付加価値を生み出せる人を育成したい。成長に一番大切なのは「忘れられない体験」

付加価値を創造できる人を増やすため、個人、法人向けの学習機会の提供を行う株式会社ホープス代表取締役の坂井さん。新卒で入社した百貨店で仕事観を大きく変え、成長を実感させてくれた「忘れられない体験」とは?お話を伺いました。

坂井 伸一郎

さかい しんいちろう|付加価値を生み出せる人を増やす
株式会社ホープス代表取締役を務める。

先輩に勧められた高島屋に入社する


私は東京の世田谷区に生まれました。叔父は有名なテニス選手で、私も中学生の頃から本格的にテニスを始めました。大会などでは、「坂井選手の甥」として見られていましたが、私は選手としての結果は全く出せませんでした。都大会でも下の方の成績。そんな状況だったので、叔父と比較されるのは好きではありませんでしたね。

そこで、大学からは体育会ではなく、サークルでテニスをすることにしました。サークルの中では負けなしでした。学内の大会で優勝したり、大学内サークルの選抜も選ばれたりと選手としても熱中していましたし、テニスコーチのアルバイトもしていたので、勉強はほとんどしませんでしたね。

テニスに夢中の生活を送りつつ、卒業後は航空会社で働きたいと考えていました。親戚が航空会社で働いたこともあり、なんとなく憧れていたんです。ただ、航空会社で働いていた先輩に相談すると、倍率が厳しいので、他の会社も受けた方がいいと勧められました。そして、お勧めされた高島屋と、その面接練習としてもうひとつだけ百貨店を受けることにしました。

すると、不思議なことに、「ここで働くならこの仕事しかやりたくない」と強気な態度で面接に望んだ百貨店からは内定をもらい、「何でもやるので、どうしても入りたいんです」といった雰囲気で話した航空会社は、最終面接で不採用になってしまったんです。

正直、百貨店の仕事なんてよく分からなかったし、航空会社で働きたかったので就活浪人も考えました。ただ、高島屋の人事の方から、長期的に夢を実現するためのステップとしてキャリアを考えてもいいのではと言われたことや、就活浪人をする人は周りにいなかったこともあり、まずは高島屋に就職することに決めました。

忘れられない体験の中で感じた大きな成長


入社してからは、玉川タカシマヤに配属され、食料品売り場で働き始めました。

ただ、私は採用面接の時から言っていたのですが、新店である、新宿タカシマヤの立ち上げに携わりたいと思っていました。新宿タカシマヤは会社の命運がかかったプロジェクトと言われていて、自分が関わらないで失敗してしまったら納得できないと思っていたんです。

そのため、年に2回ある人事面談では、面談シートに新宿タカシマヤ立ち上げで成果を出す人間になるために今期はどんな仕事をしたのかと、目立つように赤ペンで書いていましたね。すると、3年ほどで新宿タカシマヤへの異動が決まったんです。

開店の数ヶ月前、ショーケースもまだなく、土足で入ることも許されない真新しい売場。そこで、各店舗から来た精鋭メンバーが、新しいお店の毎日のオペレーションを考えたり、関わるスタッフを教育したりするんです。意見がぶつかることも多くありましたし、忙しくて休めない状況でした。しかし、会社の命運をかけた新規店開店という、歴史的瞬間を成功させようと、みんながむしゃらに働いていました。

すると、次第に「休めない」ではなく、「休まない」という気持ちに変わっていきました。上司から休むように言われても、そんな気に全くならないんです。そして、仲間との目線も合ってきて、気になることがあっても、すでに誰かがやっている状況になっていました。

そして、1996年10月4日、新宿タカシマヤが開店しました。社員もアルバイトスタッフもメーカーからの派遣の人も、開店時に入り口で整列してお客様を迎えました。そして、開店の音楽が流れてきて、ふと向かいの人と目があった瞬間、私は涙が止まりませんでした。気づけば、私だけでなく、みんな泣いていました。

この時初めて、仕事とは、こんなにも感情が動くものなのだと思い知ったのです。それまでは頭で「かっこいい仕事をしたい」「出世のために動きたい」などと考えていたのですが、そうじゃないものがあることに気づいたんです。

そして、その忘れられない体験の中で、成長を実感していました。特に、ひとりで何かをやるよりも、仲間でひとつのものをつくり上げる方が、よっぽど良い結果になることを知れたんです。

意思決定を行える経営に魅力を感じ始める


店舗での仕事を経て、通販事業の立ち上げも行った後、私の仕事は百貨店の「付加価値」を創造する企画業務に変わっていきました。世の中では通販ショップが台頭していて、同じ商品でも価格が高い百貨店は、その価値を問われるようになったんです。商品ラインナップや内装など以外で付加価値を生み出すのが私の仕事でした。アイディアを出さなければと躍起になり、アイドルを呼んでイベントをしたり、休みの時期に地元の小学生向けの社会科見学を行ったり、色々していきました。

しかし、ある時、自分ひとりでできることには限界があることに気づいたんです。むしろ、付加価値はお客様と関わる一人ひとりのスタッフが発揮するべきもの。そのため、自分がするべきことは、付加価値を創造できる人を育成することだと感じたんです。

店舗には、高島屋に雇われたスタッフだけでなく、テナントとして入っているメーカーさんからの派遣の方などもいて、むしろ、ほとんどが外部の人でした。そこで、その人たちを巻き込んで付加価値を創造するための教育研修を行おうと考えたんです。しかし、メーカーとしては、売り場でひとつでも多くの商品を販売するために派遣しているわけで、貴重な時間を研修には使いたくないというのが正直なところでした。そのため、結局、その施策はうまくいきませんでした。

その後、私は社長直轄の部署で会社の長期計画を作ることになりました。そこは社長を始め、経営陣が身近な部署でした。彼らは会社の重要な方針の意思決定をしていて、次第に私も「自分で決められる」仕事に惹かれていきました。

しかし、大企業なので、自分がその立場になれるとしても20年以上先。しかも、経営陣になることが約束されているわけでもありません。

それなら、自分で起業しようと考えたんです。そのために、まずは小さな会社での経営を学ぼうと考え、高島屋での経験を活かせると感じた「体験ギフト」を扱う社員1名のベンチャー企業に入ることに決めました。

忘れられない体験を通じて、付加価値を生み出せる人を育成する


「ギフト」は、価格に対する価値が非常に重要な商品でした。送りたい先の人に感謝の気持ちを表すものなので、安売りして欲しいとは思わないのが普通です。ただ、もしそのギフトが他のお店でもっと安く買えてしまうことが分かった時、利用するお客様は「その価格の価値しかないのか」と、一番残念に思ってしまうのです。そのため、「価格に見合った価値」を感じてもらえるようにと、商品を設計していきました。

また、「体験ギフト」という商品自体が新しいものだったので、社会の認知度を高めるために、別の体験ギフトを扱う会社と共同でのプレスリリースなども行っていきました。そして、取締役に就任し、オーナと共に代表権を持ち経営を行うようになりました。

一方で、自分で起業するアイディアも考え続けていました。ただ、考えれば考えるほど、成功しそうな目先のアイディアではなく、一生没頭できる仕事をしなければ起業する意味が無いと感じるようになっていきました。

そして、私にとってそれは、「付加価値を生み出せる人材を育成すること」だったんです。その中で、人材育成のプロである、野村るり子さんという方と一緒に何かしたいと考えていました。

高島屋時代、仕事体験での成長と比べて、研修や教育プログラムは全く身にならないと課題を感じていました。そんな時、会社外の研修で、講師として野村るり子さんと出会いました。彼女はアメリカでオリンピック選手育成に携わっていて、そのノウハウを活かしたプログラムは、短期間に高い目標を確実に達成するためのエッセンスが詰まっていて、学びの時間そのものが、まさに自分が求めていた「忘れがたい体験」の場だったんです。

個人の育成に強みを持つ彼女と、付加価値創造に強みをもつ自分が一緒になれば、より大きなことを生み出せる。そう考え、5年間働いたタイミングで、付加価値を創造するマーケティング・コンサルタントとして独立し、野村るり子さんが創業したホープスと一緒に仕事を始めました。

しかし、彼女は末期がんを患っていました。そのため、私もホープスの一員となり、彼女の人材育成のノウハウを引き継ぐことにしました。そして、2年程経った2013年1月、彼女が息を引き取った後、私が代表取締役を引き継ぐことになりました。

人材育成に携わる覚悟


現在は、付加価値創造できる人材を増やしていくため、法人・個人に向けた学習機会の提供サービスを展開しています。元々、野村るり子さんがアスリート向けに行っていた、限られた時間内にできるだけ高い目標を達成するための方法論を用いて、研修を組み立てています。

限られた時間の中で学びを最大化するためには、学んだことを忘れずに、確実に積み上げていくことが必要です。そのためには、「なぜ学ぶのか」自分の中での目的を見つめる必要があり、その「何のために」の根本にあるのは、「付加価値」を生み出して誰かの役に立ちたいとの想いがあると考えています。

様々な分野でのトップレベルの研修を行うために、現在は450名以上の講師と提携しています。そして、法人研修においては、どのような課題を感じているか、何を目標とするかヒアリングしていき、その企業の文化に合ったオリジナルの研修を作り上げます。学術的に証明されている方法論を、その人たちにとって「忘れられない体験」となるようにプログラムにするのが私たちの仕事です。

また、個人向けの事業では、スポーツ選手が競技成績を向上させることや、アイドルなど時間がない人に難関の大学を合格するためのご支援をしています。ある時、アイドルのコンサートに呼んでもらったことがあるのですが、周りのお客さんが涙を流して感動している姿を見て、まさに付加価値が生み出されている瞬間だと嬉しくなりましたね。

ただ、「人材育成」に関わる以上は、覚悟も必要だと感じています。以前、研修を提供した企業の方に、「業者感覚でやらないでもらいたい」と言われたことがありました。一日でも社員に関わるのだから、もし関わった社員がこの先何か問題や犯罪を起こしてしまったら、土下座して謝るくらいの覚悟で向き合ってほしい、と言われたんです。

この時は、「なんて理不尽なことを言うんだ」と感じたのですが、今になってその言葉の意味を重く受け止めています。できるかできないかではなく、人材育成に関わるのであれば、それほどの覚悟を持つ必要があると教えてくれていたんです。そして、本当にそう感じているのであれば、自分はどんな行動をするべきなのか、日々の行動指針にもなっています。

私たちの事業は、これからの時代に必ず必要になるものだと考えています。野村るり子さんのバトンを受け取り、付加価値を創造できる人を増やすこと、この使命を元にこれからも生きていきます。

2015.07.10

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