想いを持つ人と一緒に事業を拡大していく!M&A、企業売却を経て見つけた自分の成功。

20年以上勤めた会社を売却し、新たなステージに踏み出し始めた三和さん。会社を拡大することを目指しつつも、「自分にとっての成功」とは何か、考える日々もありました。アントレプレナーではなく、経営者として想いを持つ事業を一緒に拡大していく。そんな三和さんのお話を伺いました。

三和 一善

みわ かずよし|想いを持つ人の事業を一緒に拡大させる
法務事務所のランドマーク合同事務所の運営、また、士業事務所特化型支援、法務相談のワンストップサービスを提供するランドマーク・パートナーズを経営する。その他にも、エンジェル投資家として一緒に事業を拡大することに従事し、沖縄のアプリ開発スクール「エムエークリエーション」と共にシステムエンジニア育成後の働く場を提供するシステム会社の設立や、マカオでのアフタースクールの運営、アメリカでのチャイルドケア事業の立ち上げなどを行う。

ビジネスで成功したいと思い、アメリカに渡る


私は兵庫県で生まれました。父は司法書士として事務所を開業していたので、小さい頃から働く姿を見ていました。ただ、バブル絶頂期だったこともあり、私自身は将来は士業ではなく、ビジネスの道に進みたいと考えていました。

中学卒業後は、関東に出たいと考え、横浜にある全寮制の高校に進みました。その高校には留学生が多くいて、ルームメイトもニュージーランド人でした。そんな多様な価値観が混じり合う中で生活する中で、将来成功するためには海外の大学を出て、英語を話せたほうが良いと考えるようになっていきました。そのため、日本の大学に進むものの、すぐに中退してアメリカの大学に進学しました。

アメリカではみんな何かしらの個性を主張する人ばかりで、カルチャージャックを受けましたね。ただ、その環境にいても、私自身はそこまで自分をさらけ出すようにはなりませんでしたが。

私は、大学ではマーケティングなどビジネス全般を学んでいました。そして、父から戻って来るように言われていたこともあり、卒業のタイミングで日本に帰りました。

帰国してからは、父が出資していた50人ほどのシステム開発会社で働き始めました。その会社は、キーパンチと呼ばれるコンピューターにデータを入力する装置のシステム開発を行っていました。私は企画などを行う管理部門で働き始め、大学で学んだマーケティングや経営に関わる仕事をしていきました。

事業を拡大していくために投資ファンドから資金調達する


数年日本で働いた後は、取引していた会社の仕事でアメリカに渡り、会社の立ち上げに携わることになりました。その後、一度日本に帰って来た後、今度はハーバードビジネススクールに通うことにしました。

ハーバードでは、「最後の授業」が印象的でした。学期末の授業では、講師陣が自分の人生観、なぜ今の生き方を選んだかを語るんです。そこには、「他人の価値観ではなく自分の価値観を生きなさい」とメッセージが込められていました。想いを持ち、少しずつでも自分を変えていける生き方をしなさいと。

32歳だった私は「自分の成功」とは何か、そこまで考えてはいませんでした。そのハーバードでの授業は心に響いたものの、日本に帰り仕事に打ち込む日々が戻ってくると、私の中に残ったのは、とにかく会社を大きくしたいという思いだけだったんです。

そして、帰国後1年ほどで、社長に就任しました。事業内容はコンピューターの進歩で少しずつ変わり、クライアント先にエンジニアが常駐してシステム開発や保守運用を行うものでした。このビジネスモデルは、事業を大きくするには、人を増やし、規模を拡大するしか道がありませんでした。

そこで、他企業と合併していくために、ファンドから資金を集めることにしました。インターネットで投資ファンドを探し、東京まで会いに行きました。すると、たまたま銀行系のファンドは投資先を探しているということで、株式を発行して資金調達することにしたんです。

黒字経営、かつ資金もかなりあったので、「なんで出資するのか?」と驚かれましたね。それでも、会社を大きくするにはより大きな資金が必要だったので、私は違和感はありませんでした。そして、投資ファンドとの共同経営が始まったんです。

会社を大きくすることと、従業員からの反応との間で揺れる


それからは同業者を吸収合併して会社の規模を大きくしていきました。常駐のシステム企業では、同じクライアントに長く派遣され続ける人も多いので、だらけた空気になってしまうことも少なくありませんでした。その状況を解消するためにも、吸収合併はメリットがあるのですが、その分、現場の社員からは批判されることもありました。

また、地元の他の企業では「のれん」を大切にする会社が多かったので、株式をファンドに渡してしまう私の行動は理解されないことが多かったですね。「◯◯さんの会社」とは言えなくなってしまいますから。

それでも私は、会社を大きくするために他企業と合併し、ある程度の規模まで事業を引き上げ、安定したらまた別の企業と合併することを繰り返していきました。私にとっては、「誰の家の会社か」ということは関心がなかったのです。

ただ、事業の特性上、派遣できる人数を増やしつつコストを下げることが重要になってくるので、どうしても社員を「数字」のように見てしまうこともありました。少々大げさでに言えば、ある部分では利益ばかり追求し、人間が二の次になるような世界なんです。そのため、投資ファンドからの突き上げも重なり、社員からは嫌われる立ち回りになっていきました。

そんな状況に、ジレンマも感じていました。幼い頃から、父が司法書士としてクライアント、人に寄り添った仕事をしているのを見ていたので、なおさら自分の生き方に違和感がありました。それこそ、ハーバードで学んだように、自分にとっての成功とは何か、常に考えるようになったんです。

そこで、50歳を1つの目安に置くことにしました。それまでにできる限り会社を大きくして、50歳になったら自分とファンドの株式は売却してEXITしようと。私の親族は70歳前後で亡くなることが多かったので、残りの20年で自分が本当に手にしたい成功を目指そうと考えていたんです。

士業の世界で感じた不便さ


その後、15年ほどの間に4社と合併していきました。そして、2013年10月、48歳のタイミングで会社の売却が決まりました。上場する道もありました。しかし、常駐型のシステム開発会社としては限界までやりきった感覚があり、これ以上会社として成長していくためには、他の業態のシステム企業と統合したほうが良いと考えたんです。私は技術者ではないので、新しい領域に事業拡大をする社長としては不適切だとも感じていました。

会社を手放した後は、アメリカに移住しようと考えていました。多様な価値観を認めてくれる空気が個人的には合っていたんです。

そんな矢先、父が亡くなりました。ちょうど売却が決まって一段落した時でした。

父は亡くなる直前まで働いていたため、進行中の仕事もあり、このままでは父のクライアント企業は困っていました。これは何とかしないと思い、父の残した事務所の後片付けのつもりで、司法書士を雇ってクライアントに引き継ぐ仕事を始めたんです。

すると、士業の世界が実は既得権益の固まりのような世界だということに驚くようになっていきました。例えば、司法書士が「司法書士を雇って一緒に働く」には、法人化しないと無理とか、他の行政書士や税理士と一緒に働くのも無理とか、顧客は取り合ってはいけないとか、サービス向上のためとは思えないルールが多く存在していたんです。それも、法律で決められているのではなく、協会などに縛られていました。

その結果、クライアントにとって大変不便な仕組みだと感じてしまったんです。アメリカだと、医者ですら営業すると言われるように、他の業種であればお客さんのために使いやすさを求めて改善していくのですが、それがあまりも行われていないのではないかと。そこで、この業界をより便利にするため、隙間を埋めるような事業を立ち上げることにしたんです。

共感してもらえた司法書士の人たちとその事業を進めつつ、私は改めて自分にとっての成功とは何か考えるため、バックパックを背負って世界中を旅して回りました。

アントレプレナーではなく、経営者としての生き方


改めて自分にとって大切なものは何か考えた結果、それは「想いを持つ人を支援する」ことでした。そして、そういった想いを持つ人とのコミュニティを作りたいとも思ったんです。そこで、現在はその軸を基に、様々な活動に取り組んでいます。

1つは、今行っている司法書士に関わるところで、より総合的で、お客さんが使いやすいサービスを作っています。私の事務所では、司法書士業務の中でも相続に特化していますが、それに付随してお客さんが相談したいことをワンストップで解決したいと考えています。

また、司法書士業務の1つである「成年後見」の仕事では、営業先は老人ホームやケアマネージャとなります。そこで、高齢者向けの見守りや話し相手など、介護保険適用外のケアサービスも立ち上げています。このサービスを安価で提供することで、普通の話や相談から成年後見や相続まで、士業という職業が人々の人生に関わる本来の姿を通して、トータルなサービスを提供できるような組織にしていきたいと考えています。

また、想いを持った人を支援するために、エンジェル投資も行っています。ただお金を出すだけでなく、事業を大きくするために一緒に手を動かしています。その1つとして、沖縄でのアプリ開発スクールを手伝い始めました。その代表は「自分の人生を変えたい」と考える人がアプリ開発の力をつけることで職業の選択肢を増やし、羽ばたいて欲しいと熱い想いを持っていて、その気持に打たれたんです。

他にも、マカオで教育格差を無くすためのアフタースクールを作っていますし、永住権を取ったアメリカでチャイルドケアの事業を立ち上げる予定もあります。私は「ゼロイチ」を作るアントレプレナーではありませんが、これからも想いを持つ人たちと一緒に、事業を大きくする「経営者」として生きていきたいですね。

2015.06.08

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