誰もが「適当に」楽しめる音楽カルチャーを。自分の価値観を疑うことで見つけた自由。
ヴィレッジヴァンガード下北沢店およびインフォガレージのスタッフとして、音楽カルチャー全般の企画・販促等を行う金田さん。テクノ音楽に没頭し、深さを追求していた中、ある企画CDのヒットをキッカケに大きく価値観が変わることに。音楽カルチャーの分野を、自らの価値観にとらわれずに行き来する背景にはどんなエピソードがあったのか、お話を伺いました。
金田 謙太郎
かねだ けんたろう|ヴィレッジヴァンガード下北沢店勤務等
ヴィレッジヴァンガード下北沢店およびインフォガレージのスタッフとして、音楽カルチャー全般の企画・販促等を行う。
テクノ音楽との出会いと音楽漬けの日々
僕は東京都大田区に生まれました。小さいころは本が好きな大人しい子供で、一人でいるのが好きなタイプ。運動は得意ではなかったのですが体を動かすのは好きで、高校に入ってからは、学校のエースが集結するサッカー部や野球部でなく、ほぼみんなよーいドンでスタートできそうなアメフトを選びました。チョイスは間違ってなかったみたいで、部活はとても楽しく、毎日アメフトに明け暮れる日々を過ごしました。
しかし、勉強はほとんどしておらず、学校では落ちこぼれていき、卒業後は当たり前のように浪人。といっても、アルバイトをして、適当に予備校に行って遊んでと、正直受験勉強は全くはかどっていなかったです。何故かその状況に焦りもなく、「なんとかなるんじゃないのかな」という感覚でした。
そんな浪人生活中のある日に、たまたま聴いた深夜ラジオで衝撃を受け、音楽漬けの日々が始まりました。そこで流れていたテクノというジャンルの音楽を聴いて、直感的にカッコいいと感じたんです。「すげえ、聴いたことのない音楽だ!」という感覚でしたね。それからはますます勉強しなくなり、バイト・レコード屋・クラブに通ってという生活になりました。
インストゥルメンタル(人声を用いない楽曲)との相性が良かったということも一つの理由でした。「こう聴け」という押しつけがましさを感じなかったんですよね。すんなりとのめり込むことができ、一時的に「歌」を聴けない状態になるほどに。それ以来、居酒屋や書店、コンテナ一杯のメンマをスコップで取り出す仕事等、レコードを買うために、てっとり早くお金になるようなアルバイトを行うようになっていきました。そして、結果的に2年目の浪人生活を迎えることになりました。
しかし、そんな生活に対して、親から将来を考えて大学に進学をしなさいという話を懇々とされ、次の1年は受験勉強も行い私大に進学することに決めました。
ところが、そんなモチベーションで入学したため、スポーツを続けたいという思いラグビー部に所属したものの、授業にはほとんど行かなくなり、浪人時代と変わらぬ生活を続けることに。
友達を作らなきゃという思いがありながらも、浪人をして周りより歳が上であることに加え、傾倒していたカルチャーの影響から、だいぶ斜に構える節もあり、それまで以上に音楽に没頭していきました。
音楽の筋トレと、ヴィレッジヴァンガード
大学在学中には、音楽雑誌の編集者の見習いも始めました。情報源にしていた雑誌でバイト募集をしていたため、好きなことをやってお金がもらえるなら、と履歴書を送ってみたんです。
クラブに通っていると、周りは皆お洒落で音楽好きなのに対し、自分はオシャレでもなく、気の利いた会話が出来るわけでもないため、音楽が好きな仲間があまりできませんでした。そんな状況への劣等感から、友達が欲しくて編集者になった面もあったと思います。
実際に仕事に携わってみると、内容は楽しいものの、死ぬかと思うほど大変でしたね。朝も夜も無い仕事で、楽しくも辛い日々を過ごしました。
また、雑誌で読むミュージシャンのインタビューでは、皆必ず「色々な曲を聴いて育った」と話をしていたので、自分も追いつかなければという思いで、片っ端から音楽を聴いて回りました。まるで音楽の筋トレをするような感覚で、どんなジャンルでも聴くようになりましたね。編集者という視点が入ることで、雑多に聴いた音楽も整理されていき、次第に嫌いなものが無くなっていきました。
ただ、そんな生活だったため、大学を休学して1年考えた上で、そのまま中退することを決めました。両親には申し訳なさを感じながらも、最後まで大学を卒業するイメージは持てなかったです。
ところが、編集者のバイトも2年ぐらいで辞めてフリーターになることに。頭にあるのは、ずっと音楽に触れてクラブで踊ってということを続けられたら、という考えのみ。新譜をすぐに知ることが出来るという理由からレコード屋でアルバイトも始めました。
その後、2年程でその店も辞め、仲が良かった音楽ライターがバイトをしていたヴィレッジヴァンガード下北沢店で働き始めました。「楽なバイトがある」という紹介に惹かれて、レジ打ちや接客等をしていたのですが、自分に近い人間が集まっていることが良かったですね。
知識はあるけど斜に構えすぎた結果、ますます社会性もなくなり…という状態だったのですが、ヴィレッジはべたべたした付き合いがなくドライな環境で、非常に相性が良かったんです。強制もされないけど尊重もされない雰囲気は本当に居心地が良く、気づけばそれまで身にまとっていたスタンスや、人との距離間が少しずつ縮まっていきました。こちらから歩み寄れるようにもなり、色々な人と話をするようになったんです。
「自分の価値観を疑い、外側に目を向けろ」
元々レコード屋に務めていたこともあり、ヴィレッジヴァンガードでは音楽コーナーの担当を薦められました。しかし、お店のCDのコーナーは「浅い」と感じ、僕は誘いを一度断ってしまいました。
ところが前任の方が退職して、音楽をちゃんと見れる人間が僕だけとなったため、乗り気ではないまま、でも我儘通してクビになりたくもないなあという感じで担当を始めました。それでも、良い時代にも恵まれ、コーナーの売上がどんどん上がっていったんです。そんな流れで、あるCDの企画に携わったのですが、そのCDはヴィレッジヴァンガードだけで数十万枚の売上を記録するヒットに恵まれました。
そこで、何か大きく変わった気がしましたね。それまで自分は「深さ」を追求して、ダンスミュージック専門というつもりでいました。ただ、居心地が良い店をクビになりたくないという思いから、それまで自分の中にためていた雑多な鍵を開けていくと、それが全て肯定されるような結果に繋がったんです。それまで続けていた音楽の筋トレに価値があったことに気付き、枷が外れたような感覚がありました。
売上として成果がドンドン出ることも手応えがありましたね。運動のシンプルさ、練習は嘘をつかないと思ってた当時のことも思い出したりして、「ああ、もしかしたらこれでいけるのかな」という自信にもつながり、店の中での立場や新たな機会にも繋がっていきました。
また、ある海外のDJのインタビューを読んだことも、僕の価値観のシフトに影響を重ねていきました。インタビュアーが「最近のクソな音楽シーンについてどう思う?」と尋ねたのに対し、そのDJは、「いい音楽はずっと生まれ続けている、クソなのはシーンじゃ無くてお前の耳だ」と言い放ったんです。これにはハッとさせられましたね。
自分の価値観を疑い続け、外側に目を向けろという事だと僕は解釈しました。一つのジャンルを専門的に追求し、その後で広く浅くを行き来したことで、自分の価値観にとらわれずに音楽を楽しめるようになっていったんです。
誰もが幅広く楽しめるような「深い」音楽カルチャーを
現在は、マスに向けた表現以外の所にありがちな、一つのことについて深く全面的にファンになること、何かを切り捨てることでそれをより好きになるみたいな姿勢が一番、みたいな価値観に違和感を感じて、もっと適当に、色々な娯楽を力を抜いて楽しむことを肯定したいと考えています。
例えば、いわゆる「歌もの」音楽全般より売るのが難しいと言われるインストゥルメンタルを柔らかくしようと、日本で最も親しまれているゲームミュージックの公式アレンジアルバムを企画し、6年間も連作でリリースを続ける反響を得ることが出来ました。 他にも、アイドルがアコースティックで行うライブや、オールインストバンドのフェスに盆踊り等、音楽を幅広く楽しむ手段として、イベントの運営等も積極的に行っています。
現在は下北沢店に務めて15年になり、音楽のフィールドの販促・企画等、会社に取って売上につながりそうなことは全てやっています。それと意識的に多くの人に「浅く広く適当に」音楽を楽しんでもらうための活動に力を入れています。 また今はインフォガレージという会社にもお世話になっていて、そこで仕事を請けることもあり、音楽関連というフィールドはありながらも、働き方の境界線は曖昧になってきていますね。
僕自身生まれてから一度も正社員になったことがなく、ずっと「特命係」のような立ち位置で、責任も裁量も無い分、自由に仕事をさせてもらってます。特に正社員になることが嫌だという訳でもないのですが、そこに対する自分の優先順位が高くないのだと思います。
今はストレスが無くて仕事が楽しいです。編集者時代、深さを善しとして追求して潜り続けなければいけないと考えていた時があるからこそ、広く浅くを知って自由になった気がします。
これからも今みたいに生きていければいいなと思っています。外側の世界に目を向け、それにマッチするように、身の丈で関わっていければいいなと。まるで七分袖のような人生ですが、どんな形でもいいので音楽とカルチャーに触れることは続けていきたいですね。そして、スポーツと同じく、やるからにはシンプルに結果を出すことにこだわりたいです。
2015.10.06