私は大阪府池田市に生まれました。父が編集者だったこともあり、小学生の時から毎日「天声人語」を読んで感想を書いたり、テレビのニュースについてどう思うか意見を聞かされたりということを日常的にしていました。物事には色々な見方があることを知り、ディスカッションに慣れてという点は良かったものの、毎日感想を書かなければならず、その文章もチェックをされるというのは正直嫌でしたね。

その後、高校に進学してからは、理系のコースに所属し、精神科医を目指すようになりました。中学の時に親戚が鬱病を患ったことがあり、根本的な治療のためのコミュニケーションを取らずに、何でも薬で解決しようとする病院の方針に疑問があったんです。自ら精神科の本を読んでみると、医療の点数制の影響などもあり、日本の精神科医療は遅れていることも分かりました。そこで、自ら精神科医になって、この業界を変えたいと考えるようになったんです。

しかし、そんな目標のために勉強をしていると、ある時、精神科医の方とお話をさせていただく機会があり、「業界を変えたいなら、君は医者にならないほうがいい」というアドバイスをいただきました。

たしかに、冷静に考えてみると、同様の手法を学んで精神科医になったところで、同じ穴の狢になってしまうため、もっと枠組みを変えるほうに携わったほうが良いのかもしれないという思いがありました。

また、親戚の経験を通じて課題感を抱いた鬱病治療のアプローチが解決したら、目標が無くなってしまうという不安もありました。医療の分野以外でも、誰もが「もっとこうしたほうがいい」と思いつつ、行動に移さない領域への課題感があったんです。

そんな風に悩みながらも、現役での医学部受験は不合格だったため、浪人をしながら、今後の進路に思い悩む日々を過ごしました。

するとある時、お店で携帯電話を落とし、後で気づいて戻ってみると、その店員さんが落とし物の携帯を盗んでしまっていて、警察沙汰になったことがありました。浪人中の私も、出頭してきた相手も未成年だったので、親同士が話すことになったのですが、正直、個人的には、理由を話して謝ってくれれば警察に介入してもらわなくてもいいという感覚でした。法的な手続きを絡めたが故に、コミュニケーションが逆に上手く行かなくなっていたんです。

ふと、「世の中はこういうことの連続だな」と感じました。こうすればいいのに、と思うことがどの分野にもたくさんあり、そんな社会に改めて腹が立ちました。そこで、世の中の仕組みを変えているのは誰なんだろうと考えた結果、私は官僚を目指すことにしたんです。大学受験でも文系に転じて、早稲田大学の政治経済学部に進学することに決めました。