探究心が「人のため」になり、仕事になる。3D・CGの先端技術で繋ぐ、過去と未来。
東京藝術大学の非常勤講師として、仏像を中心とした文化財の3D・CG保存・再現を行う山田さん。学生時代から建築史に関心を抱きながらも、研究内容と社会の乖離に危機感を抱いたこともあったとか。「個人の探究心を追うだけでなく、他の人の期待に応えるからこそ仕事として成り立ち、継続することができる」と話す山田さんが、データよりも大切にしているものとは?お話を伺いました。
山田 修
やまだ おさむ|仏像を中心とした文化財の3D・CG保存・再現
東京藝術大学大学院の文化財保存学・保存修復彫刻研究室の非常勤講師・総合芸術アーカイブセンターの特別研究員として「仏像のデジタル化」というテーマで働く傍ら、個人事業主としても活動している。
※本チャンネルは、TBSテレビ「夢の扉+」の協力でお届けしました。
TBSテレビ「夢の扉+」で、山田さんの活動に密着したドキュメンタリーが、
2015年6月28日(日)18時30分から放送されます。
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「自分の先祖はかつてどんな景色を見ていたのだろう?」
私は群馬県吾妻郡に生まれ育ちました。中学の頃から数学が好きで高校に入ると加えて美術も好きになり、数学の代数や幾何学、美術の空間や造形に関心を抱くような学生でした。数字を扱うことが好きだったため、「この造形を数字で分析・表現できないだろうか?」と、よく考えていましたね。
そんな背景もあり、高校を卒業する時は数学科を中心に大学受験をしたのですが、志望学科に合格できず、最終的には早稲田大学理工学部の建築学科に進学することに決めました。希望とは違いましたが、ものをつくること自体は好きだったので、建築を学んだら大工さんみたいになれるかもしれないと考えていたこともあり、楽しみではありましたね。
実際に入学してからは、初めて学ぶことばかりで面白いなという感覚があった一方で、3ヶ月ほどすると、飽きはじめて、バイトをしたり友達と遊んだり、あまりまじめな学生ではありませんでした。
ただ、大学から上京したことで、少しずつ東京の街や建築の歴史に関心を抱くようになりました。群馬に住む祖父がよく東京に出かけており、「昔東京のこの街にはこんなものがあった」という話を子供の頃よく聞いていたんです。次第に昔の地図や写真を調べてみるようになり、 「祖父や祖母、自分の先祖はかつてどんな景色を見ていたんだろう?」 ということに関心を抱き、建築史の分野に興味を強めていきました。
大学3年生までは勉強を真剣にしてこなかったこともあり、4年生からはもっと勉強をしようと思い、卒業後は建築史について学べる環境のある大学院に進学することに決めたんです。そして、文化財という視点で研究を進めていた東京藝術大学の大学院に進学を決めました。正直、「文化財の歴史を学んでもご飯は食べていけないだろうな」と感じつつも、苦労は後でしようという感覚でしたね。(笑)
大学院では、フィールドワークを中心に文化財となっている古い建造物を分析して回り、自分の学びたいことに触れ続けることができ、とても充実した期間でした。中でも、ブータンの歴史的建造物の研究を論文テーマとしたため、文化庁の調査に同行させていただき、ブータン政府の協力のもと、現地で毎年建物を調査して回るプロジェクトに携わることができました。先攻研究がほとんど無い領域だったので、とにかく片っ端から建物を調べて図面を作って記録をして、報告書を作ってという日々を過ごしました。
文化財への関心と、社会との断絶への危機感
大学院ではもっと研究の時間が欲しいという思いに加え、甘えかもしれませんが少し寄り道をしたいと思って、結局修士課程には3年間通いました。それでも、もっと未知の文化財のついて知りたいという欲求は強く持ち続け、「修了後もなんらかの形で文化財に関わりたい」という思いがありました。 一方で、自分がこれまで学んで来たことが、社会で必要とされることと乖離しているかもしれないという危機感も、ぼんやりと抱いていました。
そこで、社会勉強の意味も込めて就職活動に参加してみると、衝撃を受けたんです。世の中のほとんどの会社では、自分が今までやってきたことなんか必要ないし、自分が如何に世の中と断絶した環境にいたかを、初めて客観的に認識しました。自分の社会的な位置みたいなものを確認したことで、ショックというよりはとにかく面白かったですね。就職活動で企業を周り、自分の特殊な状況を知ることが楽しくて仕方なかったです。
とはいえ、まずは「人並み」を目指さなければという気持ちもあったので、とにかく社会を知ろうと考えるようになりました。安定した収入を得て、適齢期に結婚して子どもを作り、実際それを選択するか否かは置いておいて、誰もが頭に描く普通の一般的な人生まではいきたいという思いがありました。(笑)
そこで、修了後はフリーランスとして様々な仕事に携わることに決めました。会社がどう動いているかを知るために設計事務所でアルバイトをしたり、知人からもらった仕事を行ったり、ごくたまにでしたが、文化財建造物の調査に参加させてもらうこともありました。プレゼン資料を作ったり画像を処理したりという事務的な仕事も多かったですが、学べるものはみんな学ぼうという思いでしたね。
卒業してすぐの頃は、できれば文化財のことで仕事をしていきたいという気持ちはまだ持っていましたが、フリーランスとして2年程働き27歳を迎えると、「一度ちゃんと正社員として働いてみないといけないな」という思いを抱くようになりました。このままだと普通になれないという危機感もあり、まずは毎日会社に通って毎月お給料をもらう生活をしようと考えたんです。そこで、建築に携わる中でコンピューターを使うことが多かったため、CGの制作会社で働くことを決めました。
「人のため」だからこそ生まれる継続性
ところが、制作会社に入社してすぐのタイミングで、たまたま文化財の3D化を行う新規事業の部署が社内に立ち上がることになったんです。その部署では、3DやCGの技術を活かして、文化財をデータで分析したり、復元のシミュレーションなどを行う事業が行なわれました。元々、そのような仕事ができると知って就職した訳でなく、むしろ全体の業務のうち10%でもやりたいことができていれば幸せだと思っていたので、ほとんどの時間を自分の興味があることに割けるのは本当に嬉しかったですね。初めての就職でしたが、全く苦は無く、ずっと仕事をしていられるような感覚でした。
ただ、5年ほど働いた後、会社の方向性とズレも生じていたため、上司が変わるタイミングで退社を決めました。何より恵まれた環境に採用してもらった上司への不義への申し訳なさもありましたが、前向きに考えた上での33歳での決断でした。
退職後はもう一度フリーで仕事をしようかと考えていたのですが、外注業者として関わっていた、東京藝術大学大学院で文化財保存学を研究する籔内佐斗司教授から、先の会社と同じく、これから文化財の3DやCGの事業を行おうとしていた大阪の印刷会社を紹介していただき、その会社で契約社員として働くことに決めました。
せっかく関西で働くのだから、と奈良に住み、文化財に囲まれながら毎日仕事に打ち込みました。分野が特殊なこともあり、会社から仕事が与えられるというよりは、自ら企画して仕事を生み出すため、クライアントや会社の意向も考えながら業務を進めていきました。学生時代は純粋に自分の好奇心や探求心で研究をしていたのが、就職して2社で働く中で、長く続けるためには「人のため」という視点を持つことが重要だと感じましたね。誰かの期待に応えることが出来ているからこそ継続できるということを再認識しました。
しかし、3年ほど働いた後、地元にいた母親の体調が悪くなってしまったことで、拠点を東京に戻すことに決めました。いつかは東京に戻ろうと考えていたものの、思ったよりも早くその時期が来たため、会社を退職し、以前からお世話になっていた藝大の籔内先生の研究室で、教育研究助手として働かせてもらうことになったんです。
最先端の技術が過去と未来をつなぐ
2011年からは大学院の文化財保存学・保存修復彫刻研究室の非常勤講師として毎週1回大学院生に授業をしながら、大学に新しく設置された総合芸術アーカイブセンターという機関で特別研究員として研究を行い、一部個人事業主として3D・CG関連の仕事も請け負っています。研究テーマはこの15年来取り組んで来た、文化財、特に仏像のデジタル化というもので、3D計測機を用いて仏像や建物をデジタル化し、コンピューター上に表示させる技術を軸にした研究を行っています。先進的なIT技術を用いた石膏取りのようなイメージですね。
この技術を用いて一度デジタル化することで、例えば、過去にその仏像がどのような姿をしていたかについて、データから考えていくことが出来るんです。もし、現在は部材がバラバラになってしまっていても、データ上で組み合わせることで、どの部材があってどの部材が無いかを推測したり、他の記録資料を参考に、欠けてしまっている部分をCG上で再現することもできます。 また、外形だけでなく内側の構造を分析するため、最近ではX線を使った調査も行っており、部材の剥ぎ目や過去の修理箇所を判断したり、元素を分析して使用されている材料を特定することもできるんです。数百年から千年以上時間が経過してしまうと、表層の色は見分けがつかないものの、物質の元素が分かれば、色も判断できるので、復元の際の資料とすることができます。
そのように、過去の作品を分析・推測し復元する他にも、現在は大学院生が数ヶ月で研究テーマに沿った仏像をつくる授業があり、その資料として3Dデータを用いています。昔は写真を色々な角度から撮って利用していたのが、現存の仏像の立体的なデータをコンピューター上で扱うことができることで、より忠実なイメージを持つことができます。
また、過去・現在だけでなく、これからつくるお堂にどう仏像を配置するか、どの高さから見るとどう見えるか等、未来のためのシミュレーションを行うことにも技術が活用されています。人の目線に立った時に台座はどの高さにするべきかという点は、着手前だからこそ検討できる点ですね。
このように、形や表面・内部の状況をデータで記録することで、過去・現在・未来に渡って多岐にわたってその情報を活用することができます。ただ、データ自体は仏像の現物から測定させていただくため、なるべく仏像を動かさずにデータを得るための工夫は常に追求しています。例えば、内面を分析するにはCTスキャンでも可能なのですが、その場合、仏像を設備の整っている機関まで運ぶリスクが生じてしまうんですよね。 元々、貴重な文化財ということもあり、お寺から貴重な時間をいただくので、相当準備して臨みますし、人が数時間お堂に入るだけで湿度が変わってしまい、状態が変わってしまう原因にもなるので、限られた時間・条件の中からいかに情報を得られるかにこだわって研究をしています。
「データ」よりも大切なもの
もう15年以上同じテーマに取り組んでいますが、最近は制作会社や設計事務所・ものづくりを行う個人の方等、研究や3Dデータ化の依頼をいただいたお客さんに喜んでいただくのが一番嬉しいですね。 現場に機材を持ち込み、コンピューターで測定をして、取得したデータをもとに分析して、「データ」とばかり向き合うような作業に見えるかもしれませんが、大事なのは、対面している「本物」であり、またその先にいる、データを利用する「人」だと考えています。データは飽くまでもデータでエラーも起こります。だからこそ、目の前にある本物を見て、解釈し、利用する人のことを考えるのが大事だと思うんです。 そのため、同じお客さんから2度・3度とお仕事をいただけることが嬉しいですし、この仕事を通じて、文化財だけでなく、様々な人と出会えることにやりがいを感じます。
今後は、理想としては、50歳までにやり残したことが無い状態になって仕事を辞めたいと考えています。そんなことを言いつつも、きっとその後も何だかんだ言ってずっと仕事をしている気がしているのですが、「いつまでもできる」という気持ちでいるとまずいと思うんです。大げさかもしれないですが、「明日がある」と思わずに一日一日を過ごすことで、50歳まで続けられたら「幸せな人生だった」と後悔せずに辞められると思うんですよね。
あとは、これまで自分が関わって来た仕事の結果を直接見ていないものも多いので、もし50歳になってまだ元気だったら、その後に自分が関わったお堂や仏像、建物等を直接見て回りたいですね。「データでシミュレーションまではしたけど、結局実現しなかった」というのであれば、別にそれでもいいんです。やろうと思えばインターネットや電話一本で簡単に確認できますが、あえて調べずに直接足を運んで見て回りたいですね。それがモチベーションになってまた働き出すかもしれないですしね(笑)
2015.06.22