人の成長を支えるエンターテイメントを。人材業界に飛び込んだ「元芸人」の挑戦。

【人生の転機を支える人間力 特集】医療系人材に特化した人材紹介事業を行う「医療ワーカー」との協力でお送りする特集です。看護師向けのキャリアコンサルタントを務める飯沢さん。引っ込み思案の性格を克服し憧れのお笑い芸人になりながらも、結果が出ずに力不足を感じる日々。そんな中、26歳のタイミングで芸人を辞め、「人の成長に関わる仕事」で再スタートを切ることに決めた理由とは?

飯沢 祥平

いいざわ しょうへい|看護師へのキャリアコンサルティング等
看護師や介護士等、医療系人材に特化した人材紹介事業を行う「医療ワーカー」(TSグループ)にてキャリアコンサルタントを務める。

※この特集は、株式会社TS工建の提供でお届けしました。

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芸人への憧れと引っ込み思案な性格


僕は京都府向日市に生まれました。小さい頃から恥ずかしがり屋で人見知りの性格、太っていた体型を気にしていたこともあり、あまり目立たない大人しい子どもでした。ただ、中学生頃からTVで見る漫才に憧れを抱き、自ら人前に立って発信し、人を楽しませたいという気持を持つようになりました。バラエティ番組で、お笑い芸人が自らの話術で場を支配し、それを仕事にしてお金をもらっている姿を見て、すごくカッコよく感じたんです。自分ができないからこそ、憧れている面もありました。

とはいえ、中々踏み出す勇気も無く、高校に進学してからも、授業とテニス部と家の往復の毎日を過ごしました。芸人になって目立ちたいけれど、周りには言えない、自ら発信したいけれども踏みとどまってしまう。自分自身それをコンプレックスに感じ、「なんかいややな」と感じていましたね。高校の先輩では漫才の甲子園で優勝するような方もいて、文化祭でも大人気だったのですが、自分たちは失敗するのが恥ずかしいため、遊び程度で隅っこで漫才をしていました。

その後、大学の付属校に通っていたこともあり、特に迷うことなく、そのまま大学に進学を決めました。なんとなく人の心がどう動くのかに関心があり、社会学部臨床真理学科を選択したものの、強い意志というよりは流されるがままに生きているような感覚でした。

そんなある時、高校卒業を直前に控えたタイミングで、親がアメリカに転勤になり、お前も来てみないかと誘われたんです。最初は数年留学するという話だったのですが、お笑いがやりたい気持ちを捨て切れていない僕は、アメリカに行ったら面白くなくなってしまうという不安感があり、結局は3ヶ月のみ滞在し、現地の語学学校に通うことになりました。

実際に現地を訪れてみると、学校に通うのは嫌でしたね。外国人ばかりで言葉が通じないため、すごく怖いんです。自ら話しかけることをしないため、昼ご飯も一人で食べていて、孤独感がありました。しかし、そんな生活を1ヶ月ほど過ごすと、さすがにどうにかしなければいけないと感じ始め、自ら話しかけてみることにしたんです。すると、思った以上に反応が良く、次第に話をするのが楽しくなっていきました。向こうも流暢に話す訳ではないこともあり、小さなことを気にしなくていいんだなと感じるようになったんです。

また、親の転勤により、実家で一人暮らしをするようになったことも、僕にとって大きな変化でした。それまで、どこか親の目を気にして「いい子」でいなければと感じていたこともありましたし、色々やってもらっていた環境がなくなると、自らやりたいことベースで考えるようになったんです。

大学デビューを経て、お笑い芸人に


そんな背景もあり、大学に入ってからはいわゆる「大学デビュー」に近い状況だったと思います。ちょうど、高校から大学にかけて痩せて体型が変わったこともあり、人に話かける自信もつくようになったんです。気づけばひたすら誰かに話しかけるようなキャラクターになり、同窓会では「お前誰?」と言われるほど変わっていきました。度胸も自信もついたものの、話し方は分からないため、こちらから話しかけたのに尻窄みで去っていくということもありましたが(笑)、人と接するのはとにかく楽しかったですね。

ただ、大学自体にはあまり前向きではありませんでした。キャンパスには通うものの、周りと遊んでいるだけで勉強に興味もなく、やはり自分はお笑いをしたいという思いから、2回生で大学を辞めて芸人の道に進もうと考えるようになったんです。これからどう生きていこうと考えてみると、やりたいことを仕事にしたほうが楽しいし、自分にとってやりたいことはやはりお笑いだったんですよね。しかし、両親から大学は卒業してほしいと言われたこともあり、大学に通いつつ、卒業後に向けてお金を貯めるようになりました。

そして、大学を卒業後は吉本興業の「NSC(New Star Creation)」というお笑い芸人の養成所に通うことに決めました。僕はコンビで漫才をやりたかったので、相方をそこで見つけたいという思いでした。実際に、NSCに入ってからはすぐにコンビを結成することが出来、コンビニの夜勤で働きながら芸人としての活動を始めました。

ネタを作ることも相方と練習をすることも、最初は何もかも新鮮でしたね。大勢の前でネタをする際は緊張して足が震え、ネタが飛んでしまい、ぽかんとして1分間が過ぎてしまったこともありました。それでも、僕たちのコンビは同期の中では割と好評をいただくことができ、自分自身、コンビのネタで人を笑わせることは本当に楽しかったですね。

しかし、コンビとしてお笑いをやっていくことは思った以上に難しいことでした。お互いお笑いの方向性が微妙に異なっており、その擦り合わせが上手く出来ずにいたんです。NSC内ではぼちぼち良いクラスにいながら、もうひと伸びができない、そんな状況でした。

そして、NSCの卒業を直前に控えたタイミングで、コンビを解散することになってしまったんです。相方のことをすごく面白いと思っていただけに、一緒に続けていけないのは本当に悲しかったですね。

26歳で決めた芸人の引退


それからは半年ほどピン芸人として活動してから、同期とコンビを結成しました。しかし、オーディションを受けても上手く行かず、手応えを掴めずにいました。結局、それから2回コンビを変えて、オーディション以外にも同期でライブを開催等も行ったのですが、状況は好転しないまま25歳を迎えました。

そして、これが上手く行かなかったら芸人を辞めようという思いで、また新たにコンビを結成したんです。正直、このままやっていても売れないかもしれないという思いに加え、例え売れたとしても長く続けていくためには、周りと比べても少し負けている感覚もあったんです。家庭も仕事も全部捨てて、自分はお笑いに捧げられるのか、考え続ける日々を過ごしました。

新しいコンビでの活動の成果はあまり思わしくないものでした。オーディションでも結果が出ず、1年ほど活動したタイミングで、ついに解散をすることになったんです。そして、「このコンビがうまくいかなったら芸人を辞める」という元々の考えの通り、26歳のタイミングでお笑い芸人を引退することを決めました。4年間芸人として活動をしたことで自分の実力が分かって来て、一生芸人としてご飯を食べていける才能が無かったんですよね。

また、元々、仕事を通じてキャリアップしたいという思いがあったことも強く影響していました。父が昔から仕事を第一に考えるタイプで、土日も楽しそうに働いていたため、僕自身働くことを大事にしたいし、それを楽しみたいという思いがあったんです。しかし、お笑いでもブレイクせず、仕事と言えばコンビニでの夜勤だけという状況に大きな危機感を感じていました。自分の成長を感じられないことがお笑いを辞める一番の理由でした。今までやってきたことが全て終わったという悲しさはありつつ、割り切って次にいこうという感覚もありましたね。

人の成長に関わりたいという新しい思い


芸人を辞めたのはよいものの、何をするかは全く決まっていない状況だったため、まずは社会勉強をしようとハローワークに通い始めました。名刺の渡し方などのビジネスマナーを学ぶと同時に、キャリアコンサルタントの方に相談して、自分の人生を整理してもらう日々を過ごしました。

その結果、まずは営業をしたい、できれば自由に考えて売ることが出来る無形商材が良い、特に人が好きだから人材業界にしよう、という思いから人材業界に就職活動をしてみることに決めました。新しい環境でも、自ら工夫して表現したいという思いや、人と接していたいという思いは変わらずにあったんです。特に、僕自身、色々なコンプレックスを乗り越えて変わって来たからこそ、人が成長することに関わりたいという思いを強く感じており、そう言った意味でも人材業界は合っているのではないかという感覚がありました。

そして実際に選考を受け始めてみると、看護師の転職支援を行う「医療ワーカー」というサービスのキャリアコンサルタント・営業職に非常に魅力を感じるようになりました。面接をした方がとても話し易く、この会社で働いたら楽しいんだろうなと感じるとともに、前年比140%で成長しているという会社自体のスピードや勢いにも魅力を感じたんです。そんな背景から、キャリアコンサルタント兼営業職として入社することを決めました。

人の成長にエンターテイメントを持って関わる


実際に働き始めると、昼間に仕事をすること自体久しぶりで、何もかもが新鮮でしたね。そして、「なんでもう少し早く転職しなかったんだろう」と思う程仕事が楽しかったんです。それまで自分の停滞感に悩まされていたからこそ、毎日新しい発見があり、様々な挑戦をさせてもらえる環境は非常に充実していましたね。

具体的には、転職を希望する看護師さんへのキャリアコンサルタントして、電話と直接お会いしての面談・面接の同行サポートに入職後フォローを行い、求人を出す医療施設への営業も一貫して行っています。看護師の方々は年齢も転職理由も様々なので、毎回相手の方に合わせたコミュニケーションが必要となります。だからこそ、まめに連絡を取って安心感や信頼関係を築くこと、フランクに接し易い雰囲気を作ることを意識しています。

特に、転職を考える段階では、課題を抱えてネガティブな雰囲気の方もいらっしゃるからこそ、相談や選択を通じて明るくなっていただけるよう、一つのエンターテイメントにできたらという思いがあります。実際に、相談を受けた際と入職後は顔つきが明るくなる方も多く、気持ちの変化が感じられるときはすごく嬉しいですね。僕たちができることはサポートでしかないのですが、一緒に面接に行っていると、やはり2人で頑張っている気持ちになるので、希望が叶った瞬間はやりがいが大きいです。

逆に、事務的な作業や内勤業務はあまり得意でないため、慣れないPCに向かい続けるのは苦労することもあります。また、人と接することは好きなものの、その際のモチベーション管理がすごく重要な仕事だということも強く感じています。自分自身が落ちていると相手の方にもそれが伝わり、物事が前に進まないのですが、反対に楽しめている時はすごくスムーズに進むことが多いんです。

そういった点も含めて、芸人をやっていて良かったと感じられるのはすごく嬉しいですね。正直、就職するまでは新しい環境で生きるイメージ等全く持てなかったのですが、初対面の方とのコミュニケーションでの表現力や相談・提案の仕方、営業における度胸など、思った以上に今までの経験を活かせる感覚があります。今までやってきて良かったなと感じると同時に、月並みですが、一生懸命何かを続けることは大事だなと感じましたね。

僕自身、まだまだ成長途中ですが、今後はより多くの人の成長に関わっていきたいと考えています。自ら感じた成長の喜びを多くの人に得てもらうためにも、自ら培ったエンターテイメントを通じて発信することを増やしていきたいですね。

2015.08.11

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