私は新潟県で生まれ、3歳からは横浜で育ちました。小さい頃から目立ちたがりな性格で、はじけるタイプではないものの人の前に立つのが好き。真面目な性格も合わさって、小学校の文集には、将来の夢をアナウンサーと書くような子どもでした。

中学に進学してからは1年生から生徒会の副会長を2期務めることに。ただ、目立つようになると、自分が前に出ていることを良く思わない人もいましたね。時にはそんな反発からいじめられてしまうこともあり、以前よりも前に出ず、足並みを合わせるようになっていきました。

その後、高校受験の時期を迎えると、私が住んでいた神奈川県では、中学2年生の時に受けるアチーブメントテストという試験と内申点で7割方結果が決まるような入試制度でした。そして、私は内申点がそれなりに高いものの、勉強の習慣がなく塾にも通っておらず、アチーブメントテストの結果が思わしくなく、志望していた学校に出願できなくなってしまったんです。

元々、父が小学5年生の時に独立して、家庭的にも滑り止めで私立校に行くという選択肢を取れなかったこともあり、確実に合格できる学校まで志望校を下げることに。それまでの調子にのっていた日々から一変、投げやりな気持ちになってしまい、勉強を止めてしまいました。プライドが高い部分もありましたね。

そんな背景で入学をしたため、高校にワクワクしながらいくといったことはありませんでしたが、文化祭の実行委員長を務めたり、放送委員のPA班でアナウンスや音響の設営等を行ううちに学生生活に楽しみを見いだしていき、途中からは吹奏楽部にも入り充実した生活を送ることができました。

また、そういった入学経緯だったこともあり、学校内の成績は良く、上位を保つことができていました。そのため、特別勉強をしているわけではないものの、大学受験には自信がありましたね。放送委員の経験からもやはり将来はマスコミ関係の仕事に就きたいと思い、社会学部を中心に受けて回りました。おそらく、親は家業を継いでほしいという気持ちもあるのではないかと思いながらも、進路について何か言われることは無かったので、自らの関心で道を決めていきました。

ところが、根拠の無い自信を持って臨んだ大学受験の結果は全滅、浪人をすることになってしまいました。親と一緒に合格発表に行って番号が無かった瞬間は本当にいたたまれなかったです。がっくりしながら帰路につきました。

想像もしていなかった浪人生活が始まってからは、予備校のMARCH志望コースに通い、1日14時間以上勉強するようになりました。すると、ある時、法政大学の入試のパンフレットを見ていて論文と志望理由書、英語・面接で受験を行う論文特別入試があることを知ったんです。出願締め切りの10日前に知ったのですが、公募推薦自体少なく、浪人生で受けられるものは更に少なかったので、チャレンジしてみようかなと軽い気持ちで受けてみることに決めました。

その結果、特別手応えがあった訳ではなかったものの、法政大学の法学部に合格することができたんです。思わぬ形で結果が出て驚きましたが、そのまま入学することに決めました。