僕は奈良県奈良市で生まれました。複雑な家庭環境で育ち、父は5歳の時に他界。母は働いていたのであまり家にいないし、学校では腫れ物のように扱われていたこともあり、だんだんと生活が荒れていきました。

ただ、小学1年生の頃からサッカーだけは必死に続けていました。県の選抜に選ばれたりもしていて、将来はサッカー選手になりたいと考えていました。中学生になり、学年が上がるにつれて授業にはほとんど出なくなりましたが、部活にだけは行っていました。先輩からは目をつけられることもあったのですが、顧問の先生が担任にもなってくれて、僕を守ってくれていたんです。その先生は僕にはサッカーしかないと理解していてくれて、練習メニューの作成など、ほぼ全てをキャプテンとして任せてくれていました。

卒業後は、サッカーが強い地元の公立高校に進みたいと思っていました。しかし、成績も悪く、内申点が足りず公立高校に進学するのは無理だと3年生の夏頃に気付きました。受験の仕組みすら知らなかったんです。そしてサッカー推薦をもらえた、私立の学校に進学することになりました。

そこは、奈良県で一番サッカーが強く、毎朝5時起きで朝練するような厳しい学校でした。しかし、僕はそれまでのだらしない生活が抜けていなかったので、朝まで遊んでそのまま学校に行くような生活を送っていました。

また、他のメンバーは中学時代から活躍していた実力者ばかりで、プロ選手になるのは無理だと痛感しましたね。さらに、監督に怒られるのが怖くて、目を気にしながら練習するようになっていきました。練習自体は楽しいものの、練習後には「なにか違う」といつもむしゃくしゃして、はけ口を探すように一層遊ぶようになっていたんです。

すると、高校3年生のインターハイ予選の前に、トップチームから外されてしまいました。この時、完全にサッカーが嫌いになってしまいました。また、そのタイミングで、これまでしてきた校則違反などが学校にばれてしまい、退学になってしまったんです。