狂言を次世代に繋ぐ役目として。現代社会の中で狂言が役立つ可能性とは。

室町時代から続く狂言。その和泉流宗家に生まれ、職分家である三宅藤九郎の名を襲名した、十世三宅藤九郎さん。伝統を受け継ぐ家庭に生まれ育つとは、どういうことなのか。お話を伺いました。

十世 三宅 藤九郎

みやけ とうくろう|狂言で世界に笑いを届ける
和泉流狂言師、十世三宅藤九郎として、狂言の生存、伝承、普及に力を注ぐ。

和泉流宗家の次女として生まれる


私は狂言の和泉流十九世宗家、和泉元秀の次女として生まれました。伝統に従い、1歳半の頃から稽古を始め、3歳で初舞台を踏みました。そんな小さな頃から狂言の稽古をするのがあたりまえの環境でした。

また、私は姉とともに「女性初の狂言師」として育てられました。それまで「子方」(子役)が必要な演目のために小さい頃に舞台に立った女性はいましたが、一人前になるために修行を続けるのは初めてだったんです。業界的には、女性が一人前となった後に仕事として狂言を続けられるかもわからない状況。その状況でふたりの娘に稽古をつけ続けた師匠である父の信念は、相当なものだったと思います。

師匠は厳しい人でした。稽古ではできなければ怒鳴られることも、時には扇が飛んでくることもありました。狂言は口伝でのみ継承されていくので、師匠との稽古で必死に覚えていきます。何事も3回で覚えるように言われて、常にその時にできる100%の力で臨んでいました。

厳しい環境ではありましたが、狂言をやめたいと思ったことはありませんでしたね。父の舞台は面白くてカッコよくて、それを見ていると自分も同じようにできるようになりたいと思うんです。また私にとって狂言は「守らなければならないもの」で、好きとか嫌いとかいう次元ではなく、次の世代に繋いでいくべきものだと考えていました。個人的な感情より、狂言を伝えていくことの優先度がすごく高いんです。

そのため、とにかく目の前の稽古と舞台に集中する毎日を送っていました。そして、14歳の時に祖父から職分家の「三宅藤九郎家」を継ぐことが決まり、16歳で襲名しました。その家と名前を継ぐことがどれほど大変なことなのかを心配するより、純粋に、それが家を守るためには一番なんだという気持ちでした。

立ち戻ってくる自分の軸


師匠は、歴史上初めて、和泉流に伝わる254の現行曲全てを演じた人でした。そして、狂言の「生存」と「伝承」と「普及」を使命としていた父は、日本でできることは一区切りついたと、海外進出も始めました。私も高校生の頃には、一緒に海外公演に行くようになっていました。

ある時、父にシェイクスピアの戯曲を狂言にして欲しいとの依頼がありました。シェイクスピアの戯曲は世界の様々な舞台で演じられていて、日本で一番古くからある演劇表現の狂言でも演じて欲しいとのことでした。

その時、父は日本語だけでなく英語での新作狂言も作り、イギリスでの披露公演は、英語狂言で幕を開けました。一番最初に登場するのが私で、本場ロンドンのお客様に向かって、英語のセリフを発する時は大変緊張しました。また、たまたま地元の若者と仲良くなって、興味を持ってくれたふたりを翌日の公演に招待したりもしました。

海外公演はもちろん、日本での稽古や公演もある生活では、学校に通いつつも、遅刻や早退、欠席をすることも多くありました。それでも、人並みのことができた上で芸事もできるようにとの両親の教育方針があったので、大学も卒業まで通わせてもらっていました。

21歳の頃には、修行の卒業論文にあたるような演目「釣狐」も披きましたが、その後も師匠に稽古をつけてもらう日々は変わりません。ひたすら狂言と向き合い、自分の芸を高めていくんです。

ただ、父が亡くなると、宗家継承に関して世間で色々と騒がれるようになり、バッシングを受けることもありました。一回の舞台のために何百時間もの稽古を積み重ねていても、心ない一言で狂言自体を否定されてしまい、悲しい思いもしました。また、狂言自体が人から求められていないのではないかと、不安に思ったこともあります。

それでも、どんなに大変なことがあっても、自分の軸に立ち戻ってくれば、「これでいいんだ」と感じることができました。日々、修行を積み重ね、狂言の道を進むこと。その軸さえぶれなければ、見たいと言ってくれる人、公演や講師を依頼してくれる人が現れるんです。自分は狂言と向き合い、ひたむきに修行すればいいんだと思え、また頑張れました。

アメリカの大学で狂言を教える


その後も修行や舞台を続けていた2009年、アメリカのサンフランシスコにあるアジア美術館で行われる「サムライ展」にて、狂言のワークショップをしてほしいと依頼をもらいました。武士の精神的な豊かさを伝えるための、文化紹介の一環でした。

全32回のワークショップを無事に終える中で、そこに来ていたノースダコタ州立大学の教授から、大学で狂言を教えて欲しいと言われました。そこで、2年越しで日程を調整して、2012年の冬、2ヶ月間大学でアメリカ人の学生に向けて教鞭を取ることにしました。

できる限り伝統に沿った教え方をして欲しいとのことで、当初は日本語の狂言を教えるつもりでした。しかし、一般の人にも公演を見てもらうので、英語の狂言を上演したいと強い希望をもらいました。見に来た人が理解できる言語で演じることで、狂言は伝統的なだけではなく、「今見ても面白い演劇だと知ってもらおう」と口説かれました(笑)。

そこで、英語の狂言を教えるために、台本を一から作ることにしました。狂言は日本語であっても、「型」が厳格に決まっていて、動きも台詞もほとんどアドリブをする箇所がありません。そのため、英語に直す時も、所作(動き)や間と合うように台詞の長さにも気を遣い、言語は違えど、アクセントは原曲と同じになるようにしました。

アメリカは演劇に関わる人の数が多く層も厚いので、「舞台をつくる」ことへの認識にも深い理解を示してくれる人が予想以上に多くて、言葉や文化が違っても、狂言で通じ合えるものがあると感じました。また、学生は狂言の実技だけでなく学問としても学びに来ているので、レポート執筆も、教授陣のフィードバックも真剣でした。

その環境だったからこそ、理想的なかたちで授業や公演を行うことができました。普段の稽古でも、道具をただの道具として扱うのではなく、その存在自体に意味があるといった日本の精神性も自然に伝わっているんです。また、公演が終了した後には、狂言は喜劇だけれど、人を笑わせる以上に大切なことがあると教えてくれたと感想を書いてくれた人もいました。

この時、狂言の型をしっかり守れば、英語であっても日本が大事にしてきた伝統や、その精神性を理解してもらえると実感することができました。

また、この経験より海外への可能性はより強く感じ、機会があればどんどん挑戦していきたいと考えるようになりました。海外でも狂言が広がっていけば、「本場を見たい」と思った人が日本に来る…そんなきっかけにもなるのではないかと。

現代社会の中での狂言


現在は、十世三宅藤九郎として自分の稽古や公演に励みながら、狂言が現代社会の中で果たせる役割を、様々模索しています。まずは、少なくとも国内では「狂言を見たことがない」という人がいなくなるように、多くの人に普及していけたらと思っています。

狂言の舞台は、同じ演目を上演するといっても、来てくださるお客様の雰囲気によっても大きく変わる、一度きりの真剣勝負。メイクもしなければ、大道具もほとんどないので、自分自身がどれだけ芸と向き合って来たかさらけ出される瞬間です。プロとして100点の舞台を提供することは当然として、その日のお客様の空気によって、それ以上の舞台を作れると、この上なく幸せですね。

また、私自身、狂言が大好きです。狂言は喜劇ではありますが、面白おかしいだけではなく、人間の持っている様々な一面を肯定的に捉えて笑いに変えるもの。登場人物の中には悪いことをする人もいるし、そういう人は当然怒られたりもします。けれど、それも「人間の一面だ」と捉え、人間関係の豊かさを感じさせてくれるんです。そういった狂言の魅力も多くの人に伝えていきたいですね。

さらに、公演だけでなく、プロになるわけでない人に向けても、狂言教室も行っています。企業での研修や学校での授業もあります。正直、その一度だけ狂言の稽古をしたからといって、もしかしたら何の価値にもならないのではと思ったこともあります。

しかし、演者側に一度でも立ってみることで、狂言の魅力や難しさを知ることができたら、観客としての楽しさも広がると考えています。また、ひとつの狂言、ひとりの狂言師との出会いが、価値観を大きく変える可能性もあると感じています。狂言は「人間の生き方」も伝えてくれるので、そこで得られるインパクトの大きさは未知数ですね。

さらに、介護施設での狂言教室も行っています。入居者の方には、音楽療法などと似たような効果があります。それだけでなく、スタッフの方にもリフレッシュの時間にしてもらったり、地域の人を招待して一緒に狂言を学ぶことで、介護施設と地域の交流にも利用してもらっています。

当初、グループホームの入居者の方は認知症のため、狂言を覚えることはできないだろうと言われていました。しかし、毎年全8回の教室を終えると、みんな謡えるようになるんです。こうした効果を数値としては測れないことかもしれませんが、狂言教室があったことで、皆さんにとって意味ある一日が少しでも増えたら嬉しいですね。

あなたは真理を知り、真理はあなたを自由にする


実は最近、20年前にイギリス公演の時に現地で招待したふたりと、偶然Facebookで繋がりました。すると、ひとりはアメリカでデザイナーとして働いていて、パートナーは日本人。もうひとりは台湾で成功して、アジア人の女性と結婚していたのです。

これには驚きました。彼らはあの時に狂言を見たことで、自分達の世界が広がったと言ってくれて、ひとつの舞台が人生を大きく左右するようなインパクトを与えることができるんだと実感できました。

このように、狂言には大きな可能性があると感じているので、社会や人と様々に関わりながら普及していけたらと思います。

ただ、そこには「ぶれない軸」があることが大前提だと考えています。毎日の稽古、そして自分がどれだけ狂言と向き合えているか、そこに尽きるんです。

たまたま訪れた母校の小学校に掲げてあった聖句で、まさにその状態を言い表していると感じた言葉があります。

「あなたは真理を知り、真理はあなたを自由にする」

この言葉のように、自分の軸となる部分を弛まず磨いていき、それによって様々な可能性が引き出されていく。軸があるからこそ、その上にしっかり立ち、様々なものを越えてもっと大きく伸びやかになっていける。きっとその先に自分が目指す狂言の姿や、狂言が全ての人に笑いを届ける世界があるのだと信じて、これからもひとつひとつ歩みを進めていきます。

2015.09.24

ライフストーリーをさがす
fbtw

お気に入りを利用するにはログインしてください

another life.にログイン(無料)すると、お気に入りの記事を保存して、マイページからいつでも見ることができます。

※携帯電話キャリアのアドレスの場合メールが届かない場合がございます

感想メッセージはanother life.編集部で確認いたします。掲載者の方に内容をお伝えする場合もございます。誹謗中傷や営業、勧誘、個人への問い合わせ等はお送りいたしませんのでご了承ください。また、返信をお約束するものでもございません。

共感や応援の気持ちをSNSでシェアしませんか?