副市長・民間を経験した自分だからこそ出来る!対話を通じたまちづくり。

けん玉で有名な広島県廿日市(はつかいち)市の元副市長である川本さん。一度、行政を離れたことで、見つけた新しい世界。「役所上がりの自分だからこそ出来ること」とは?お話を伺いました。

川本 達志

かわもと たつし|まちづくり
元廿日市副市長。はつかいちワクワク塾を設立し、代表を勤める。

色々とまかされ続けてきた幼少期


私は広島県で生まれ育ちました。幼い時期は、とにかく外でよく遊ぶ子どもで、鬼ごっこ・陣取り合戦・縄跳びなど、ありとあらゆる遊びを毎日していました。子ども会でソフトボールのチームを作って、対抗戦なんかもよく出ており、周囲から見ると活発な子どもでした。

だからか、小学校の時は学級委員長をやったり、鼓笛隊で一番先頭に立って指揮をしたりもしていました。中学校に入ってからは、生徒会活動も実施しましたね。

ただ、自分が積極的で目立ちたがり屋だったというわけではなく、とにかく色々とまかされていたような感覚でした。しかし、やってみると色々と学びもありました。人前で話すことに慣れましたし、リーダーとはどうあるべきかを学ぶこともできました。

行政の世界へ、そして副市長を経験


大学からは、九州大学の法学部に進学しました。大学時代は、とにかく下宿先と大学を往復する毎日。友達付き合いを大切にしていたので、友人は本当に財産となりました。特に派手に遊んだりしたわけではありませんが、大学生活は本当に充実していました。

その後、就職活動でマスコミ業界に進むか、公務員になるか非常に悩んでいましたが、ふるさとである広島に戻りたいという気持ちが心の中にあり、大学卒業後の進路として、公務員の道を選び、広島県庁で働かせてもらうことになりました。

実際に働き始めてからは、県庁の業務だけでなく、平成6年度・7年度にかけては職員の相互派遣で廿日市市にお世話になりました。廿日市市は、厳島神社の社領、江戸時代には宿場町として栄えた町、日本三景である「安芸の宮島」が特に有名なまちで、現地では、直接住民に接する自治体行政を経験させてもらいました。

すると、その後の平成の大合併をキッカケに、廿日市市から「私たちの街で働かないか」と声がかかったのです。ちょうど、街のことを知り、まちおこしのために動かれている住民の方々と対話する中で、徐々にもっと廿日市市もまちづくりに関わりたいと思い始めていたタイミングでした。そこで、副市長就任の要請を受け、2008年から2011年まで、4年間廿日市市で副市長を勤めさせてもらいました。

元副市長として、民間として、自分が出来ることをとは?


しかし、行政にずっといることで「行政の存在価値とは一体何なのか?」ずっと自問自答するようになりました。行政は法律を執行する立場が建前ですが、市民の方々と寄り添って、豊かな生活を応援することこそが、真の価値なのではないかと感じるようになっていきました。

ただ市政にいると、現状を打破することも難しいという壁に打ち当たりました。また、現市長とのまちづくりの考え方の違いもあり、副市長を退任することになったのです。

そして、まず行政を離れて、お世話になった方からのご紹介で、民間のコンサルティング会社に入りました。そこでは、沢山のセミナーや研修活動をしました。こういった活動を通じ、全国の地方自治体のことを知る事が出来たので、非常に勉強になりました。

他にも、一市民として、まちの中へ自分で足を踏み入れ、ボランティア活動や祭などの市民活動に参加しながら、人と触れ合っていきました。すると、役所で日夜解決したいと考えていたまちの課題は、実はこのまちに住む一人一人の人たちが困っていることの集合体だと思えるようになったのです。

今の自分だからこそ見つけた新しい価値


それからも、前副市長であり、今は民間人の自分ができることは何だろう?と、ここ数年考え続けてきました。副市長を辞めてから3年半経ち、役所の機能も熟知し、まちの人たちの気持ちもわかり、今まで役所の中からでは見えなかった景色がたくさん見えるようになりました。

そんな中、自分の存在意義をこのまちで表現するにはどうすればいいだろうかと悩んでいた時に、そんな解決のヒントをくれたのは、廿日市市のエネルギッシュな人たちでした。頑張るたくさんの人たちと話し、特に若者たちとの対話を通して、彼らのエネルギーをビシビシ身体に感じた時に、初めて自分の今の立ち位置だから「役に立てる」ことが見えた気がしたのです。

例えば、これまでに活動してきた中で、もと行政マンとして”けん玉ワールドカップ”の誘致に関わったことは、一つの事例です。ある若者がけん玉の世界大会を、けん玉発祥の地である廿日市市で、ぜひやりたいと声をかけてきてくれたのです。勿論、様々な課題がありましたが、何度もディスカッションを重ねていきながら、このビジョンを見事に達成させることができました。

この経験を通じて、対話の大切さを強く感じました。まちづくりにおいて、最も必要なことは現場の声を徹底的にヒアリングすること。行政にいた時の私では、目の前の仕事を優先していたので、こういったことは出来ていなかったと思います。

みんなの心を一つにすれば、まちは必ず変わる


今、廿日市市は、消滅可能性都市と言われています。消滅可能性都市とは、少子化と人口減少が止まらず、存続が危ぶまれると指摘された896市区町村のことを指します。私は、この事実をしっかりと受け止め、反省しなければいけない立場だと感じています。

しかし、廿日市市には、そういった地域の現状を打破できるぐらい、人の資源も、まちの資源も素晴らしいものが、本当に沢山あると心の底から気付きました。これは、農業でも、産業でも、商店街でもありとあらゆる分野で言えます。

今の私は、こういった課題を解決する糸口は、改めて役所の中にあるのではないかと感じるようになりました。勿論、役所ではみんな一生懸命働いています。しかし地域を変えて、良くしていきたいと思っても、みんなの心が一つになっていないと難しい部分も多くあるのです。将来を担う次の世代の人達が住みたくなるように、雇用と子育て・教育環境を整えていく必要があると、私は感じています。

現在は、市民のためのまちづくり講座、国際交流イベント、暮らしの中の看取り講座などを、多数のイベントや企画を開催しております。まだまだ道半ばではありますが、民間に入った経験がある、元行政マンとして、廿日市市を住みやすいまちにするべく、若者、高齢者、企業家や事業主の支援を市民目線で、これからも取り組んでいきます。

2015.09.30

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