私は東京都の小平市で育ちました。祖父は食品会社の創業者、父はその会社の二代目社長として働いていました。そのため、長男である私は、直接言われることはないものの、将来は会社を継ぐものだと思っていました。

しかし、高校に入った頃から、音楽の教師になりたいと考えるようになりました。高校の音楽の授業が、中学時代と比べてあまりにも面白くなかったんです。地元の中学校は、合唱コンクールが近づくと、やんちゃな子でも気合いを入れて練習に臨むぐらい合唱が盛んでした。しかし、高校では授業には参加せず歌わない人ばかり。その姿を見て、将来、音楽教師になって「歌う楽しさ」を伝える仕事がしたいと考えるようになったんです。

ただ、その時私はラグビー部に所属していました。ラグビーを始めると、突き指をしていることが多く、小さい頃から続けていたピアノはほとんど弾けなくなっていました。また、音楽教師になるためには、ピアノ以外にも副科として別の楽器の演奏や、楽典など専門的な知識が必要でした。

そこで、高校2年生の夏に吹奏楽部に転部することに決めたんです。それからは、センター試験と実技試験に向けて、勉強と練習に励みました。

しかし、センター試験の7科目に加え、音楽専門科目の勉強をしながら、楽器や歌の練習をする日々。どうしても集中力が散漫になってしまう現実に、焦りを感じていました。さらに、業績が振るわない状態が続いていた実家の会社が、運悪く食中毒のニュースによる煽りを受け、浪人の選択肢も考えづらい経済状況に陥りました。

そんな最中で受けた3年生の夏の模試は、目標から遠い結果に終わってしまったんです。このことが、改めて将来のことを考える機会となりました。立ち止まると、ふと「このまま音楽教師の道に進んでいいのか?」という疑問が湧いてきました。もちろん、音楽の楽しさを伝えたい気持ちはありましたが、一生をかけてやっていきたいのかと言うと、それは違うんじゃないかと。

そして、考えた末、やはり父の会社を継ぐ道に進むことに決めました。これまで父は何も言わずに自由にさせてくれましたが、経営一家の長男として育ったことで、経営者としての人生を少なからず意識していたのかも知れません。それが自分の生きていく道として、一番しっくり来ていました。