コスプレと電子決済で世界を平和に繋ぐ。誇りを取り戻したLOVE JAPANの衝撃。

電子マネーの普及事業を行う会社を経営する傍ら、世界26カ国からコスプレイヤーを集めるイベント「世界コスプレサミット(WCS)」の運営を行う小栗さん。「ゲームもアニメも漫画も疎いけれど、コスプレには世界平和の可能性を感じている」と語る背景にはどんなキッカケがあったのか、お話を伺いました。

小栗 徳丸

おぐら とくまる|世界コスプレサミット・電子決済普及事業運営
電子マネー「Edy」の普及事業を行うジャパンエリアコードTV株式会社の代表取締役を務める傍ら、「世界コスプレサミット(WCS)」を主催する株式会社WCSの代表取締役/世界コスプレサミット実行委員会実行委員長を務める。

世界コスプレサミット | WORLD COSPLAY SUMMIT 公式サイト
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ジャパンエリアコードTV 株式会社

海外への憧れと劣等感、デザインの道へ


私は愛知県名古屋市に生まれ、小さい頃から洋楽や洋画を通じて、アメリカ文化に憧れを抱いて育ちました。仲間内でも同じようにアメリカへの憧れは強く、「将来はアメ車に乗るぞ!」なんて話をしていましたね。ただ、大好きな一方で、いわゆるジャパンバッシングの影響もあり、日本人全体が馬鹿にされているような劣等感も持っていました。

その後、中学を卒業してからはデザイン科のある工芸高校への進学を決めました。小学校の頃からずっと図工が好きで、真っ白なキャンバスに自分の色をのせる楽しさを感じていたんです。次第に「自分が生み出したもので世間の注目を集めたい」と考えるようになり、歌番組の舞台装置などを作ってみたいという思いから、デザイン科の中で一番校則のゆるい学校を選んだんです。

しかし、同じようにものづくりが集まることもあり、高校ではそこそこ優秀な成績でしたが、美術予備校となると、こいつには敵わないというやつもいましたね。それでも、目指すなら一番を獲りたいという思いもあり、卒業後は東京藝術大学への受験を決めました。ところが、現役・1浪目の受験で共に不合格。2浪はしたくないという思いから仕方なく専門学校への進学を決めました。同じ高校や予備校からは美大に進学する仲間もたくさんいたので、負け犬状態でしたね。ただ、正直大学に行くことが目的で、その先のビジョンが明確でなかったからこそ、そこに対しての反骨心も薄い状況でした。

そんな背景で専門学校に進学してからは、モヤモヤとした2年間を過ごしました。既にデザインに特化した授業を行う高校にいたため、授業は今までにやってきたことの繰り返しで、学ぶことはゼロだと感じてしまったんです。ひたすらバイトばかりして、「便利屋」といった仕事を含め、100種類以上のバイトをしていました。

ただ、何かを作ることは変わらずに好きだったことに加え、授業の中でも、地元の大手広告会社の制作本部長が教鞭をとった「広告概論」という講座だけ非常に関心があったんです。自分は作家向きではなくて、出来上がったものを人に伝える方に興味があることに気づき、セールスをデザインすることに関心を強めていきました。

そこで、専門を卒業後は、その先生からの「修行したほうがいい」というアドバイスのもと、紹介をいただいたランドマークプロダクツ株式会社というイベント制作会社に就職を決めました。

イベントを生み出す醍醐味


1990年に新卒入社したこともあり、バブル後の景気の恩恵を受け、仕事は非常に充実していました。自分のしたい仕事にありつくには先輩に認められなければという思いもあり、同期の中で抜きに出なければと、必死に仕事に打ち込む日々を過ごしました。イベント企画を考えて得意先に提案営業を行い、次第に結果にも結びつくようになり、努力が報われたような感覚から、段々と自信もつけていくことができました。

そして、ある時からテレビ愛知の営業担当になり、Jリーグのファン感謝祭など、大規模のイベントコンペで企画を通すことができるようになったんです。すると、ちょうど入社して3年ほど経った折に、テレビ愛知の中途採用に声をかけていただき、25歳のタイミングでそのまま転職を決めました。仕事をしていく中で、受託仕事よりも運営側に行きたいという思いがありましたし、育ててくれた会社への恩返しもできるのではないかと感じたんです。

転職後もそれまでと変わらずイベントの立ち上げに従事するようになりました。中でも、名古屋で大規模な有料のフリーマーケットの興行をゼロから立ち上げた仕事は特に印象的でした。それまでは「不要な私物の交換会」だったのが、アメリカの事例を参考に、テレビで告知を打ち、有料の入場券も作って本気で開催してみると、USEDブームの影響もあり、大ヒットを記録したんです。最初は「フリーマーケットなのに、なぜお金を取るんだ」等の声を受けながらも、実際に開催してからは、有料であるが故に参加者の方も本気で探しまわる密度の濃い時間となり、すぐに他のテレビ局でも同じようなイベントが開催されるようになりました。

そうやってイベントを沢山生み出して育てていく中で、まるで自分の子どものような感覚を抱くようになっていきました。イベントにも「人格」があり、勝手に育っていくんです。だからこそ、イベントの参加側はもちろん運営側が楽しむことには力を注いでいました。

コスプレイベントでの衝撃とWCSの誕生


テレビ愛知ではイベントの他にテレビ番組の企画も並行で行っていたのですが、ある時、コスプレをテーマとした番組のプロデューサーを務めることになりました。個人的にゲームもアニメも漫画も興味が無く、業界には疎い状況でしたが、ちょうどメイド喫茶が秋葉原に出来始め、名古屋の大須でもメイドカフェが始まり、地元のパソコンショップの社長からの特務でコスプレ専門番組を立ち上げることになったのです。

そして、番組の調査のためにコスプレについて調べていると、欧州でコスプレのイベントがあることを知り、実際にパリで行われる3・4千人規模のイベントに足を運んでみることに決めました。イベント会場にはコスプレイヤーが数百人いたのですが、日本のテレビ局が報道のために来たことを伝えると、彼らがたくさん集まってきたんです。『セーラームーン』や『うる星やつら』のキャラクター等、外国人の方が日本の漫画・アニメのコスプレをする姿を初めて見たのですが、彼らの日本への愛情は本当に強烈なものでした。

それまで、どこか日本人であることに、国際的な劣等感を抱くこともあったのですが、目の前で“LOVE JAPAN”と言われ続けることで、そんなトラウマが一気に払拭されたような気がしました。「日本人であることを誇りに思っていいんだ」と感じると同時に、この感情をもっと多くの人に伝えたいという思いを抱くようになったんです。これを自分で留めておくのはもったいないし、メディアの一員として日本に知らせなければいけない、と。

そして、なんとか彼らを生き証人として日本に招待することは出来ないかと考え、尊敬する先輩と共に「世界コスプレサミット(WCS)」と題した、グローバルなイベントを日本で開催しようというプロジェクトが立ち上がったのです。コスプレという、非常にハイコンテクストな伝達手段であれば、「あのキャラクターのコスプレをしているから、○○も好きなんじゃないか・・」というように、言語が違っても分かり合えるのではないかと感じたんですよね。

そして2003年、フランス・ドイツ・イタリア・日本の代表を集めた座談会という形で第1回世界コスプレサミットを開催しました。初めての取り組みということもあり、苦労する面もありましたが、言葉が通じないのに一気に仲良くなっていく様を見て、コスプレに抱いていた可能性が確信に変わりましたね。2005年には愛知で万博が控えていたこともあり、なんとかこれを3回続けて万博のオフィシャルイベントにしたいという野望も抱くようになりました。

すると、周りの方々の協力もあって本当に夢が叶い、万博でコスプレサミットを開催することができ、共同通信社の報道を通じて全世界に配信されると、「うちの国が何故出ていないんだ!」という反響で出場希望が増えていき、より大きなムーブメントになっていったんです。ついには外務省からも後援を受けるようになり、一気に国際イベントになっていきました。

同時に訪れた危機と、43歳で決めた最後の賭け


WCSが目覚ましい成長を遂げる中、私自身は万博の開催年、2005年に会社を退職し、ジャパンエリアコードTV株式会社という、電子マネー「Edy」の普及事業を行う会社を立ち上げました。元々、民放局で働く中で、将来コンテンツの届け方は変わるだろうという確信がありましたし、その時の決済手段は間違いなく電子マネーだと感じたんです。また、Euro・Dollar・Yenの頭文字を取ったというEdyのユニバーサル感に魅了され、応援したいと考えるようになったんですよね。最初は社内ベンチャーとして取り組もうと考えていたのですが、実現しなかったこともあり、大きくなったプロジェクトを責任を持って引受け、独立を決めました。

実際に事業を始めてからは2・3年でEdy加盟店を1000店舗以上増やすことが出来、提供するASPサービスのクライアントも増え、順調に事業を成長させることができました。しかし、リーマンショックをキッカケに状況は一転、急に縮小してしまったんです。そんな状況に社内の元気がなくなっていき、社員数も減ってしまいました。

また同じ時期にWCSも開催終了の危機を迎えていました。元々番組派生型のイベントという始まりながらも、スポンサーの獲得スピードが追いつかず、番組・局側の負担が大きくなっていたんです。プロジェクトチームの後輩から「終わりになってしまいそうです」という話を聞いてからは、心中穏やかでなく、自分の会社のクライアントにも声をかけ、なんとかスポンサーについてもらうことになりました。

ところが、ついに正式に廃止の判断がされてしまうことになったんです。巻き込んでしまった私はスポンサーに会わせる顔がありませんでしたし、大企業から協賛をいただけるだけのポテンシャルがあることへの未練も感じていました。

そこで、2つの大切な事業の危機を迎えた私は、テレビ愛知からWCSを引き継ぎ、新たな会社の事業として自ら運営することに決めたんです。関わる人が皆どんよりしてしまっている状況を打破しなければという思いから、何かに挑戦しなければという危機感がありました。家族に「忙しくなるけど挑戦させて欲しい」と頼み込み、43歳にして、藁をもすがる思いでの最後の賭けに挑みました。

コスプレと電子決済で描く世界平和


新しくWCSを法人化したことで、ジャパンエリアコードTV株式会社についてはメンバーに支えてもらう形になりましたが、それが一致団結のキッカケになった面もあり、次第に組織の雰囲気は良くなっていきました。また、私自身、WCSの出血を止めるために現場で走り回ることで、しばらく遠ざかっていたイベント運営者としての初心に戻ったような感覚がありましたね。

また、2つの事業は非常に相性も良く、相乗効果を生み始めたんです。例えば、コスプレサミットの期間、各国から代表として集まった外国人チームたちは毎日おいしい日本食を食べて、様々な場所で買い物をして、コンビニにも1日数回通います。すると、帰国時には小銭の山ができてしまうんです。そこで、そんな時こそEdyを使いこなしてほしいという思いから、参加者向けにEdyのファンカードを作り、2つの事業のコラボレーションを始めました。参加者の方はより快適な購買体験になりますし、購買データが利用できることで、事業者側が訪日観光対策を行う上でも非常に役に立つと思うんです。何より、せっかく好意を抱いて日本に来てもらっているのだから、嫌な思いをしてほしくないという気持ちが根本にありますね。

現在、国内の市場は飽和状態のため、日本企業は海外進出は加速していきます。その中で、「JAPAN LOVE」の外国人と付き合っている私たちだからこそ、彼らを日本のエバンジェリスト(伝道師)として、彼らを介して日本の魅力を伝えたり、流通を作ったりすることができればと考えています。

今ではWCSの参加者が26カ国に渡り、段々と小さな地球に近づいている感覚があります。そして、彼らのコミュニケーションを見ていると、私たちが日本人としての誇りを取り戻すだけでなく、コミュニケーションとしてのコスプレが世界平和につながっていくんじゃないかと感じるんです。

今はこの2つの事業に全力を注ぎ、将来は多くの我慢を強いている家族と一緒に過ごすことに時間を使いたいですね。

2015.07.21

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