「大好き」と言われるタクシー会社でありたい。後継の葛藤と社風への感謝、世代を越えた使命。

長野・新潟・群馬を拠点に、タクシー事業や空港送迎事業等を運営する中央タクシー株式会社の代表を務める宇都宮さん。小さい頃から将来は家業を継ぐだろうと考えながらも、実際に働き始めて感じた葛藤と苦悩。社風の重要性を痛感し、「大好き」と言われる会社を目指すことに決めた背景とは?

宇都宮 司

うつのみや つかさ|タクシー会社経営
長野・新潟・群馬を拠点に、タクシー事業・送迎代行事業・旅行事業空港送迎事業等を運営する中央タクシー株式会社の代表取締役社長を務める。

※この記事は、株式会社船井総合研究所の提供でお届けしました。
中央タクシー株式会社

家業を継ぐため、理想のタクシー会社へ


私は、長野県長野市でタクシー会社を営む家庭に生まれました。小さい頃から単純な性格でスポーツ好き、特に野球が好きだったため、将来は野球選手になりたいと思い、ユニホームを着て寝ているような子どもでした。しかし、進学した中学校には野球部が無く、硬式野球のクラブチームと学内のサッカー部を兼部した結果、両立ができずにサッカーに舵を切ることに。それでも、正直あまり向いていない感覚があったため、高校からはゴルフに打ち込むようにありました。元々、家業のタクシー会社の社屋の2階が改築されてゴルフスクールになったことで関心を持ち始めたことに加え、長野日本大学高等学校というゴルフ部の強い日大の付属校に進学したことも一つの要因でした。将来はプロゴルファーを目指そうと考えていましたね。

とはいえ、うっすらと家業を継ぐことも頭にあり、大学への進学時には、多少経営の役に立つんじゃないかという思いから商学部に進学することに決めました。親から継ぎなさいと言われたことはありませんでしたし、逆にふさわしくなければ任せないという話すらありましたが、最終的には実家の中央タクシーという会社に入るものだと思い込んでいる面があったんです。

そんなことも頭にあったため、大学ではゴルフに打ち込みながらも、なるべく様々な人と触れ合い人脈を築くことや、大学生だからといって時間を無駄にしてしまわぬよう意識してすごしていました。地元を離れ東京での寮生活でしたが、充実していましたね。

そして、卒業が近づくと、京都でタクシー業界最大手を誇るMKタクシーのみ選考を受けることに決めました。元々、父が非常にお世話になった会社で、中央タクシーが目指すモデルの会社でもあったんです。

私の家計は元々、祖父の代からバスやタクシーの会社を経営していたのですが、ある時不振のタクシー会社の再建を委託され、祖父の会社を父が手伝っていた時期がありました。その会社は非常に疲弊しており、荒くれ者のドライバーが集まり、毎日苦情の山。良い方が入社されても、働いていくうちに人が変わっていき、表情が失われ、挨拶もしなくなっていくような状況で、この会社は潰した方が良いのではないかとすら思ったそうです。

そして、父が28歳のタイミングでその会社を離れて自らタクシー事業を立ち上げようと考えた時、反面教師は知りながらも、どうすればそうでない会社を築けるかはイメージが持てない中、出会ったのがMKタクシーでした。「乗務員の挨拶ができていなかったら運賃をいただかない」という雑誌の記事を父が見て、嘘だろうと思って京都を訪れ、実際に乗車してみると、素晴らしいおもてなしを受けて世界観が一気に広がったとのことでした。さらには、青木オーナーから「君は長野のMKになれ」という激励をいただいた父は、30年来毎月京都に通い、勉強をさせてもらっていたんです。

野球選手になるために甲子園の強豪校に行こうと考えるように、将来は自社に入るために業界の理想的な企業に入る。そんな風に非常にシンプルな決断でした。

MKタクシーで抱いた憧れと不安


実際に入社してからはタクシードライバーとして現場で働き始めたのですが、思った以上に大変でしたね。方向音痴であることに加え、京都という慣れない街、周りのドライバーのように車が大好きという訳でもなかったので、業務中に流した冷や汗の量は誰よりも多かったです。自分の至らぬ点でお客様からお叱りをいただくこともありましたが、上司に一緒にお詫びをしてもらうこともあり、すごく周りの方には感謝をしていました。オーナー含め、周りの方に素性を全く伝えずに働いていましたが、社員の皆さんにはとても助けていただきました。

また、現場での業務だけでなく、タクシー会社の経営という観点でも学ぶことばかりでした。オーナーのエネルギーや叩き上げのパワーはもちろん、自分と同じ立場にあたる経営者一族のご子息も本当にパワフルで、「俺、あの人についていくわ」と話す社員がいるほどカリスマ性がありました。そんな風に印象的に語る姿を見ながら、「自分もああいう風になれるのかな?」と憧れと同時に不安も感じましたね。

しかし、その後、実家の中央タクシーで品質保証のISO規格を取得することになり、管理系人財が必要という話があり、声がかかり長野に戻ることになりました。4月に入社してから半年経たない9月に転職という状況でしたが、個人的にドライバー業務が向いていなかったこともあり、どこか安堵感もありましたね。もともと、必ず何年いようと決めていた訳でもなかったので、すんなりと転職を決めました。

空回り・挫折を経て気づいた「社風」の大切さ


中央タクシーで働き始めてからは、同じタクシー会社でも内勤業務に変わったのですが、PCを使うこともままならなかったので、慣れない業務に苦労する日々を過ごしました。

また、創業者の息子という立場もあってか、周りの社員の方々が初日から席に挨拶にきていただき、非常に驚きました。しかし、業務においては状況が異なり、逆に言ったことを聞いてもらえないことも多々あったんです。次第に、「ボンクラが帰って来たと思われたくない、舐められてはいけない」という気持ちが強くなっていき、指示しても聞いてもらえない際は、語気を強めることも多くなっていきました。年上で業界歴も上の先輩ではあるものの、なぜ言うことを聞いてもらえないんだろうという焦りがありましたね。

ある時、会議室で事故を起こしてしまったドライバーを囲って反省会をしていると、社長がたまたま入って来たことがありました。すると、他の社員が座っている中、そのドライバーがホワイトボードの前に立っている姿を見た社長は、「●●さん、座りなさい」と静かに声をかけました。そして、その瞬間、はっとして何か自分は間違ったことをしたんじゃないかという感覚を抱きました。また、お客さんから感謝の手紙をいただいた報告をしてくれた社員から、「社長はもっと喜んでくれるのにな」と言われたこともありました。MKで憧れたような理想のイメージを持ちながらも、空回りした自分はただ高圧的な社員になりつつありました。

そんな折、新潟に新しい営業所を立ち上げることになり、新規で6名を採用して私が責任者となり、営業を開始することになりました。しかし、それまで180人の会社で社員を少なからずまとめていたつもりが、企業風土も慣習もない対等な環境では、6人の社員すら全くまとめることができなかったんです。改めて自分が空回りしていることをしみじみと感じるとともに、「自分がまとめていたのではなく、周りの皆がまとまってくれていたんだ」ということを強烈に感じました。自分の情けなさ・無力さにショックを受け、ボロボロでしたね。

それでも、周りの社員への感謝を強く感じるようになり、組織を支えていた風土や社風への感謝の気持ちを痛烈に感じました。「中央タクシーは社風を大切にしています」と、言葉では知りながら、その社風に救われていたことを心から感じ、どうやってその社風や風土を作るかを本気で考えるようになっていったんです。正直、自分に自信を無くしてしまう時期もありましたが、自分から積極的に挨拶をしたり、名前を呼んで挨拶してみたり、小さな変化が起こっていきました。

社長就任のプレッシャーと信じるための努力


そして、新潟拠点の立ち上げから2年が経った2008年に、社長が会長職に就き、私が社長を務めることに決まりました。正直、最初はプレッシャーがものすごく大きく、「社長」と呼ばれることも嫌でしたね。何より、事務連絡ではない、ビジョンを語る仕事になったことで、「年齢も業界歴も上の先輩社員に自分が何を語れるんだ?」とある種の気持ち悪さも感じていました。

一方で、社風の重要性に気づいて以来、会長の言動を注視して勉強するようにもなったのですが、会社がどんな状況であれ自信を持って理想を語っており、「こんな時にそれを言えるのか!」と驚いたこともありました。

そこで、社長に就任しながらも葛藤があった私は、会長に対し、自分の言葉が社員に伝わっていない感覚があること、自分自身美しい言葉を語ることに抵抗を感じていることを相談しました。すると、ひと言だけ、「言っているうちにそう思えるようになる」という言葉をもらったんです。今思えていなくてもいいんだと感じ、救われたような気がしました。

それからは、とにかく自ら言葉として発することを続けていきました。やはり社内会議の前は非常に緊張するのですが、その前に、何度も何度も自分に伝えるんです。すると、どんどん沸き上がってくるものがあり、「よし行くぞ!」という気持ちになるんですよね。気づけば、自分を信じ、会社のビジョンを信じられるようになっていきました。

「大好き」と言ってもらえる会社に


現在は、長野・新潟・群馬を拠点とした通常のタクシー事業に加え、お酒を飲んだドライバーの方向けの送迎代行事業、旅行ツアーを企画し相乗りで家から向かう旅行事業、ご自宅と空港を送迎する空港送迎事業を展開しています。特に長野の場合、始発に乗っても成田・羽田の午前中の便に間に合わないケースもあり、24時間調整可能な点も喜んでいただいています。

会社としても空港送迎の事業は一番の柱で、今はその拡大に力を入れています。具体的には、空港から家まで帰る際に、乗り合いの仕組みをとっているため、その待ち時間を縮小するため、送迎エリアを広げ、お客さんの数を増やすことに注力しています。

それは個別のお客様の満足につながるだけでなく、田舎の地域では、電車が何時間に一本とかバスが来ないとか、交通の利便性自体が地域評価の尺度につながる面も強いため、自らの地域を誇れることにも繋がっていくと思うんです。長野経済にとっても重要な点なので、空港から行ける場所のネットワークを広げていくことには力を入れたいですね。

また、地方創世という意味では、訪日外国人の方に向けた対応も大きな使命となります。現在、海外の方から「日本人ていいね、大好きだわ」と感じてもらう貢献をしたいと考えているんです。空港を出て最初に受けるサービスがタクシー乗車だとすると、私たちの振る舞いが日本を印象づける大事な一瞬になります。逆に、海外旅行に行っていた日本人の方が帰ってくるシーンも同じです。「やっぱり日本はいいな、すごいな」と思ってもらえるようなサービスを提供したいんですよね。

仕事の仕方を高めていくことがプロであり、先代がしてきたことです。だからこそ、ただ効率的な移動を提供するのではなく、地域の誇りや日本への感動を提供できればと考えています。

そんな風に考えて仕事をしているからこそ、「中央さんがあって助かるわ」とか、「中央さん大好き」と言ってもらえることが本当に嬉しいです。その言葉の裏には、実際にそのお客様に接した人間の存在を浮かべてもらっていると思うんです。技術はどんどん発達し、車自体もオートメーション化しています。だからこそ、その中で人がどう価値を提供できるか、「大好き」といってもらえる存在でいられるかが重要だと感じています。

私の人生は、中央タクシーという会社をどうにかするためにあると考えています。逆に自分の存在価値はそこにしかないと思っています。タクシー事業を始めた祖父は、私が小5の時に亡くなりました。生前はあまりたくさん話すことができなかったので、いつか、あの世で会ったら褒めてもらえるように、これからも「大好き」と言ってもらえるような会社・社風を次の時代に繋いでいきたいです。

2015.09.03

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