自分を磨くことで、人のためになる人に。美容師人生を変えた出会いと、新たな可能性。

千葉県市川市南行徳にて、エフィラージュカットというパリ発祥のカット技法で施術を行い、ギャラリーを併設する美容室を運営する山田さん。何もわからずに飛び込んだ美容師の世界での試行錯誤と、世界レベルの美容師たちとの衝撃的な出会い。人生の転機を経て独立を志すようになった背景には、どのような思いがあったのでしょうか?

山田 健太郎

やまだ けんたろう|美容師・ヘアデザイナー
千葉県市川市の南行徳駅にて、パリ発祥のドライカット技法、エフィラージュカットを提供する美容室ラパンアジールを経営する。

TVで見た美容師への憧れ


私は千葉県鎌ヶ谷市に生まれました。地元の中高に通い、サッカーに没頭する学生生活を送っていました。初めて自分の将来や進路について考えたのは、高校3年生を迎えてからで、卒業ぎりぎり。親が建築関係の仕事をしていたので、自分が継いだほうがいいのかもしれないという思いもあったのですが、親からは自由に選んでいいと言ってもらえたため、自分のやりたいことを考えるようになっていきました。とはいえ、特にやりたいことも無く、サッカーが好きだからサッカー関係の仕事に就くのがいいのか、大学に進学したほうがいいのか、でも何のために行くのだろうかと、自分の知っている狭い選択肢の中で思い悩む日々が続きました。

すると、そんな風にもやもや過ごしている時に、深夜のTV番組で、原宿の有名美容室のアシスタントに密着したドキュメンタリーを目にしたんです。そして、直感的に「この仕事は面白そうだな」と感じました。元々、毎日同じリズムで満員電車に揺られ、上司のご機嫌をとるようなサラリーマンに対しあまり良いイメージが湧かず、サッカーをやっていたこともあり、自分の努力次第でどこまでもレベルアップできる実力主義の環境で働きたいという思いがありました。

散髪は半年に一度、近所の床屋さんでする程度、私服もサッカーのジャージでお洒落に無頓着の学生でしたが、その番組で見た美容師の方は、お洒落な服装に身をまとい、お客さんの前では軽やかにふるまい、今まで自分が見たことの無い世界でした。また、営業後、深夜遅くまで練習を重ねて始発で自宅に帰るという姿を見て、単純に、自分のやりたいことに没頭している姿がとてもカッコよく思えたんです。

そこで、元々美容師を志望していた友人にも相談し、都内の専門学校に進学することを決めました。お客さんとしても美容室に行ったことが無いような状況でしたが、迷わず飛び込もうという感覚でしたね。

専門学校では、皆美容師を目指して集まっているので、お洒落な人ばかり、地方から上京してきている同級生は特にエネルギッシュでやる気にあふれていました。私も見習おうと思い原宿や渋谷に買い物に出かけたり、シャンプーの練習は欠かさず行っていました。 また中高では学校を休むこともよくあったのですが、専門学校ではモチベーションを保って皆勤賞で過ごしていました。

飛び込んだ未知の環境での試行錯誤


その後、就職活動の時期を迎えると、ちょうど「カリスマ美容師」のブームが訪れており、私もただの憧れから原宿の某美容室を志望していました。雑誌で作品を見ていても、他のサロンとは違う感覚があり、目に留まってカッコよく見えたんです。しかし、最終面接まで残りながらも、結果的には不採用に。代表の方に「君はいい美容師になれるね」と言っていただけたことだけが心の支えとなりました。

その後、渋谷の美容室で内定をいただいていたのですが、専門の先生からの強い薦めで、自宅から通いやすい浦安の美容院の面接を、渋々受けてみることになりました。しかし、面接を進めていく中で、条件等含めて良い環境だったので、最終的にはそちらの美容室で働くことを決めたんです。

実際に働き始めてみると、お客様への挨拶も床を掃くタイミングも全く分からず、先輩に怒られてばかりでしたね。学生時代は自信があったシャンプーも現場ではまったく通用せず、再び練習を重ねることに。とにかくこの環境でなんとかしようと、TVで見た美容師と同じく必死な毎日を過ごしました。

そして、1年経って技術者になり、ようやく美容師のスタートラインに立てた気がしました。しかし、同時にお客様からの評価も直接返ってくるため、プレッシャーとやる気との狭間で、毎日気持ちの面で追い込まれることに。特に、ある時期から指名が伸びず、自分は一生懸命なつもりでも、お客さんからの評価が得られない日々が続きました。

それでも、何がいけないのか考えたり、先輩や同期に相談したりと試行錯誤を続けると、ある時から数字が伸びるようになっていきました。何が良かったのかは分からないものの、勘違いしていた自信と向き合い、一つ壁を越えた感覚がありました。

世界レベルの美容師たちとの衝撃的な出会い


入社してから4年目を迎えると、次第に自分の実力が他のサロンで通用するのかということに興味を持ち始めました。他の世界も見てみたいという思いがあったんです。そこで、いくつかお店を見て回り、浦安から近い妙典という駅にあるお店で働くことに決めました。

環境を変えてから、まずはスタッフ間のコミュニケーション不足の解消に取り組みました。お店は綺麗なものの、スタッフ同士の仲が悪く、お客様への影響があるなという危機感があったんです。

その後、少しずつではありましたが次第にスタッフ同士の歯車がかみ合い、お店の雰囲気が良くなっていきました。それに伴い客足も増え、自分もその波に乗り、順調に指名のお客様がついていきました。チームワークの大切さを実感しましたね。

ところが、店のオーナーとの方針が合わず、2年半ほどすると再び店を変えることに。数店舗を渡り歩きすでに29歳を迎えていました。トップスタイリスト、店長候補という肩書きがつくほど実力もついてきていましたが、それと同時に自分の技術が限界に近づいている感覚もありました。多くのお客様を担当するあまり、カットがパターン化されてしまい面白くないことに加え、「お客様のためになっているのかな?」という危機感を覚え始めたんです。

そこで、これは良くないと思い、個人的に興味を持っていたドライカットの情報を、夜な夜なインターネットで調べるようになりました。しかし、どの技術も既に取り入れているものばかりで、目新しいものに出会えずにいた中、ある時「エフィラージュカット」というフランスのパリ発信のドライカットの動画を見つけました。

そのカットは今まで見たことのないハサミの使い方で、編集されていないトレーニング風景の動画は、まるでドキュメンタリー映画を見ているようでした。それ以来、「なぜこのハサミの入れ方で可愛くなるのだろう?」と、毎日仕事の後に食い入るように動画を見つめるようになりました。さらに、見ているだけではだめだと思い、実際にその動画を上げていた美容室にも足を運んでみました。

また、その美容室で行っている講習会にも誘ってもらい、エフィラージュカットを行っているサロンまで紹介していただき、基礎を学ばせてもらいました。 エフィラージュカットの技術を磨いている人は、デザインを本気で追求するアーティスト集団のような気質で、今までに会ったことの無いタイプの美容師の方ばかりでしたね。彼らの影響もあり、私自身、パターン化したデザインではなく、一人一人にあったヘアスタイルを提案できる美容師でありたいと真剣に思うようになり、今までの技術を捨て、新しい技術習得に踏み出しました。 何かに没頭するのは久しぶりで、美容師人生が変わったような気がしましたね。

32歳で訪れた転機、独立を決意


それからは、フランスに拠点を置くクリエイティブチームから世界水準のトレーニングを見ていただけるようになりました。それまでは人前で恥をかきたくない、と考えていたのが、何も経験せずに無知のままのほうが恥ずかしいと思うようになり、カットコンテストやフォトコンテストなどにも積極的に参加するようになるという変化もありましたね。

日常生活では、それまでは何となく見ていた雑誌も、何かいいデザインが無いか真剣に探しながら読むようになり、いい意味でオン・オフが無くなっていく感覚がありました。いつしか24時間美容について考えることが苦痛でなくなったんです。

また、実際に店舗でそのカットを提供し始めると、お客さんの反応が変わっていくことも感じました。「今までの美容師さんと違う」とか「美容院でこんなにワクワクしたのは初めて」という言葉までいただけるようになり、技術の大切さをかみしめより一層技術を磨くことに力を注いでいきました。

ところが、そんな中、働いていたお店がオーナーの意向により閉店することになってしまったんです。また、同時期にプライベートでの離婚が重なり、何か上手くいっていない感覚がありました。

そこで、精神的な疲れと自分を見つめ直したいという思いから、しばらく仕事から離れることにしました。休んでいる間は遊び続けるような生活だったのですが、1ヶ月半もすれば次第に相手もいなくなっていきました。

すると、しばらく休む旨を伝えていた多くのお客様から、復帰してほしいという連絡をいただいたんです。 自分では一生懸命やっていたけど、上手く行かなかったのだから、何かを変えなければと悩んでいた中で、自分を必要としてくれているその声に救われた感覚があり、仕事に戻ることに決めました。

また、その時初めて将来は独立をしようと考えるようになりました。自分の年齢的にも、他のサロンで雇われて実績を積み上げていくのは時間がかかり大変だという思いに加え、自分と同じように伸び悩む美容師を助けたい、そして今までにないサロン空間を作りたいという思いから独立を真剣に考えるようになりました。

それからは、サロンで働きながら独立の準備を進めていき、34歳のタイミングで、千葉県の南行徳に「ラパンアジール」という美容室をオープンしました。もちろん不安はありながらも、迷いはありませんでしたね。

人のためになることで、相乗効果を生み出せる人間に


元々、人が集まる美容室という場所に社会的な可能性を感じていたため、お店ではアートや写真・地域文化の発信等の展示も行っています。店でアートに触れることで日常生活に刺激をもたらすことに加え、自分の経験からも、若手のアーティストに活動の機会を提供できればという思いもあります。元々、「ラパンアジール」というのはピカソらが集ったパリの酒屋の名前で、この店も社会にインパクトを与えられる人の発信の場にしていきたいと考えているんですよね。

具体的には1か月半から2か月の周期で写真の展示やハンドメイドのアクセサリー類の展示販売などを行っています。もちろんお客さんは髪を切りに来るのがメインなのですが、アートや写真を楽しみに来ていただけている方もいらっしゃいます。

また、女性は朝のヘアスタイルの仕上がりで一日のモチベーションが変わると思うので、美容室に来ることによりお客様のライフスタイルに良い影響を与えられるように「hair style for life style」というコンセプトを掲げました。

まずは、自分が成長しないとお客様のライフスタイルに良い影響をもたらすヘアデザインを提供できないと思っているので、一美容師として努力を怠らず、日々成長していきたいと考えています。 自分を見つめ直し、人のためになることを続けていれば、自然と人が自分の周りに集まり、相乗効果で楽しい環境を築けるんじゃないかという想いもありますね。

将来の目標やイメージにはとらわれすぎず、まずは目の前のことをしっかり積み重ねていきたいです。それが未来につながると信じています。

自分の存在意義は何なのだろうと考え、出てきた答えは、「人のためになることをやる」というものでした。色々な人のために動けるように、自分を磨き続けていければと思います。

2015.10.01

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