世界中の知らない場所に行き続けたい!旅するミュージシャンの13年間の歩み。

13年間日本・世界での旅を続け、各地で路上ライブで生計を立ててきた金丸さん。旅を続ける背景には、どんな想いを持っているのか?お話を伺いました。

金丸 文武

かねまる ふみたけ|旅するミュージシャン
旅するミュージシャンとして、各地を回りながら路上ライブを行う。

ひとりで知らない場所に行くのが好き


僕は宮崎県で生まれました。小さな頃から知らない場所に行くのが好きで、夜遅くまで外で遊んでいたり、校区外にひとりで遊びに行くような性格でしたね。

父は趣味でギターを弾いていて、その姿を見て育った僕も、中学生の頃にギターを始めました。そして、高校生になると、ハードロックを演奏するバンドで活動しつつ、学校の先輩が路上ライブでお小遣いを稼いでいると聞いたので、僕もひとりで路上ライブもするようになりました。

地元の街で聞いてくれるのは年配の人が多かったので、路上ではバンドとは打って変わってフォークソングを歌っていました。すると、一日で2万円近く稼げる日もあったんです。そのお金で良いギターを買ったりと、お金には困りませんでしたね。

また、変わらず知らない場所に行くのは好きだったので、ヒッチハイクで九州中を旅していました。地元は1時間に1本しか電車が来ないような田舎で、街に出る時もヒッチハイクをしていたので抵抗はありませんでした。そして、旅先でも路上で弾き語りをして、節約のため野宿をするようになっていきました。

音楽は好きでしたが、将来プロになりたいわけではありませんでした。だからといって特になりたいものもなく、高校卒業後は音響を学ぶ専門学校に進学することにしました。ただ、あまり楽しいとは感じられなかったし、集団で何かをするのも苦手でしたね。

さらに、九州以外はほとんど行ったことがなかったので、まだ行ったことのない場所を見てみたいという気持ちが強くなってきてしまいました。そこで、日本一周をすることに決めて、専門学校は半年ほどで辞めることにしました。

路上ライブで稼ぎながら日本一周を達成する


そして1年半ほどアルバイトをしながらお金を貯め車を買い、20歳の時に日本一周の旅に出ました。まずは車を置いてフェリーで沖縄に行き、その後北上していこうと考えていました。

旅のスタート時は、所持金は500円位しかありませんでした。路上で弾き語りをしたら稼げると思っていたんです。

ところが、沖縄の「国際通り」で歌ったところ、立ち止まってくれる人はほとんどいませんでした。正直、外国人がたくさんいることに異国感を感じてしまい、怖気づいてほとんど歌えなかったんです。

仕方ないので野宿をすることにしましたが、運悪く台風が来てしまいました。台風の中、外で寝泊まりするのはさすがに厳しく、野宿は3日で諦め、宿と交渉して後払いで泊めてもらうことにしました。それからは、一か所に何週間か留まってアルバイトでお金を稼ぎつつ、旅を続けるようになり、路上ライブはあまりしなくなってしまったんです。

どんどん北上していき、北海道の富良野にたどり着くと、ちょうど車が壊れてしまいました。困っていると、現地で知り合った人が助けてくれて、車も、住む家も、仕事の工面もしてくれることになったんです。そこで、雪解けの時期までは富良野で過ごすことにしました。

1年ほど富良野で過ごした後、旅を再開することに。ただ、元々は路上で稼ぎながら回ろうと思っていたので、今のようにアルバイトをしながら旅をするのでは意味が無いと感じていました。そこで、覚悟を決めて毎日路上に出ることに決めました。

すると、路上に出たら何かしらの反応が返ってくるんですよね。今までは、やらないから結果が出なかっただけ。10曲弾いて何の反応がなくとも、11曲目には誰かが声をかけてくれるかもしれなかったと気付けたんです。

徐々に路上ライブだけでお金を稼ぐことができるようになり、4年半ほどで日本一周の旅を終えることができました。

ギターを背負って世界一周へ


旅の終盤には、もっと遠くに行きたいと考え、世界一周を視野に入れ始めていました。また、旅で見たものを伝えるため、自叙伝を出版したいとも考えていました。そこで、旅を終えた後は、本を自主出版し、販売するためにまた全国を回ることにしました。

日本を一周したといえど、まだ行ったことのない場所もたくさんありました。そして、新しい場所に行ったり、各地で弾き語りをしたりしながら本の販売をしていきました。また、各地ではライブハウスでも演奏をするようになりました。すると、他のミュージシャンとの繋がりもできるし、人の演奏を聞く機会も増え、音楽の幅は広がっていきました。

数年かけて、本は3000部ほど販売することができたし、日本での音楽活動の区切りともなるような納得感のあるCDを作ることもできました。

そこで30歳の時に、ついに世界一周の旅に出ることにしました。6千円とギターを持ち、鳥取県の港からロシアのウラジオストックに渡りました。初めての海外。しかも、英語もほとんど通じない場所だったので、不安は大きかったですね。

最初はすごく怖くて、路上ライブをする場所を確保したものの、歌い出すまでに2時間ほどもじもじしていました。殴られたりするかもしれないと、完全に怖気づいていたんです。それでも、お金を稼がなければならないので、意を決して歌い出しました。すると、1300円ほど稼ぐことができて、「もしかしたら海外でも稼げるかもしれない」と自信を持てました。

その後、シベリア鉄道でヨーロッパに向かい、北欧を周った後、東ヨーロッパまで行きました。鉄道の中では、歌えばすぐにヒーローになることができました。こっちでも歌ってくれと、引っ張りだこでしたね。また、ノルウェーではヒッチハイクで北の方まで行ったり、世界遺産でもあるウルネスの木造教会を見たり、今までに見たことのない場所に行くことができました。

ブログが有名になると旅の質も変わる


ただ、東ヨーロッパを回っている時、シェンゲン協定の存在を知らずに期限を過ぎてしまい、協定国外に出なければならなくなりました。3ヵ月でまたヨーロッパに入ってきて大丈夫だと許可証をもらったので、いったん区外に出て、バルカン半島を下ってトルコを目指しました。

毎日マイナス10℃くらいまで気温が下がる中、サンダルで雪の中を歩いていましたね。寒すぎて歌も歌えないし、野宿をしても寒くて全く寝付けませんでした。お金は節約しなければならなかったので、基本的には公園や橋の下、お墓などで寝ていたのですが、サラエボでマイナス20℃になった日は、さすがに宿に泊まりました。

そして中東やエジプトで3ヶ月ほど過ごした後、ヨーロッパに戻り、スペインから北上していきました。ところが、スイスでまた止められてしまったんです。3ヵ月の許可証は間違いで、1年は協定国には入れないと。そのため、1週間ほどで必死にお金を貯め、飛行機でカナダに飛ぶことにしました。それからアメリカ大陸を南下していき、アルゼンチンからオセアニアに飛び、さらにシンガポールから東南アジアに入りました。

旅の道中、ずっと世界一周ブログを書いていたこともあり、東南アジアに来る頃には、日本の人から連絡をもらうようになっていました。駐在員の人などには、食事を御馳走になったりもしました。

そのため、それまでの孤独な旅とは打って代わり、ある種「普通」の生活を送っているような感覚を持つようになっていて、何のために旅をしているのかと、考えることも増えていました。

そんな時、タイで全財産の半分を盗られてしまいました。インドにも行こうと考えていた矢先だったので、かなりの痛手でした。それでも諦めきれず、インドに行ったのですが、今度は全財産盗られてしまったんです。

熱いし、お金もないし、その上赤痢になってしまい、かなり体調が悪い状態。それでも、歌わなければ生きていけないので、必死に路上ライブで稼ぎ、なんとか中国に渡りました。

しかし、中国でも安い宿は見つからずに、言葉もロクに通じず途方にくれていると、宿のスタッフが、「日本人ですか?」と日本語で話しかけてくれたんです。そして、日本人は友達だから、ゲストとして無料で泊まってくれと言うんです。食事も宿も薬も全て手配してもらい、すっかり体調は回復していきました。

どうしてこんなに良くしてくれるのかと聞くと、彼らは、「友達なんだからあたりまえ」と言うだけでした。旅での人との出会いに感動し、久しぶりに自分の原点に帰れたような気持ちでした。

そして、台湾、韓国と行き、2年4ヶ月の旅を終えて2014年9月に日本に帰国しました。

世界中の面白いことを知ってから死にたい


現在は、世界一周を応援してくれた人への御礼や、帰ってきた報告のために、再び日本を旅しています。また、新しい本を出したので、その本を販売する旅でもあります。今までも色々な場所に行きましたが、人が生活している場所なんて無限にあるので、まだ行ったことのない新しい場所はたくさんあるんです。

今年中は日本を周り、その後はインドで音楽の先生をすることが決まっています。海外で路上ライブをしていると、必ずストリートチルドレンが集まってきて、「お金を設けているなら少し頂戴」と言われていました。その度に、僕も必死に生きているのでダメだと言うのですが、インドの子たちは他の国の子と比べてしつこく聞いてくるんです。そこで、小銭稼ぎをするんじゃなくて演奏して稼げるようにしてあげたいと思い、楽器を教えようとしたのですが、結局教えられなかったんです。

それが心残りだと思っていたところ、インドで学校の先生をしている人に出会い、「うちでやればいいじゃん」と言ってもらえたんです。そこで、2016年1月からはインドのチェンナイの学校で働きながら、ストリートチルドレンにも楽器を教えられたらと思います。

また、将来的には日本であまり使っていない楽器をインドに持っていき、ピースハウスみたいなものを作れたらとも思っています。ご飯を食べられて、遊びながら音楽をできるような場所を作り、貧困解決のために何かできたらと思っています。

10年以上旅をし続ける生活を送ってきましたが、将来的にはどこかに落ち着きたいとも思っています。個人的にはやっぱり富良野が好きなので、ゲストハウスを運営しながら、のんびり暮らしたいですね。そして、休みのシーズンは、まだ行ったことのない場所に旅に行く生活を送りたいです。

僕が旅をするのは、この世界にはせっかく面白いものがたくさんあるのに、それを知らずに死んでしまうのはもったいないと思っているからです。そのため、世界中の面白いことを全部知れるように、これからも、知らない場所に行き続ける生活を送っていきます。

2015.08.25

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