人工知能を使って消費者主導のアパレル業界に。次世代の応援団としての新たな挑戦。

アパレル通販事業に長年携わり、大企業で執行役員に次ぐポジションとして働くものの、ベンチャー企業への転身を決めた石川さん。その決断に導いた、ある男との出会いとは?一社の最適ではなく、業界全体を良くしたいと話す石川さんにお話を伺いました。





石川 均

いしかわ ひとし|アパレル業界を変革する
株式会社カラフル・ボードにて執行役員、アパレル事業統括を務める。

サッカーから商売への目覚め


私は愛媛県西条市で生まれ、香川県高松市で育ちました。父は自営業だったので、働く姿をよく見ていましが、私はサッカーに熱中していて商売には興味がなく、父のことは「不安定な生活をしていないで、定職につけば?」なんて思っていましたね。サッカーにプロリーグはなかったので、将来はサッカーの指導をできる教師を目指し、高校卒業後はサッカー推薦で名古屋にある中京大学に進みました。

ところが、大学2年生の時、肺炎にもかかわらず無理して試合に出た結果、2ヶ月ほど入院することになり、1軍から3軍に落ちてしまったんです。1軍は全国大会を目指して切磋琢磨し、2軍は地元の社会人リーグでプレーする環境の中、3軍は地元で子どもにサッカーを教える程度の状況。この時、全国レベルを知り、サッカーで上を目指すのを諦めました。

そこで、アルバイトを始めると、商売の楽しさを覚えていきました。働いていた喫茶店では、店舗の運営を全て任せてくれた上に、売上が決められた額を超えると成果報酬が入ってくる提案をしてくれたんです。その中で、売上を上げるために試行錯誤していくこと自体の楽しみを感じるようになっていきました。

他にも、炉端焼きのお店で酒飲み相手の話し方を覚えたり、調理師免許を取ったりもしました。また、服が好きだったので、アパレル店でも働きました。ここでもお店を任せてもらえ、買う側ではなく売る側としてファッションに関わることで、より服が好きになっていきました。

ただ、卒業後は父の会社を継ぐことも視野に入れ、地元に戻りまずは営業力をつけようと、リクルートの四国支店で働くことにしました。





アパレル通販業界への転身


リクルートの営業は大変で、嫌気が差すこともありました。ただ、そういう時に限っていいお客様と出会って、受注できるんですよね。すると、会社では表彰されて、その一瞬の喜びのためにまた頑張ろうと思えるんです。

そして、1年半ほど働いた時、お客さんであったシムリー(※1)というアパレルのカタログ通販企業から、働かないかと誘われました。セシールやフェリシモなど巨大な通販企業が存在する中、シムリーは売上10億円程度の規模で、他の企業を追い越すために、差別化した新しいブランドを立ち上げるという話でした。

世間では「通販は直接、店頭で買えない、いかがわしい物を買う場所」という印象もありました。しかし、通販は、富士山の上にいようが、高松の田舎にいようが、どこにいても日本一になれる事業。その社長の想いを聞き、サッカーで全国レベルにはなれなかった私は心が打たれ、またファッションが好きだったこともあり、転職を決意したんです。

そして、神戸に小さな新規事業部を作り、シムリーとは別の全く新しいブランドとして、頒布会方式の通販カタログ『イマージュ』を創刊しました。ただ、最初の3年間は、他の大手通販企業の真似でしかなかったこともあり、まったく結果が出せませんでした。

しかし、「結果を出せなければ辞めます」と宣言した4年目から差別化に成功し、業績は急成長していきました。そして、イマージュの売上は200億円規模にまで達し、1993年に会社も上場しました。

また、自社の通販事業だけでなく、カジュアルファッションの先駆けであるアパレル企業から、通販事業立ち上げの相談を受けるようになりました。彼らは店舗での販売や、その拡大に強みはありましたが、通販に関しては専門外でした。そこで、イマージュのカタログのノウハウ、物流やコールセンターなどを提供することになったんです。

初めてのBtoB事業の経験。企業がスピードを重視するために、仕組みをゼロから構築するのではなく、他社から買うことがあると知れて面白かったですね。




業界全体に貢献できる通販支援事業


この通販支援事業は順調でした。そこで、他のアパレル企業にも展開していくことになり、大手アパレル企業と合弁会社を作り、通販事業をスタートすることになりました。しかし、元々提携していた企業から、「他社と同じような提携をしないで欲しい」と釘を刺されたんです。

契約に抵触しているわけではなかったし、これが潰されてしまうと、事実上この会社では企業向けの通販支援事業は今後行わないことになると分かっていたので、なんと言われても続けるべきだと考えていました。しかし、社長の判断は、新しい企業との取引を中止し、1社目の意向に沿うことでした。

そこで、私は18年働いた会社を辞め、独立してこの通販支援事業を行うことにしました。実店舗しか持ない企業に通販のノウハウを提供することが、アパレル業界全体をもっと良くすると思っていたんです。

実際、独立してからすぐに外資系のアパレル企業から相談がありました。また、前職で関わっていた企業へのコンサルティングや、大手アパレル企業であるワールドからも仕事を受けることができ、会社の経営は順調でした。

さらに、市場が明らかに伸びると考えられていた中国でも同じ仕組を構築しようと、上海に子会社を立ち上げました。工場を作るのではなく、日本のブランドが中国進出をする時に、物流や販売免許、また小売店を出すためのネットワークまで構築し、市場開発のプラットホームにしていこうと考えたんです。実際、大手の通販会社が海外進出する際に利用されるようになりました。

この時、40代半ばに差し掛かっていましたが、独学で中国語も勉強し、かなり喋れるようになりました。これまでは勉強なんて大嫌いでしたが、何歳になっても、身銭を切ってリスクを取るように、「自分ごと」として捉えさえすれば、いくらでも成長できることを実感でき、自分でも驚きましたね。

大企業で働く中、業界を変える発想を持つ男との出会い


そんな中、2008年に、ワールドの子会社になることに決めました。売上の中でワールドの比率がどんどん増えていき、ある時、ワールドの社長に「好きなことをやっていいからうちに来なよ」と言われたのです。そして、上海の子会社は現地の代表に譲渡し、国内の事業に専念することになりました。

ただ、「好きなこと」の捉え方に、少し認識の違いがありました。私は、引き続きアパレル業界の様々な企業と一緒に新しいことをしようと思っていました。しかし、会社としては、あくまで「ワールドの中で」好きなことをやっていいということだったんです。そして、次第に、子会社での仕事ではなく、本社の仕事の割合が大きくなっていきました。

そんなタイミングで、2013年、人工知能を使い消費者のファッションの好みを知ることで、アパレル業界の構造を変えようと志していた、渡辺祐樹という男と出会ったんです。初めて会い、数秒話した瞬間に、「この人間と一緒に働きたい」と思っていました。人工知能を使って人の「ファッションの好み」が分かることは、アパレル業界を根本から変えると感じたんです。

これまで、アパレル業界で生きてきた私は、常にある種の緊張感を持っていました。個人として信頼を得るには、「通販・ECのノウハウ」を提供することに始まり、企業の役に立てるスキルや経験を常に持ち続けてなくてはいけない。しかし、必要とされるものは時代とともに変わっていくし、常に再現性を持てるわけではないので、自分が変わり続けなければいけないと危機感があったんです。

しかし、人工知能を使って消費者の好みが分かることは、アパレル業界の中で、揺るぎないキラーコンテンツになると確信が持てたんです。そして何より、「この男が作っているなら大丈夫だろう」と、渡辺の人柄に強く惹かれました。

この瞬間、今さら独立ではなく、私は次世代の応援団になろうと決めたんです。こういった世の中を変えるであろう発想を持つ人を手助けし、世の中にサービスを広める黒子に徹しようと。そして、2015年4月でワールドのWEL(執行役員に準ずる上級職)を退任し、5月より渡辺が率いるカラフル・ボードに参画することに決めたんです。





今度は自分が次世代にお返しする番


私たちが運営している、人工知能を用いてファッションの好みが分かる「SENSY」というサービスは、消費の構造を抜本的に変えるものだと考えています。そしてアパレル企業様に対しても購買率を高め、顧客生涯価値の向上が実現できると、自信を持って勧めることができます。

インターネット上での口コミに代表されるように、売り手の「売りたい」という気持ちは見透かされてしまい、消費者目線でビジネスをすることが重要になった時代にもかかわらず、アパレル業界はいまだ売り手主導のビジネスをしていました。そして結果として20年足らずで市場は20兆円から9兆円になってしまったんです。

しかし、人工知能によって「消費者が欲しいもの」が分かれば、小売、卸し、メーカー全てが「売れる服」を取り扱うようになり、消費者主導の経済に戻せると。さらに、海外にも展開していくことは、日本のアパレル企業復活の鍵になると考えています。

そして、これはファッションに関わらず、食や音楽、旅行、ヘルスケアなど、様々なジャンルに展開していくことで、ライフスタイル全般を提案する1人1つの人工知能ができます。それによって、お金や時間の使い方が変わり、人はより豊かに生きられると考えています。

また、人工知能といっても無機質なものではなく、そこには作り手のぬくもりや情熱が必要だと感じています。この会社はSENSYを始める前、社名を冠したデザインコンテンスト事業から始まりました。応募されたデザインへの投票を数値化して、そこから製品化や商品の販売につなげていましたが、そのサービス上には現状に課題を感じている人や、ものづくりに想いがある人が集まり、確かな情熱を感じることができました。

仕組みがあるだけではなく、その情熱を持つ人が集まることが重要で、それはテクノロジーが進もうと変わらないんです。そして、そのような多様な想いを持つ人が集うプラットフォームを支えるのが、カラフル・ボードの役割だと思います。

私はこれまで人生のステージ毎に、先輩たちから自分の指針となるような言葉を叩きこまれてきました。20代の頃は「カミソリになるな、ナタになれ」と言われ、カミソリのように誰も触りたくないのではなく、ナタのように触りやすいまるみを持った状態で人が集まる状況でいつつもするどい切れ味は持ち続けろと。30代では、大きな世界を描きつつ行動は着実にするようにと「着眼大局、着手小局」という言葉をもらいました。そして、効率ばかり考えて戦う勇気を失い始めた40代の頃には「士魂商才」、さらにはものごとの本質を見極めよと「慧眼無双」という指針を持つことができました。

今は、私が様々なことを伝えていく番として、「深謀遠慮」という言葉を意識しています。すぐに何か目に見える実績を焦ったり、短絡的な利益取りに陥ることなく、したたかに先を見据えた戦略立案を行うこと、判断を間違わないための経営参画こそが、今意識しないといけないと思っています。

大企業の役員から一転してベンチャーに来ると、自分でやらなければならないことは増えました。しかし、そこには新しい出会いがたくさんあり、毎日生きがいを感じています。これからは、これまでの知見を活かしながら次世代にお返しをしていけたらと思います。


※1・・・現株式会社ディノス・セシール

文中に登場する渡辺祐樹さんのanother life.はこちら

2015.07.29

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