日本の美味しい酒を世界中に。人生最後の日だとしても、やりたいことを。

日本酒を世界に広めるため、海外での輸出や国内で主に日本酒を扱っていないレストランへの販売事業を行う、株式会社スリー・ボックスの共同代表を務める辻本さん。インターナショナルスクールで育ち、アメリカの大学にも通ったことで日本を客観的に見てきました。そんな辻本さんが、今日が最後の日だとしても取り組みたいと思えたこととは?お話を伺いました。

辻本 侑史郎

つじもと ゆいしろう|日本酒を世界、日本に届ける
日本の魅力を世界に発信する株式会社スリー・ボックスの代表取締役社長を務める。

日本を客観的に見る機会に恵まれる


僕は世田谷区で生まれました。両親は共にファッションデザイナーで、昔フランスに住んでいました。その時、言葉の壁でかなり大変な思いをしたそうで、僕にはその苦労を味あわせないためにと、小さな頃からインターナショナルスクールに通わせてもらっていました。

学校では様々な国から来た人と共に過ごし、話す言葉も基本的には英語でした。日本人同士でも、日本語の授業以外では、日本語で話すのは禁止されていたんです。

ただ、英語で生活をしているとはいえ、学校で触れるのは日本で暮らす外国人の子どもたちだったので、休みの期間に海外旅行に行ったり、海外のサマースクールに行ったりすると、衝撃は大きかったですね。例えば、スーパーのレジの対応など、細かいところの違いで日本を意識する瞬間があるんです。その度に日本の便利さを実感することができましたね。特に、僕は日本食や日本茶が大好きでした。

そして、高校卒業まで日本の教育機関には一切通わず、インターナショナルスクールで過ごした後は、他の多くの同級生と同じように、アメリカの大学に進学することにしました。将来どんな仕事をしたいかは、まだあまり分かっていませんでした。ただ、どんなことをするにも、資金力だったりビジネスマンとしての力は必要だと考えていたので、まずは金融業界を目指すことにしたんです。

そして、金融業界を目指すためのトップ校である、ペンシルバニア大学大学ウォートン校に進みました。

一歩目のキャリアステップとして、金融業界に


トップレベルの大学だったので、周りは高校を首席で卒業した人ばかりでした。僕の学力はそこまでではなかったので、勉強についていくのにかなり苦労しましたね。また、みんなインターナショナルスクール時代の友達よりさらに積極的で、授業中のディスカッションなどでは発言がどんどん出てきて、僕は完全に置いてけぼりになってしまいました。

それでも、目標となる同級生に勉強を教えてもらったりしながら、少しずつ馴染んでいきました。また、課題が忙しくて毎日徹夜するような生活なのですが、優秀な人ほど、金曜日の夜は絶対にパーティーに行くんですよね。オンとオフがはっきりとしている生活スタイルでした。

その後、大学は無事に卒業することができ、日本に戻って働くことにしました。僕はやっぱり日本の文化や食が好きだったし、家族も日本にいたので。そして、外資系の証券会社に入り、株式トレーダーとして働き始めました。

僕は、日本法人の中でも外国人チームに配属され、お客様も外国企業でした。海外の機関投資家の資金を運用し、日本の株式市場で取引を行っていました。毎朝その日の株式市場の動向を予測するため、5時前には起き、前日アメリカとヨーロッパで何が起きたか調べ、日経新聞の内容を把握。そして、9時に証券取引所が開くと、オフィス内でも怒号が飛び交う中、一斉に取引が始まるんです。

初めの頃は、仕事内容よりも正しい日本語を話したり、書いたりすることに苦労しました。日本の教育を受けたことがなかったので、やはりかなりてこずりましたね。それからも、日本語は難しいと思う時がしょっちゅうありましたよ。

今日が最後の日だとしたら、続けたい仕事ではなかった


日本市場は低迷していたので、お客様である海外の機関投資家からは投資先としては軽視されていました。そのため、僕個人としては、日々の株式売買で大きな利益を得た時よりも、日本市場全体が伸びている時が、一番楽しさを感じていました。ただ、そのために何かをできたわけでもなかったので、日本のためにできることはないのかと考えていました。

ただ、仕事の内容に関しては、疑問に思うこともありました。仕事は好きだったのですが、「何か価値を生み出して儲ける」のではなく、「儲けさせることで儲ける」という仕事だったので。

また、いつまでこの仕事を続けるのかと、違和感もありました。元々、将来への一歩目のキャリアだったので、ずっと続ける気はありませんでした。居心地は良かったので、現状に対しての不満は全くありませんでしたが、将来に対しての不安がありました。また、会社という組織が肌に合わないという感覚もあり、両親のように自営業、経営者として働きたいと考えるようになっていたんです。

そして、スティーブジョブズが言っていたように、毎朝鏡に向かって、「今日が最後の日だとしても、今の仕事を続けるか?」と問いかけていました。しかし、答えはいつも「ノー」でした。

30歳までには何か見つけたいと思いつつも、時間が経てば経つほど辞めずらくなる感覚もありました。そこで、27歳の時に、昔から一緒に何かやりたいと話していた大学時代の友人とふたりで会社を立ち上げることにしたんです。

日本と世界をつなぐための自分たちの強み


そして、証券会社の仕事を辞めるまでの期間は週末を使い、どんな事業を興そうかとビジネスモデルや市場の成長性などから考えていました。しかし、いくら考えても、人生をかけたいとは思えなかったんです。

そこで、改めて自分たちが本当にやりたいことは何なのかと考えていきました。共同代表の丸山も僕も海外経験が長かったことで、日本を客観的に見る機会は多くありました。そして、ふたりとも日本が大好きで、根底には日本の素晴らしさや魅力を世界に伝えたいという想いがありました。

また、海外から日本を見ることで、現状の課題は何かと冷静に考えることができました。日本が海外に情報発信する中で一番大きな課題は、言語やコミュニケーションの壁でした。それは海外経験の長い私たちにとってはむしろ強みを活かせる分野で、この課題にこそ取り組むべきだと思ったんです。

そして、日本の魅力の中でも、ふたりの共通の趣味だった日本酒を軸に事業をスタートすることにしたんです。

ただ、趣味といっても専門的なことを知っていたわけではなかったので、週末に酒造を回ったり、試飲会に足を運び、日本酒のことを学んでいきました。すると、徐々に「美味しい」とはどんな日本酒か分かるようになりました。

そして、2014年には前職を辞め、自分たちの会社一本に絞って活動を始め、海外への輸出の準備を進めつつ、日本向けの事業からスタートしました。

日本酒を世界中に届けていく


現在、日本での事業として、厳選した美味しい日本酒をレストランに販売しています。とくに、美味しいけどまだ広く知られていないものを扱うようにしています。また、日本酒自体を世の中に広めたいと考えているので、まだ日本酒を提供していないレストランにこだわって営業しています。特に、外資系の日本食以外のレストランに注力していて、どんな料理に合わせて日本酒を出せばいいのかも含めて提案してます。

さらに、個人向けの日本酒通販サービス「Gonomee(ゴノミー)」も始めました。これは、それぞれの人の味の好みに合わせた日本酒をオススメするサービスです。日本酒を好きな人でも、意外に自分の味の好みを分かっていない人も多くいます。そこで、WEBサイト上でいくつかの味や香りの好みに関する質問に答えてもらい、それによっておすすめの日本酒を提案するんです。その質問も、「日本酒は辛口と甘口どちらが好きですか?」といった答えづらいものではなく、例えば梅やりんごなど身近な食べ物での味の好みを聞いていくことで、その人の好みを判断していきます。

そして、もちろん海外への輸出事業も着々と準備を進めています。海外では日本酒ブームだとは言われたりもしますが、実際はまだアメリカへの日本酒の輸出額は40億円ほどで、全酒類の1%にも満たないんですよね。この日本酒市場を拡大できるよう、事業を確立していきたいですね。

また、将来的には、日本酒だけでなく、様々な日本文化を世界中に広める事業に展開していきたいです。個人的には日本食や日本茶など大好きですし。

会社を辞め、自分たちの看板で事業をしている今は、「売らなければ」というプレッシャーも感じていますね。ただ、それでもやっぱり今の方が毎日は充実しています。これからも、日本の魅力を世界に発信するための、事業を拡大していきます。

2015.07.30

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