幼い頃からの夢の入り口に立った気がします。ノーベル賞技術、iPS細胞で遺伝子療法を。

京都大学iPS細胞研究所(CiRA)における最年少の主任研究員として、血友病や筋ジストロフィーなどの病気を対象に、iPS細胞を用いた遺伝子療法を研究する堀田さん。小さい頃から憧れていた、人の役に立つ研究者という夢を目指し、国内外で研究に没頭する日々。そんな中、「iPS細胞」との衝撃的な出会いを通じて新たな挑戦に踏み出すことに。「夢の入り口に立った気がする」と話す背景を伺いました。

堀田 秋津

ほった あきつ|iPS細胞を用いた遺伝子療法の研究
京都大学iPS細胞研究所(CiRA) 未来生命科学開拓部門の主任研究員として、血友病や筋ジストロフィー等を対象に、iPS細胞を用いた遺伝子療法の研究を行う。

※本チャンネルは、TBSテレビ「夢の扉+」の協力でお届けしました。
TBSテレビ「夢の扉+」で、堀田 秋津さんの活動に密着したドキュメンタリーが、
2015年9月20日(日)18時30分から放送されます。

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研究者への憧れと、生物の多様性への探究心


私は愛知県名古屋市に生まれました。小さい頃から知的好奇心が旺盛で、知らないことは調べないと気が済まないような性格でした。喘息持ちで体力が無かったこともあり、本を読む時間が長く、偉人の伝記漫画を読み漁っていましたね。その中でも、特にニュートン等の話を読んで研究者に憧れを抱くようになっていきました。今までの常識を覆すような発見ができる仕事に魅力を感じたことに加え、父が大学教員だったこともあり、より関心は強くなっていきました。

しかし、高校に進学して文理選択の時期が来ると、自らの興味範囲を狭めることに、悩んでしまったんです。数学や化学が得意なので理系に進もうかという思いはありつつ、本を読むのが好きだったので、理系に進学するとそれを諦めなければいけないようなイメージもありました。

結果的には自らの得意を優先して理系を選択したものの、その後迎えた大学受験でも同じ悩みが尽きずにいました。年を重ねるに連れて、将来は人の役に立つ研究者になりたいという思いがより強くなりながら、何を専門にするかは目移りをしているような状態でしたね。

血を見るのは苦手だから医学部ではないし、農業という感じでもない、理学部と工学部の違いはあまりよくわからない…。そんな風に悩んだ後、最終的には通っていた高校の隣にあった名古屋大学に進学を決め、中でも規模が大きかった工学部化学・生物工学科に進学を決めました。

ところが、実際に入学してみると、正直授業はあまり面白くありませんでした。そこそこ真面目に受講しているものの、これは何の役に立つんだろうかと、中々身近なものとして捉えることもできず、知的好奇心以前の問題でした。大学祭の委員や軽音部活動等をしながら学生生活は充実しつつも、「これがやりたい」というものを見つけられずにいたんです。

それでも、大学4年になってからは、生物系の研究室に進むことに決めました。化学についても面白いと感じていたのですが、既に体系立っている分、どこかその先のレールが決まっているイメージがありました。それに対し生物は、システムとしてははっきりしているものの、その背景は非常に複雑で、多様性や柔らかさに奥深さを感じたんです。誰もが自分の身体の中に細胞を持っているのに、分からないことも多く、興味を持つようになっていきました。

その中でも特に惹かれたのは、遺伝子の分野でした。遺伝子こそ生物の複雑さを規定する情報であるため、それを知ることは生物自体を知ることに繋がると感じたんです。学部の研究室選びはじゃんけんで負けてしまい、タンパク質の形や構造を調べる研究室に配属になったのですが、取り組むうちに楽しめるようになり、大学院に進学してからは、希望していた遺伝子工学を研究するようになりました。

遺伝子工学への没頭と新天地カナダでの研究


修士2年・博士3年の計5年間は、細胞の中に外から遺伝子を運び込む研究を行いました。具体的には、鶏に医薬品となるヒト抗体の遺伝子を組み込むことで、卵に抗体を含ませるというもので、普通に抗体を作るよりも安価に量産することを目指した研究でした。

その研究では、「ウイルスベクター」という遺伝子導入方法を利用しました。ただ、外から遺伝子を入れ込む作業は、まるで30億文字ある分厚い辞書の中に1ページを新たに追加するような作業で、辞書の中のどこに運び込まれるかはランダムで制御できない状況でした。

また、辞書で例えると閉まっているページのように、働いていない部分に運び込まれてしまうと、発現しない(効果が現れない)という問題もありました。配列としては新しい遺伝子が組み込まれているはずなのに、効果が出ないケースがあったんです。研究を通じて博士号は取れたものの、もっとここは突き詰めたいという思いが残りましたね。

その後、大学院を卒業してからは、カナダのトロントにある、小児病院の研究室で博士研究員として働くことに決めました。先の研究から続けて関心を持っていた、遺伝子の発現を抑止してしまう作用を、遺伝子工学の花形であるマウスで研究したいという思いがあったことに加え、海外での研究への思いもありました。

元々、研究に国境の垣根は無いため、自分も英語ができなくてはと考えており、参加した国際学会で外国人スピーカーの講演を聞き取れなかったことや、日本人スピーカーの下手な英語を聞いて、これでは世界に出られないという危機感を抱いたこともありました。

そこで、博士号を取ってからは英語圏で研究をしようと考え、海外で自分の研究テーマに取り組んでいる所を探すと、一カ所だけ該当した研究室がトロント小児病院にあったんです。どんな場所なのか全く知りませんでしたが、すぐにメールを送りました。

実際に足を運んでみると、非常に刺激的な環境でしたね、一見するとまるでデパートのおもちゃ売り場のような建物なのですが、北米最大規模の小児病院で、最先端の機械がずらっと並んでおり、ボスもメンバーも気さくな方ばかりでした。27歳にして大きな環境の変化でしたが、綺麗な町で研究も楽しく、非常に充実していましたね。

具体的な研究としては、これまでに続いて、遺伝子を運ぶウィルスベクターが発現しなくなる抑制作用について研究していきました。実験を進めていくと、臓器や組織に分化する能力があるES細胞に遺伝子を入れた場合は発現しないものの、分化した後の細胞に遺伝子を挿入した場合は発現が起こることがわかりました。

そこで、その現象を真逆にし、ES細胞の場合だけ発現するようにできないかという研究を始めました。ES細胞の持つ発現抑制作用を解除できるウイルスベクターが開発できれば、発現抑制の原因が分かるかもしれないという思いもあったからです。

ボスの協力も得ながら試行錯誤をした結果、なんとか満足に機能するベクターを生み出すことに成功しました。

「iPS細胞」の衝撃


そんな風に自らの研究に打ち込んでいた2006年のある時、京都大学の山中先生がiPS細胞についての論文を発表されました。同じ分野の研究を行っている研究者として、「人間の体細胞に少数(3〜4つ)の遺伝子を組み合わせて導入するだけで、無限に増殖する能力と体の全ての細胞を作り出す能力を獲得し、人為的にES細胞の様な細胞へ変換できる」という説明を最初に聞いたときは「これ本当なのかな?」という疑問で一杯でしたね。それほど衝撃的な発表だったため、正直、真に受けずに自らの研究を続けていました。

ところが、他のチームが実験をしてみても再現ができたという話を聞き、私自身の手でiPS細胞作成実験を行いたいと考えるようになりました。同時に、iPS細胞技術は私の開発したベクターとも非常に相性が良いことに気づきました。当時、iPS細胞の作成効率はとても低く、多くの細胞の中からiPS細胞を選び出す操作が必要でした。しかしながら、私の開発したウイルスベクターを予め体細胞に入れておけば、そのままでは発現しませんが、iPS細胞化に成功してES細胞と同様の状態となった時に発現を始めるはずだと考えたのです。

そして、実際に私のベクターを導入した体細胞を用いて実験を行った所、驚くほど簡単にiPS細胞ができ、その部分だけが私のベクターを発現して緑の蛍光を放っていました。この時はすぐにボスを顕微鏡の所まで呼んできて、喜びと興奮を共有しました。本当に嬉しい瞬間でしたね。私の開発したベクターとiPS細胞技術の、まさに偶然の出会いでした。

その後、カナダでの研究が一区切りついてからは、日本でもっとiPS細胞を用いた研究をしたいという思いが強くなっていきました。やはり日本でiPS細胞の研究が盛り上がっているのを遠くで感じており、山中先生の元で研究をしたいという思いを抱くようになったんです。元々、カナダに渡ってから2人目の子どもにも恵まれ、だんだん大きくなって学校の事を考える必要もありましたし、両親が体調を崩してしまい、なるべく近くにいたいという気持ちもありました。

すると、そんなタイミングで、たまたまカナダの研究所のボスが日本に行く機会があり、山中先生も参加されている学会で発表をすることになりました。そして、私のiPS細胞を用いた研究を知った山中先生から、ボスを通じて「日本で仕事を探しているなら、連絡してくれ」という伝言をいただいたんです。

まさに将来のことを考えている時期だったため、機会をいただけたことはすごく嬉しかったですね。最終的には、2010年から京都大学iPS細胞研究所にて研究を行うことになり、主任研究員として自らの研究グループを持たせていただけることになりました。31歳という、研究者としてもまだまだ駆け出しの身でありながら、大きなチャンスを任せていただいた懐の深さに感謝をしながら、日本での研究をスタートしました。

小さい頃からの夢の入り口に立った感覚


京都大学iPS細胞研究所では、iPS細胞を使って何ができるかを考えた結果、自分が得意な遺伝子工学と組み合わせ、iPS細胞を用いた遺伝子療法をテーマに研究室を立ち上げました。具体的には、(先天性の)遺伝病に対する治療法をiPS細胞を用いて開発するというテーマで、血友病・筋ジストロフィーという主に二つの病気を対象に研究を進めています。

血友病とは、血液凝固因子の欠損により血液の凝固異常が起こり、血が固まりにくくなるという病気なのですが、私たちは原因となっている欠損遺伝子を外から患者さんの細胞に入れる研究を行っています。学生時代から研究を行っている遺伝子を運ぶベクターを用いて、外からiPS細胞内にいれることで、血液凝固機能を改善することができないかということに挑戦しています。

また、筋肉細胞のジストフィンという遺伝子に異常をきたし、筋肉を動かすほどに細胞が壊れて筋力の低下をもたらす、デュシェンヌ型筋ジストロフィーという病気については、外部からの遺伝子投与が難しいため、壊れている遺伝子そのものを直すことができないかという試みを行っています。

具体的には、患者さんの細胞からiPS細胞を作成し、ゲノム編集という技術を用いて遺伝子の操作を行い、正常なジストフィンを持つ細胞を作ることで、健康な筋肉を作ることに繋げていこうとしています。30億文字の中から1文字の誤植を書き換えるというような作業ですが、なんとか狙った部分だけ書き換えることが無事にできるようになっています。

これらの研究は、多くの人との出会いや支えにより進んでいます。血友病については奈良医科大学の小児科の先生にカナダ時代に出会ったことで、一緒に共同研究をさせてもらうことになりましたし、筋ジストロフィーについても、iPS細胞研究所でたまたま同じ部屋だった先生方と3人で共同研究を進めたことで今の方向性が固まりました。また、2012年には師である山中先生が、ジョン・ガードン氏と共にノーベル生理学・医学賞を受賞され、その様子を間近で見られるという栄誉もありました。

主任研究員という管理職の様な立場になり、実験のための研究費捻出や研究所運営の仕事などに忙殺され、思った以上に細胞等を触る時間が減ってしまい、仕事内容の変化に戸惑うこともあります。しかし、小さい頃から夢に描いていた「人の役に立つ研究者になる」という夢に対し、やっと今その入り口に立てた感覚があるんです。研究者になることは飽くまでも始まりで、ここから人の役に立つ研究を形にすることが目標です。

「こういう研究があってよかったな」と言ってもらえるような研究者になるためにも、定年となる30年後までには患者のもとに届く技術を生み出すために、焦らずにできる準備を着実に積み重ねていきたいです。

2015.09.14

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