりも空間が狭まり、スタッフ、演者の気持ちがより一点に集中する、という雰囲気でそれはとても心地よかったです。カメラ越しに何度か演技を繰り返し、いざ出来上がった作品を自宅で見る。舞台とは違う方法で作品を作っていく段階が楽しく、もっとやりたいなという思いが強まっていきました。

女優という夢を追いかけ、24歳で上京


しかし、中学卒業と同時に『中学生日記』も卒業を迎え「これが終わったらどこで演技をすればいいんだろう?」と考えるようになったんです。非常にやりがいのある経験だったからこそ、もっと色んな現場で演技をしたいという気持ちがありました。

そこで、カメラマンの叔父に相談し薦められたのが、東京・名古屋・大阪・福岡に拠点を構える舞夢プロ。高校生の時にオーディションを受けて所属させていただくことに決まりました。

事務所では演技だけでなくリポーターも任せていただき、少しずつ仕事の幅が広がっていきました。色々な方のお話を伺い刺激を受けましたし、コミュニケーションの大切さを学びましたね。また、高校ではチアバトン部に所属することで以前よりはつらつとしていき、「大丈夫?」と言われることも減っていきました。

高校を卒業後は、和楽器を習っていることで日本文学に興味があったため、県内の私大の日本文学科に進学しましたが、芸能活動を続け将来は女優になりたいという思いは変わらず、ドラマやCM、情報番組のリポーターを中心に仕事も続けていました。

その後、大学生活も終盤を迎え周りが就職活動を始める中、「私は何がしたいんだろう?」と改めて考えてみると、やはり、芝居の仕事をしたい。それで食べていきたい。という気持ちが強くありました。もしそれを諦めて企業に就職したら、後悔が大きいと感じたんです。また家族も「やりたいところまでやっていいよ」と背中を押してくれたため、アルバイトで資金を貯めて上京しようと決めたんです。

大学を卒業後は芸能活動をしながら飲食店のアルバイトを2年間続け、24歳の頃目標の金額が貯まったので、いよいよ上京できるタイミングとなりました。

上京の不安と、初めてもらった役


上京当日は家族に引っ越しを手伝ってもらいました。早朝に名古屋を出発、東京に到着し部屋に荷物を運び込んでからは、すぐにレッスンに行きました。その後、食事し家族が帰る車を見送り部屋に戻った途端、段ボールで一杯の部屋に急に不安になりました。家族と離れ、友達も親戚もいない街で、「私は本当にやっていけるのかな?」と早々とホームシックになってしまったんです。もちろん期待もあったのですが、上京初夜から枕が濡れちゃいましたね。

それでも、アルバイトを見つけたりレッスンに毎週通ったり、事務所の友達と話をしたりしていく中で、少しずつ自分の居場所を見つけていきました。和楽器を続けていたおかげで歌手のプロデューサーとのご縁も頂きライブ活動も始める等、少しずつ色んな世界が広がっていきました。また、東京に来て初めて受けたCMのオーディションに合格することができたんです。不安を抱えていたからこそ、それは大きな自信になりました。

その後も女優業を中心に仕事を進めていき、2012年にNHKの『蝶々さん』というドラマで、上京後初めて役をもらうことができました。私が演じたのは芸者さんの役で、三味線が出来ることが縁に繋がっていったんです。以前から女優としてずっと尊敬していた余 貴美子さんともご一緒させていただき、演技への思い入れはより一層強くなっていきました。

「和」を中心に、自分を通じた表現の幅を広げていく


現在はドラマやCM等映像を中心に、演技が関わる仕事に取り組んでいます。どんなお仕事でも、沢山の俳優の中から私に役を下さったからこそ、自分だから出来る演技に力を注いでいます。事前の準備はもちろんしながらも、現場の雰囲気を感じてから考えることもありますので一発勝負に近い感覚もありますね。

「人」というものは世界中にいて、容姿や話し方は無限です。私もその中の一人ですが、自分の身体を通して人格を体現し、現場で「OK!」と声が掛かった瞬間は演技のやりがいを感じますね。大勢で作品を作る中で、自分の役割を全うできた時はほっとすることもあります。

現場の緊張感、実際に完成した作品を見るまでのワクワク感はとても刺激的です。毎日同じことが繰り返されることが無く、明日は全く違うことが起こるんです。

ただ、その「役」を頂き現場に参加することは、簡単なことではありません。少なくとも一つの役に20・30人、多ければ100人以上がオーディションに臨みます。もちろん自分で考えたベストは尽くすのですが、クライアントの要望もあるため、頑張った分成果が出るというものではない部分もあります。だからこそ、実際に自分の演技や雰囲気が認められた時は、飛び上がるくらい嬉しいですね。

また、9歳から続けた和楽器は、22歳で住田長ゆき(すみた ちょうゆき)と名を頂き、活動を続けています。2015年7月にはイギリスで開かれた「HYPER JAPAN」というイベントで演奏させていただき、海外に和楽器を発信する貴重な経験が出来ました。

鼓は私にとって馴染みある楽器ですが「自分の打つ鼓の音はこれだ」という音色をもっと見つけていきたいですし、そういった掘り下げる作業は演技と共通していると感じます。女優としても、和楽器奏者としても、自分を通じた表現方法を追求してきたいです。

女優においては、役を演じる自分自身に幅を持たせることも重要なので、最近では大型自動二輪の免許を取る等、新しい挑戦を行っています。舞台もまた挑戦したいですね。やはり映像とは熱量、空気感が違いますし、発声も動き方もちがう。これまで見つけられなかった発見で溢れていると思います。

現在は、和楽器のおかげで「和」に関する役を頂くことが多いです。祖母や住田流師匠から受け継いだ自分の「和」の感覚を発信できる女優、和楽器奏者を目指し、これからも自分の表現の幅を広げていきたいです。

2015.10.28

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