生涯現役で、人生を楽しむための身体作りを。スポーツマーケティングに込めた使命。

スポーツや健康をテーマにしたメディアの運営を行うベンチャー企業で勤務する傍ら、バドミントンの現役選手として社会人リーグで全国大会を目指している町田さん。学生時代から個人事業主として活動し、大企業を経てベンチャーに飛び込んだ背景には、生涯現役のためのサポートをするというミッションがありました。

町田 雄太

まちだ ゆうた|スポーツ/健康メディア運営・バドミントン選手
「ストレッチポール公式ブログ」等のメディア運営を行う、いまじにあ株式会社にて、ブランディングプロモーションコンテンツディレクターを務める。

怪我の絶望と体育教師への憧れ


私は東京都練馬区に生まれ、小さい頃からスポーツに打ち込んで育ちました。1998年に横浜ベイスターズがシリーズ優勝したのをキッカケにリトルリーグで野球を始めたり、学校の授業で長距離走のタイムが良かったので地区の大会に出場したりと、活発に過ごしていましたね。幸いにも、中学2年の段階で野球・陸上ともに高校から推薦をいただくことができ、残りの1年で具体的な進路を考えようとしていました。

ところが、中学2年で身長が急激に伸びたこともあり、オスグッドという膝の病気を左右共に患ってしまったんです。最初はだましだましスポーツを続けていたのですが、中2の終わり頃には完全に悪化してしまい、長距離を走り続けることや、ひねりがある動き等ができなくなってしまいました。野球も陸上も続けられなくなってしまったんです。気分的にも落ちてしまい、学校に行くのも嫌で、何もしたくない気持ちになっていきました。

特に、スポーツで高校に行こうと決めて勉強をしていなかったため、スポーツを取ったら何も残らない自分に呆然とすることに。これからの人生をどう積み上げるのか、分からずに悩む日々が続きました。

それでも、中学の体育の先生が親身にリハビリに付き合っていただき、少しずつ前向きになっていきました。その先生は体育大学出身でケアの知識が非常に豊富で、体育祭で生徒と一緒に走っても圧倒的に早いような素敵な方で、すごいなという尊敬の念を抱いていました。

個人的に、運動の得意不得意で成績に差が出てしまう体育の授業に疑問があったからこそ、その先生のような人が増えたら、もっと体育の授業が面白くなるんじゃないかという思いがあったんです。そんな背景もあり、次第に体育教師に憧れを抱くようになっていきました。

また、リハビリの成果もあり、野球や陸上は無理だったものの、中学3年生の夏には、部員が足りていなかったバドミントン部の大会に出場することができました。最初は仲の良い友人が誘ってくれたからという理由で参加したのですが、1回戦で勝利を収め、2回戦で本格的に練習をしている学校に敗れてからは、バドミントンに対する思い入れが変わっていきました。力の差が歴然だった悔しさもあり、もっと打ち込みたいという思いがあったんです。

そのため、一般入試を経て埼玉県の高校に進学してからはバドミントン部に所属することに決めました。

トレーナーの活動がもたらした変化


中学時代とは打って変わって、高校に入ってからは慢性的な怪我に苦しむことなく、バドミントンに没頭することができました。朝学校に行って、授業を受けて部活に出て帰って寝て・・・、という繰り返しでしたね。埼玉県はバドミントンの強い学校が集まっていたのですが、県のベスト16に入り、個人的には県の選抜でもプレーをすることができました。

その後、高校3年生を迎えると、卒業後は教員免許を取るために大学に行くことに決めていました。特に、体育の教員や研究の道が描けた筑波大学を志望していたのですが、受験の結果縁が無く、最終的には都内の私大の体育学科に進むことに決まりました。

ところが、受験を終え大学入学を控えたタイミングで、家庭的に学費を払う余裕がないことがわかり、すぐに奨学金に申し込み、あとは自ら稼ぐことに決め、フィットネスクラブでアルバイトを始めました。

しかし、大学に入学して2ヶ月経たないうちに、このままではまずいと感じるようになったんです。気づけば大学とバイト先を行ったり来たりする毎日で、高校時代と変わらないことに加え、やりたいことができないという危機感がありました。

そこで、自分の将来にプラスになるようなことで、より単価の高い仕事をしようと考え、スポーツトレーナーの個人事業主として開業をすることに決めたんです。ある程度富裕層の方をターゲットに、並行で務めていたフィットネスクラブで発信をしたり、経営者のブログに片っ端からコメントをしたり、SNSを通じて告知をしたりと、発信を続けていきました。時には、青山や代官山で直接声かけをすることもありましたね。

それでも、最初は全く結果が出ず、1日200人程声をかけてもお客さんが見つからないこともありました。しかし、なんとかフィットネスクラブのお客さんや、コメントに返信をいただいた経営者の方から契約をいただけるようになり、少しずつ軌道に乗っていきました。

私は他のトレーナーと差別化するため、「生涯現役サポーター」として、体調管理やコンディショニング、ストレッチポールを利用したトレーニングや一緒にランニングをするメニューなどを提供していきました。18歳で業界のことも知らずに始めたので、「今日はいくら?」と言われて黙り込むようなスタートでしたが、実際にトレーナーとして多くの方に携わるようになると、非常にやりがいを感じましたね。何気ない会話でいただけるありがとうという言葉や、本人が変化を自覚して喜ぶ瞬間はとても嬉しかったです。
 
そして、次第に、将来自分が目指すべきは体育教師ではないのかもしれないと感じるようになったんです。よく考えると、自分は運動機会が多くあった分、体育は得意でしたが、苦手な人に体育の良さを押し付けてやらせるのはエゴなのかなと感じてしまったんです。トレーナーのように健康や運動に関心がある人をより引き上げることの手伝いができればと考えるようになっていきました。

大学の授業に出て、トレーナーのセッションを行い、学生トレーナー団体の運営をしたり自らの知識や技術を磨くためにセミナーで勉強をしたりと充実した生活を送ることができました。

大企業から3名のベンチャーへ


大学時代には教員になることも想定して教育実習に参加したのですが、先生になると学生の将来にも責任を追うため、社会人経験がないまま教師になることには違和感がありました。また、個人事業主としての経験はありながらも、将来自らスポーツや健康に関わる事業を立ち上げることも念頭に、会社の経営に触れてみたいという感覚がありました。

そこで、一般企業への就職活動を行い、大手フランチャイズチェーンへの就職を決めました。コンビニのスーパーバイザーとしてコンサルティングを行う業種だったのですが、入社2ヶ月で店舗経営に携わることができるという話に魅力を感じたんです。多くの失敗や経験が学び、3年程で独立しようという考えで入社を決めました。

実際に働き始めると、群馬と石川の店舗の経営に携わることになったのですが、新しい環境での学びは新鮮でしたね。早さや技術ではなく、仕事をしている人の人間性にお客さんが着くことが分かり、異常にファンの多い店員の様子を見本にマニュアルを作ったことで、2店舗とも歴代の売上トップを越えることができました。

また、個人的にスポーツから遠ざかっていたこともあり、もう一度現役選手としてバドミントンを始めることに決めました。最初は仕事が忙しかったのですが、システム化ができ残業が減ってからはクラブチームに所属し、大会にも参加するようになりました。高校時代にインターハイに出場できなかったこともあり、社会人の大会で全国を目指すという目標もできました。

ところが、入社して10ヶ月ほど経つと、会社が店舗の管理を行う際の評価指標の方針に違和感を感じるようになったんです。このシステムを10年20年先にも継続できるのだろうかという疑問に加え、自分自身、3年後のステップが見えない状況でした。

そこで、将来が描けないのであれば環境を変えたほうが良いという思いから、約1年弱で退職をすることに決めました。大学時代のトレーナーを再開する等、東京でまた事業を起こせば良いかなという感覚でしたね。

すると、ちょうどそんなタイミングで、トレーナー時代仲良くさせていただいていた方の会社で新しく立ち上げたグループ会社で働かないかという誘いをいただいたんです。その会社はスポーツや健康をテーマとしたメディア運営やマーケティングを行っており、「生涯現役であるためのサポートをする」という自分のミッションに非常に近い事業を行っていました。そのため、必要としてもらえているならば、という思いに加え、自分1人でやるよりも、会社として同じミッションを目指そうという感覚から、いまじにあ株式会社の4人目のメンバーとして入社を決めました。

「生涯現役」を支えるスポーツマーケティングの専門家に


新しい会社では「ストレッチポール公式ブログ」というメディアを運営しており、健康やスポーツに関する情報を発信しています。読者の方は20代から40代の女性が多く、姿勢やダイエット等の身近なテーマをキッカケに、まずは健康に興味を持ってもらい、自分自身で何か行動を起こしてもらうことができればと考えています。

私自身は取材から記事の執筆までメディア運営に関わる一連の業務を行っており、目指しているのはトレーナー時代と同じく、生まれてから死ぬまで人生を楽しむための身体作りです。人生を振り返る時に、良かったと感じてもらえるよう、健康の面からサポートできればと考えています。

また、将来は健康についてのコンサルティングを、対企業への福利厚生の一環としても提供していきたいと考えています。バドミントンのプレイヤーとして成果を残していくことで、スポンサーのような形で企業と連携していけるのが理想ですね。

あとは、メディア運営を通じてマーケティングの力を養うことで、トレーナーの集客支援等、スポーツマーケティングの分野にも力を入れていきたいと考えています。自分自身が苦労したこともありますし、「食える体育人」を増やしたいという思いがあるんです。学生時代は部活でスポーツに打ち込む人が多数いながら、仕事として食べていける人は非常に少ないため、その切り口を広げることがしたいですね。

それらの目標を達成するためにも、まずは自分がミッションの通り生涯現役でいなければと感じています。自分自身が現役プレイヤーでいつづけることが一番の原動力であるからこそ、社会人リーグで全国大会を目指すのはもちろん、生涯コートに立っていられるよう、努力を続けていきます。

2015.09.14

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