2,500体の神様に守られる男。御守りマニアとして歩む人生とは。

「オマモニア(御守りマニア)」として、22年間で2,500体を超える御守りを収集する林さん。今では、本業のグラフィックデザイナーとして、神社・寺院や御守奉製会社とコラボレーションして御守りをデザインすることも。なぜ、御守りや神社・寺院にそこまで魅了されているのか。お話を伺いました。

林 直岳

はやし なおたけ|グラフィックデザイナー・御守りコーディネーター
デザイン事務所サスガを経営しつつ、オマモニアとして活動。WEBサイト「オマコレ(オマモリ・コレクション)」の運営、御守り講演、御守りのコーディネートを行う。

大好きな絵を描き続けていたい


僕は福井県の一乗谷という、山間のド田舎で生まれました。小さな頃から絵を描くのが好きで、学校の授業で絵を描けばいつも入賞。部屋中に貼りきれないくらいの賞状があり、自分にとっては「絵=賞状」。それが当たり前の環境でした。

親は、絵では食べていけないので勉強するようにと言いましたが、勉強は大嫌いでした。そして、絵を描きながら学校に行けるなら楽しいと思い、県で唯一のデザイン科がある高校に進み、大学も名古屋にある美大に進学しました。「この先生に習えばいい」「この人についていけばいい」と紹介されて進路を選ぶことが多く、良き先生、良き大人に恵まれた学生時代を過ごしました。

そして、美大卒業後もまた紹介を受け、CGアーティストとして世界的に有名な先生がいる東京の専門学校に通うことにしました。CGは、クリエイティブの中で最先端の表現方法でした。ただ、自分の手で描く事が好きだった僕にとって、デジタルなCGの世界は全く合いませんでした。

そのため、その後入社したCGを制作する会社でも、デジタルな仕事ではなく、企画制作として手で描くアナログな仕事をしました。それでも、あまり面白いとは感じられずに1年ほどで辞めることにしました。



そして次の職場もまた紹介で、日本のエディトリアルデザインの第一人者とされるアートディレクターの事務所で働くことになりました。この時、初めて「デザインとはこういうものか」と知りました。クライアントがいて、その要望に120%で応え、形と色で提案していく。好きなものを作れば良いのではないと分かったんです。クライアントの見えない要望や問題を、見える化(デザイン)して解決に導く地味な作業で、デザイナーはアーティストではなく、カウンセラーに近い仕事だと。

ストレスが溜まるデザイナーのための神社を作ろう


ただ、次第に、このクライアントの全く見えない悩みや無理難題を「見える化」する作業に、もの凄いストレスや窮屈さを感じるようになりました。それまでは、とにかく好き勝手にノーストレスで絵を描いていたので、なおさらでした。早く自分の時間を持てるようになって、自分の見えない思考や世界を好きなデザインで「見える化」したいと常に感じていました。

そんな思考を胸に、仲の良いデザイナーと会っているうちに、アーティストやデザイナーなどクリエイターの為の「神社(祠)」を建てたら面白いんじゃないかと話すようになりました。自分たちのフラストレーションのはけ口であり、同じようにストレスを感じているアーティストやデザイナーの心の拠り所、そして開放の場にできるのではないかと。

そして僕は、御守りやおみくじなど縁起物を担当。まずは神社・寺院へマーケティングのために足を運ぶようになりました。昔から、仏像や曼荼羅などの宗教的な造形物や神話・伝説などは好きだったので、すぐに楽しくなりました。

すると、資料として集めていた「御守り」の魅力に引き込まれていきました。1体、また1体と御守りは増えていき、気付くと御守りは100体を超えてました。

そこまで集めると、絵馬やおみくじとは明らかに違う何かを感じるようになりました。御守りは、神社・寺院そのものを凝縮したモノだと思い始めたんです。そして神社・寺院に行くことは当たり前になり、御守りを集めること自体が「目標」になったんです。

御守りはロックだ!


結局、神社を建てる話よりも、御守り収集が楽しくなってしまい、時間を見つけては日本全国、御守りを求めて旅するようになりました。

僕にとって、神社寺院に行くことは「ロックフェス」に行くような感覚に近く、気持ちが凄く高ぶるんです。鳥居は入場ゲート、狛犬はセキュリティ、灯籠は演出照明、本殿はメインステージ。宮司はプロデューサー、巫女さんは運営スタッフ、絵馬はアーティストへのメッセージ、おみくじは逆にアーティストからのアドバイス。そして御守りは、熱い想いを誓うファンクラブ会員証みたいなもの。

そこに祀られているアーティスト(ご祭神・ご本尊)に会いに行き、アーティストの声を聴き、時間を共有する。そして、そのアーティスト(ご祭神・ご本尊)そのものが収められた御守りを頂くことで、常にそばにいて見守ってもらえる感覚になるのです。

例えば、織田信長が祀られている神社で参拝すると、その奥で信長が自分と対峙してくれている、自分を見つめている気がするんですね。「超感動!」です。そして、信長を御守りとして持ち帰っちゃえば、「いつも信長と一緒!」そんな感覚なんです。そう考えると、日本全国、色んな神様仏様に会いに行きたくなるし、御守りも欲しくなりますよね。


しかし、20代半ばは、仕事も忙しければお金もない状況。旅費もかなりかかってしまうので、頻繁には神社寺院に行けず、月に一度行ければ良い方でした。それでも、自分の中では、生活の中心は御守りを集めることであり、神社寺院に行き続けることでした。

そこで、なるべく自分らしく自由にお金も時間も使えるようなキャリアを選び、転職などをしていきました。また、本業のデザイナーとしても、御守りを絡めた提案を常に企画書に入れ込んでいましたし、御守りのアプリの企画や、世界最大級の御守サイト「オマコレ(御守りコレクション)」も立ち上げました。

神社寺院の精神性を受け継いでいくために


30代になると、時間にもお金にも少し余裕ができ、御守りに割ける時間も増えていきました。2012年には、企画書を出し続けた甲斐あって、東日本大震災の復興イベントとして、仙台で「大おまもり展」を開催できました。僕がそれまで集めた御守りコレクションから約1,000体の展示を行ったんです。これまで誰もやったことのない展覧会なので、企画、展示演出、コピー、グラフィックデザインなど、全てを担当しました。

すると、それがひとつの実績となり、それ以降は本格的に御守り関連の仕事もするようになりました。仕事になると、自分が楽しむだけではなく、色々な人、特に若い人に分かりやすく説明できるよう「御守りのPOP化」を目指し、より知識をつけるため勉強もしましたし、常に神社寺院、御守りのことを考えるようになりました。

出張で地方に行った時も、隙あらば、「ちょっとそこの神社に行ってくる!」みたいな感じになるんです。完全に「御守り欲しい病」です。御守りの数も2,000体を超え、コレクターからマニアへと意識も変わっていきました。

さらに続けていると、どうしても避けて通れないのが本職の宮司さんやお坊さんの反応でした。本職の方々から見れば、「宗教を愚弄している!」「バチあたりな!」と思われる可能性が非常に高くなるんです。そこで、人づてに宮司さんやお坊さんを紹介してもらい、コミュニケーションの場をもたせてもらいました。

そこで僕の御守り対する熱い想いを必死で伝えると、何とか理解を示してもらえました。さらに、驚くことに、宮司さんの方から、「全国の神職者向けに御守りの講演をしてもらえないか?」と依頼してもらい、2014年7月には、「御守りとアートの融合」をテーマに講演したりと、交流も増えていきました。

また、同時に、神社寺院の実情の問題も目の当たりにしました。神社は、その土地に根ざしたもの。その土地と人をお祭りで結び付け、その土地の歴史を見つめ続け、記録し、語り継がれていく役目も負っています。災害などがあった場所に、「証」として建てられ、伝承や昔話も「そこであったコト」を分かりやすく伝えるために造られたものです。

神社が無くなるということは、そこで起きた歴史や教訓自体も失われてしまうこと。そのため、神社がその場所にあり続けることに大きな意味があると思うようにもなりました。

しかし、神社寺院では、建築物の保全・維持や、境内の森や自然の管理にも、結構なお金と手間がかかるのです。しかも、氏子・檀家の意識が低くなり、その予算が集まらず、お賽銭や、おみくじなどの授与や、各種御祈祷などの初穂料やお心添えで賄われているのが現状。鎮守の杜を維持したり、御神木を絶やさないよう管理したりする予算までには至っていないんです。

このままでは、鎮守の杜(自然)が無くなり、祭り(コミュニティー)が無くなり、歴史(ルーツ)が無くなってしまう。

そこで僕は、デザインの力で、人と神社寺院をつなぐコトをしたいと考えるようになりました。単純に、自分自身が神社が好きだからこそ、みんなに訪れて欲しいという思いもあります。ただ、それだけではなく、神社やそこに祀られている精神性が、後世に受け継がれていって欲しいという気持ちもあるんです。

デザインで、神社寺院と社会をつなぐお手伝いを


現在は、デザイン会社を経営しながら、半分くらいは御守りや神社に関わる作業をしています。最近では、企業ともコラボレーションして、新しく建てられたマンションの記念授与品として、オリジナル御守りのプロディースとデザインをしました。御守奉製会社は、宗教法人以外からの依頼を受け付けていません。そこで、そのマンションの氏神にあたる神社の宮司さんに直接交渉し、御守りの頒布許可と神事の依頼をお願いしました。

こうすることで、この御守りは、ノベルティ的なお土産物屋で売っている 「お守りもどき」では無く、神社寺院で頒布されるモノと同様の御守りとなりました。こうして、企業と神社と御守奉製会社とデザイン事務所の4者が関わる、新たなビジネスモデルが生まれたんです。

御守りは、神社に足を運んでもらうためのキッカケになるものだと思うので、今後は、御守りをもっと身近に捉えてもらうために、色々な演出をしてPOP化していきたいです。そのひとつとして、ファッションブランドと連携して、カバンにつけて歩きたくなるような本革の守袋を作りたいと画策しています。神社で頂いた内符(神様仏様そのもの)を、その守袋に入れて持ち歩いてもらうんです。オシャレな守袋にアーティスト(神様仏様)を納めればいつも一緒にいれて、かつ、守ってもらえるんです。

また、毎年1年でお焚き上げをするのであれば、中身の内符だけを神社寺院にお返しし、また別の内符をいただき納めることで、守袋は長く使うことができます。そして、新たな内符に宿った精神性と、守袋自体にも受け継がれた精神性が同期する御守りになれば良いと考えています。

もちろん、守袋には神様仏様1体だけでなく、参拝した先々でも気に入った内符を見つけて一緒に納め、自分に合った自分だけの御守りにしてもらえれば、と考えています。ちなみに、御守りを複数持つと「神様が喧嘩する!」「罰が当たる!」とか言われたりしますが、神様仏様は喧嘩しません。2,500体以上の御守りを持つ僕自身が身をもって証明しているのだから間違いないです。

22年間、2,500体以上の御守りを集め、その御守り総初穂料は180万円以上。旅費を考えたら、その数倍にも上ります。また、神社は大自然の中に鎮座してたりするので、遭難だってするし、行くだけで命がけの時もあります。

そうやって、時間とお金、そして体力を使って現地に足を運ぶ。こっちも苦労とリスクを犯して、アーティストである神様仏様に会いに行く。そうしたなかで巡り会えた神社寺院、そして御守りは、格別な想いと思い出をくれるんです。神社寺院のエネルギーを感じ、祀られている神仏と対面して、その想いの証として御守りを受けて帰ること。それに価値を感じているんです。そしてその場所や過ごした時間を未来に残していく為に、僕は代価として御守りを頂くことにしているんです。

「神社寺院のために!」なんて言える立場ではないですが、自分の強みであるデザインとブランディングの力を使って、多くの人が神社寺院に足を運んでもらえる仕事をしていきたいです。その一環として、若い人向けに、御守りの魅力をPOPに伝える講演をしたいです。今までは、宗教関係者だけでしたので。

そして最終目標は、自分のコレクションの集大成である「御守博物館」を造り、御守りという日本独特の文化を世界に広めていきたいと思っています。

「いい歳して変なコト、無駄なコトしているな…」と思われるかもしれませんが、無駄なコトをどこまで必死に楽しめるかが、僕の生きる本質かもしれないんです。自分を盛り上げるのは、結局自分しかいないと思うんです。そして、そんな自分の生き様を、ずっと笑っていたいですね。

2015.10.23

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