アトピーで苦しむ人がいない社会へ。自分がやるしかないという使命感、最後の挑戦。

アトピーに悩む方々が、部位・症状別にアトピー対策を投稿・閲覧できるようなSNS「untickle(アンティクル)」を運営する野村さん。アトピーをキッカケに休学や退職を余儀なくされてしまった経験から起業を志すまでには、「自分がやらなければいけない」という強い使命感がありました。

野村 千代

のむら ちよ|アトピーに悩む方へのソリューション提供
アトピーに悩む方々が、部位・症状別にアトピー対策を投稿・閲覧できるようなSNS「untickle(アンティクル)」を運営する株式会社untickleの代表取締役を務める。

アトピーの悪化で追いつめられ、たどり着いた思い


私は韓国と日本のハーフとして、韓国に生まれました。出生はソウル特別市でしたが、幼少期に日本に渡ってからはずっと日本で暮らし、母国語は日本語、母とは普段から韓国語で話すので、日常では日本語と韓国語を環境に合わせて使っていました。そして、テニスに打ち込んだ学生生活を経て高校の卒業を迎えると、2カ国語を使っていた経験や、英語が好きだったことから、将来は通訳になろうと考え、都内の私大の国際文化学部に入学を決めました。

しかし、大学での勉強はそこそこで、興味のある科目のみ真剣に取り組み、もっぱら年上の先輩や親戚と飲み歩くような生活を過ごしました。サークルには所属していなかったのですが、遊び中心の大学生でしたね。

ただ、大学三年生になり、就職活動が近づいて来た夏頃、幼い頃から患っていたアトピーが悪化し、体調を崩すようになってしまったんです。物心ついた頃から馴染んでいたステロイドという薬を、噂で聞いたにわか知識で使用するのを止めると、急に症状が悪化してしまったんですよね。かすり傷のような痛みに加え痒みがあり、24時間それが続くため、あまり眠れなくなってしまい、一旦大学を休学することに決めました。

そして、家でじっとしている療養生活を始めると、次第に精神的な余裕も無くなっていきました。見た目に変化が出る症状のため、鏡を見ることが怖くなり、ついには明かりすら恐怖に感じ、雨戸を24時間閉めてしまうような生活になっていったんです。ある時から、「なんで生きているんだろう?」と考えるまでに至りました。

ただ、じゃあ死ぬのかというと、やはり怖くて踏み切れない自分もいたんです。「やっぱり怖いな」というのが正直な気持ちでした。すると、鬱々とした気持ちは、段々と怒りに近い感情に変わっていき、「死んでいる場合ではない、何か元をとらなければ死ぬこともできない、今にみてろ!」と考えるようになっていきました。

その後、時間はかかったものの少しずつ症状が軽くなっていき、1年休学をした後に、大学に復帰できる状態まで回復しました。

組織では働けないかもしれない


復学してからは就職活動の時期を迎えたため、今後の進路について何となく考え始めるようになりました。ちょうど、大学の前半で兄や親戚が起業したこともあり、こういう生き方も面白いなという感覚があったのですが、いざ選考のエントリーが始まると、周りの学生と同じようになんとなく大企業を受けて回りました。

すると、そんな様子を見た父と兄から叱られてしまい、自分が大企業でないとダメな理由が無いことに気づいたんです。そこで、改めて色々と考えた結果、国内の韓国系企業に就職し、ビジネスでも韓国語が通用するか試してみようと決めました。そして、何となく受けた貿易系のベンチャー企業に就職することにしたんです。

実際に入社してみると、日本人が2・3人に対して韓国人が20人以上、マニュアルも無いし、東京にありながら言葉は全て韓国語と、想像以上に大変な環境でした。「すごいなところに来ちゃったな」というのが正直な感想でしたね。また、ベンチャー企業のため、最初の1時間貿易について教わった後はすぐ仕事を振られ、やり方は取引先の方に教えてもらうような日々を過ごしました。それでも、仕事は楽しく、韓国語を使ったビジネス会話もできるようになりました。

しかし、1年ほど働くと、仕事のやりすぎによる不摂生で再びアトピーが悪化してしまったんです。結局また療養期間を設けることになってしまいました。その後、症状が回復してからは同じ会社に戻ることも考えたのですが、自分にとってはベンチャーすぎたかなという思いもあり、Eコマースのマーケットを運営する韓国企業の日本支社に転職することを決めました。グローバル展開を進める会社だったこともあり、この規模なら大丈夫かなという感覚があったんです。

ところが、実際に働き始めると、テレアポも飛び込み営業も行う営業の部署に配属となり、全員がライバルというような外資系の成果主義の環境下で働くことになり、1年ほどすると、再び体調が悪化してしまったんですよね。「ああ、またか。組織で働くことはダメなんだろうな。」と感じましたね。きっとある程度の制限の中で働くことがストレスなのだろうなと。

そこで、3度目の療養から復帰するタイミングで、知人に今後の働き方を相談してみると、「自分でやってみたら?」と薦められたんです。お前ならどうにかなるんじゃないかという話を受け、その気になった私は、個人事業主として働き始めることに決めました。

最後の挑戦にふさわしいテーマ


個人で仕事を始めてからは、翻訳会社の仕事を受託したり、韓国のスタートアップ企業の日本ローカライズのコンサルティングなどの事業を行うようになりました。元々、家で仕事をしているとだらけてしまうと思い、渋谷のコワーキングスペースに拠点を構えたのですが、そこはスタートアップ企業の方が集まる場所で、次第にその環境に馴染んでいったんです。

ところが、一人で仕事をしていたのにも関わらず、再び症状が悪化して寝たきり状態になってしまいました。結局、個人でも多忙な働き方をしていたためおかしくなってしまい、「仕事をすること自体がダメなのかな?」と感じてしまいました。起業やスタートアップに関心はあるものの、自分はスローライフを送るしかないのかな、と。

また、4度も療養を余儀なくされていたこともあり、それまでとは変わって、私自身、もう少しアトピーと向き合おうという気持ちが強くありました。ところが、そんな思いから情報収集を始めると、治療方針の派閥や個人差による処置の違い、理想論に基づいたhowto本など、調べれば調べるほどカオスな状態であることを知ったんです。今の自分の状態に合った情報を探し出すことが出来ず、やっと見つけても「ストレスは溜め込まない、添加物はなるべくとらない」等と具体性が無い解決策も多く、これじゃあ患者の方は救われないという課題感が募っていきました。特に、ITに比較的強い私が検索で見つけられないのだから、他の方にとってはもっと難しいだろうと感じたんです。

そんな課題感を抱えていたある時、ビジネスの師匠と話をしていて、アトピー患者向けの情報が少ないことを相談し、世間話程度に、自分で作ったほうが早いんじゃないかという話をしたんです。すると、「それならばやってみたら?君にしかできないことだよ」という言葉をかけていただいたんですよね。

正直、これまでの経験もあったため、良くも悪くも次がラストチャンスだろうという感覚がありました。そして、その最後のチャレンジにするにはアトピーは取り組む価値のある、すごく良いテーマに感じたんです。これがダメならスローライフを送ろう、そんな覚悟で、26歳のタイミングで株式会社untickleを設立しました。

「アトピーで苦しむ人がいない社会」への使命感


立ち上げた会社では、軽・中度のアトピー患者の方向けに、同じように苦しんだ経験のあるユーザーが部位・症状別にアトピー対策を投稿するようなSNS、「untickle(アンティクル)」をリリースしました。まずは対処療法に割り切って、自分に合う情報を多くの人に届けることに注力しようと決めたんです。実際に、20代から30代の女性を中心とした方々に利用していただき、過去に苦しんだ経験をしたからこそ、助けてあげたいという思いで投稿をしていただける方もいます。

また、最近ではオンライン上だけでなく、オフラインでの接点も強化しており、新しく運営チームに加わった美容や食品のプロフェッショナルの力を借りて、料理教室の運営等も行っています。アトピーの方は意外と何故アトピーになるか理解していないので、1000ページにも及ぶテキストで原因や管理の仕方までを伝える講習を行うとともに、特に密接に関わる料理の分野から、教室も展開しています。その講習を経て専門的な知識をつけた方が少しずつ増えているので、今後はその方々を講師に料理教室をフランチャイズ化して展開していく予定です。

実際に起業をしてみて、思った以上に自分できることが少ないことに気付き、メディアで取り上げられているイケイケ経営者とは違うんだなと感じることもありました。特にチームを作ることの難しさは痛感しており、「これは使命感が無いとやめてしまうな」と再認識しましたね。それでも、もうやめてしまおうかというタイミングで、ユーザーや周りの方々から続けるキッカケをいただくことができ、「これは続けろということなんだな」と、必要とされることをすごく嬉しく感じています。

最初に1人で始めた会社ですが、今ではチームが7人まで増え、少しずつできることも広がっています。今後は、「アトピーで苦しんでいて、生活が出来なかった時代があったね」と語られるような社会を作っていきたいと考えています。それが薬でもプラットフォームでもいいんです。病気自体が無くなることはなくても、これさえやっておけばというものがあり、それが原因で不幸になる人がいない時代を作っていきたいです。

この事業をやめてしまったら私自身よくならないですし、同じような挑戦をする方が出てくるのが何年後になるか分からない状況です。だからこそ、自分がやるしかないという使命感が原動力ですね。

2015.08.20

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