私は奈良県に生まれ、地元の小学校に通った後、中学受験を経て京都の私立校に進学しました。自分では受験に関心がなかったのですが、地元の中学がやや荒れていたことに加え、母の薦めもあり塾に通ってみると、勉強をゲーム感覚で楽しむことができ、結局そのまま受験をすることになったんです。

中学に入ってからは理科部に入り、植物を育てたり、化石を採りに行ったりすることに夢中になりました。元々、小学生の時から理科が好きで、将来は理科系に進みたいという思いがあったんです。特に、幼なじみに親が医者を務めている友人がおり、彼から聞く話にとても関心を抱くようになりました。例えば、人の手にはたくさんの菌がいるという話にはとても驚きました。目には見えないものの、彼の家にあった本の写真も見せてくれて、新たな世界が広がっていったんです。なんというか、「あれ、そうなん?」という不思議さや違和感が興味に変わっていき、彼が次々持ってくる話に、どんどんのめりこんでいきました。

自分自身、そういった違和感を抱く瞬間が非常に好きで、ぼんやりとですが、将来は研究の道に進みたいという思いも抱くようになりました。「考えることを生業にしたい」という感覚があったんです。その考えは高校生になるとより深まっていき、特に「突き詰めて考えること」にこだわるようになっていきました。だからこそ、学問的に極めるところまでいかない受験勉強は嫌いでしたね。

また、研究がしたいという思いは抱きながらも、何を対象とするかについては曖昧な状態でした。プラモデルが好きだから工学部を受けてみようと思ったり、海賊のアニメに憧れて水産学部を考えたり、わりといい加減に決めましたね。(笑)というのも、高校時代の理科の先生から、「ある分野を極めようとすれば、違う分野に必ず波及していく」という話を聞いており、こだわる必要は無いなと感じていたんです。結局、祖母の家が京都にあったこともあり、京都大学の農学部水産学科に進学を決めました。

そんな選び方だったこともあり、案の定イメージと現実は異なりました。最初は授業も教養分野が多く、中々専門的な領域に進まないことに加え、講義の内容を受けても学問の全容を掴み辛く、正直、ちょっとつまらないなと感じていました。そう思ってしまうのは、基礎学力が無いからでもありましたが。

逆に、大学生活の前半はサークルに力を入れていました。「東洋拳法燃える男会」という格闘技の団体に所属していたのですが、ここが非常にユニークだったんです。真面目にふざけるというような雰囲気で、鴨川を裸足で走って戦うような集まりだったのですが、自分と同じように違和感を大事にして真面目に考える人が多かったため、色々な考え方に触れてより柔軟になっていきました。格闘技一つとっても、考え抜いて究めていく「研究」があり、どんなことにでも当てはまるんだなと感じましたね。

その後、4年生になってからは研究室の配属を迎え、海洋微生物を研究テーマとすることに決めました。吉永先生という師に魅力を感じたことに加え、昔から研究といえば顕微鏡のイメージを浮かべていたので、そうすると微生物が一番近いなと感じたんです。