私は東京の世田谷区で生まれました。父は大分県出身で、中卒ながら自分の写真館を営んでいました。母からも「お父さんよりすごい人はいない」と言われていて、父は私の憧れでした。友達の親が一流企業で働いていても、小さいながらビジネスをゼロから作り上げた父の方がよっぽどすごいと思っていました。そんな背景もあり、私自身、漠然と独立に関心がありました。

また、父も母も戦後の日本で育ち、勉強する環境に恵まれなかったこともあってか、私と弟には高い教育が受けられる学校に行けるようにと、しっかりとお金を貯めてくれていました。そのため、私は私立の慶應義塾大学付属高校に入り、大学はそのまま理工学部に進学できたんです。

大学時代はスキーサークルに熱中しながら、コンピューターの研究をしていました。経済的な事情や立地的な問題で学校に通えない人でも、コンピューターを使って勉強できるようにする「eラーニング」のシステムを作っていたんです。プログラミングもしていて、教授からも「これからはITサービスが世界を変える」と言われ、大学院への進学も考えていました。

ただ、私は大学院を閉じこもった世界だと感じていて、それよりも、外の広い世界に出たいと思っていました。そのため、就職活動をして心に引っかかる仕事はないか探していました。

その中で、海外で発電所を作るプロジェクトに関わった先輩から仕事の話を聞きました。その先輩は、自分が過去に発電事業を手がけた国をあるときまた訪れたそうなんです。夜、空港に着陸するために高度を下げた飛行機の窓から外を覗くと、町が煌煌と輝いていた。「これ、俺がやったんだ……」。そのとき先輩が感じた誇りや達成感といった想い、それが私の胸の中でも膨らんで、「よし、自分も」という気持ちになったのです。

それからずっと電力事業をやりたいと考えていて、電力インフラ事業に取り組むことを決めました。私は小さな頃にボーイスカウトに入っていたこともあり「社会貢献」への気持ちは強くあり、電力の仕事は社会に貢献できる大きさも、やりがいも、非常に魅力的だと感じたのです。そこで、日本で一番電力インフラ事業に強みを持っていた、総合商社の丸紅に入社することにしました。