学者肌の「世捨て人」が、CTOになるまで。将来の可能性のために、新しい組織で行う挑戦。

【エンジニアの新しい働き方「ビジネスアーキテクト」】「つぎのアタリマエをつくる」というミッションのもと、後払い決済・企業間決済サービスの運営を行う株式会社ネットプロテクションズとの協力でお送りする、エンジニアの新しい働き方の特集です。ネットプロテクションズにてCTOを務める鈴木さん。昔から学者肌で深い探究心を持ちながらも、社会と隔離した「世捨て人」のような性格にコンプレックスもあったとか。急成長ベンチャーの将来の可能性のために始めた、「ビジネスアーキテクト」という新しい働き方とは?

鈴木 史朗

すずき しろう|決済サービス運営ベンチャーのCTO
後払い決済サービス「NP後払い」・企業間決済サービス「FREX B2B後払い決済」の運営等を行う株式会社ネットプロテクションズのCTO(最高技術責任者)を務める。

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※この特集は、株式会社ネットプロテクションズの提供でお届けしました。

社会問題を数学で最適化するという探究心


私は東京都板橋区に生まれ、小学校からは埼玉県で育ちました。小さい頃から、目の前にあることを自分の中で納得して理解できないと嫌なタイプで、例えば、「1/2÷1/2が何故1になるのだろう?」というような疑問をずっと考え続けるような小学生でした。分数で割ることの意味がよく分からなかったですし、かといってそのまま式を鵜呑みにするのも気持ち悪くて嫌だったんです。

元々面倒くさがりで、なるべく少ない原理で多くのことを動かしたいという性格も影響していたのかもしれません。人と比べて興味の範囲が狭く、その分、限られた分野の探究心は深いようなタイプでした。

その中でも数学について考えることが好きで、高校の社会の授業で、信用創造を数列で表せるという話を聞いてからは、世の中を数学で構造化して表現できることに美しさを感じ、卒業後は東京理科大の理学部応用数学科に進学しました。特に哲学的に数学を探求したいとうわけではなく、社会に活かすことに関心があったので、数学科ではなく、応用数学科を選択しました。

実際に大学では、世の中の構造の真理についての学びを深めていき、2年生になると授業で「オペレーションズリサーチ」という学問に出会いました。それは、数学的・統計的モデル、アルゴリズムの利用等により、さまざまな計画に際して最も効率的になるよう決定する科学的技法で、「数学を通じて社会の問題を解決したい」と考える私にとって、まさに関心のあるテーマでした。ただ、大学にはその分野の研究室が無かったので、近い分野を学ぼうと統計関連の研究室に所属しました。

そんな生活を経て大学の卒業が近づくと、世の中にある構造の理解や計算の仕方等、技については学んだ感覚がありましたが、それを社会にどう活かすかのイメージは、いまいち掴めていない状況でした。また、自分の学んで来たことを活かそうと考えて就職活動をするもいまいちピンと来なかったんです。

同じ研究室からはシステム会社や金融機関に進むことが多かったのですが、なんだか選択肢が少なく感じましたし、世の中にどういう仕事があるのかもわかっていなかったので、卒業後は大学院に進学し、オペレーションズリサーチをより深く学ぶことに決めたんです。

大学院では環境を変えて、東京工業大学に進学しました。

「世捨て人」になる不安、社会を知るために就職へ


大学院に入ってからは、環境を変えたことでの変化が大きく新鮮でしたね。それまでとは集まっている人のタイプも代わり、自分自身新しい刺激を沢山受けました。

特に、研究に対しての密度はどんどん高くなっていき、それまでの4年間と比べても、学びの深さがすごく大きかったです。「研究ってこういうことなんだ」という気づきがあり、巷で研究という言葉が日常的に使われていることに怒りを覚えるくらい違いを感じました。(笑)自らの探究心を突き詰め、周りからも楽しそうだと言われるほど、充実した学生生活でした。

しかし、一方でそういった学者肌に対しては危機感を感じる部分もありました。小さい頃から自分はすごく「狭い人間だ」という感覚があり、人に比べて知らないことが多かったんです。例えば、テレビを見ないため他の人が話していることが分からないし、見たいとも思わなかったんですよね。

そんな風に「世捨て人」になってしまうことへの危機感は、年齢を重ねるに連れて大きくなっていきました。社会問題の解決のために研究をしているのに、社会との距離はどんどん離れていったんです。

そういった背景もあり、卒業後は教授から博士の道に誘われながらも、「研究がどう社会とつながるかは、社会に出ないとわからない」と考え、一度就職をすることに決めました。まずは3・4年くらい会社で働き、辞めて研究に戻ればいいかなと考えていましたね。

そこで、それまでの研究を活かしたいと思い、株式会社構造計画研究所という、オペレーションズリサーチをもとに企業の意志決定のコンサルティングやソフトウェア開発等を行う会社に就職を決めました。

大きな将来の可能性と、「行かないと潰れるかもしれない」現状


実際に就職し働き始めると、国内通信会社の施設設計の最適化や、自動車会社の船上輸送の最適化など、クライアント企業の課題をオペレーションズリサーチを用いて解決するような業務で、それまでの積み重ねを活かすことができる仕事は楽しかったですね。

また、同じ目線で出来るメンバーに恵まれ、社風に対しても居心地の良さを感じました。特に、それまで限られた範囲の人としか関わってこなかったこともあり、ここでも、新しい環境に飛び込むことの刺激を感じたんです。

そこで、大学院進学・入社の経験から、環境を変えることは自分の成長につながると感じたため、3・4年で環境を変え続けるような社会人生活を送ろうと決めたんです。自ら環境を作り変えるような行動が得意でなかったこともあり、居場所を替えてしまおうという感覚でした。

実際に4年経ったタイミングで、一連の仕事に携わった感覚があったので、転職をすることに決めました。漠然とですが、5年以上働くとずっと居てしまうのではないかという危機感もありました。そこで研究に戻り、博士の道に進むことも考えたのですが、それまで得ていた収入が無くなることへのもったいなさや、仕事をしながらでも勉強はできるという感覚から、転職を選択することに決めました。

一度就職したことで、自分と同じことを考えられる人は多くないし、
それを用いて社会に価値を提供できると実感できたことで、自分自身を認められたのも大きかったかもしれません。狭い範囲にしか探究心がなく、世捨て人になってしまうかもしれないという不安は、次第に解消されていきました。

その後は、大学院時代に金融工学を学んでいたこともあり、テクマトリックス株式会社という、金融工学を用いたITソリューションを提供する会社に転職しました。そこでは、保険会社や地銀向けのリスク管理システムの導入やメンテナンスを行いました。

するとある時、グループ会社の中にあった、決済サービスを扱うネットプロテクションズというベンチャー企業のシステム開発を、ゼロから行う案件に携わることになりました。私自身、基幹システムという、数理モデルのないシステム開発は初めての経験でしたが、色々な本を読みあさりながら業務を行っていき、とても勉強になる体験でした。

また、携わったのが「後払い」という、個人と企業の間に立ち、お金と信用を扱うような決済サービスで、ぼんやりとですが、将来の可能性の大きそうなサービスだなと感じました。

その後、2年半ほど働き、そろそろ新しい環境に転職しようかなと考えていると、既に開発が完了し、サービスがリリースされていたネットプロテクションズから、「システム開発が大幅に遅れ、火を噴いている」という連絡を受け、先方の打ち合わせに同席することになりました。

そして、無事打ち合わせを終えると、ネットプロテクションズの取締役の柴田さん(現CEO)から、「もう少しこのサービスを手伝ってもらえませんかね?」と声をかけられたんです。出向という形でも良いから、とのことでした。

正直、プロジェクトに携わっていた時からその会社にはシステム人員が不足していたこともあり、 声をかけられるかもな、という気がしていました。そして、今のまま開発が進めば絶対うまくいかないんじゃないかという、確信に近い危機感もあったんです。

ただ、私自身、声をかけられたから転職するというのは主体的でない選択に感じられ、迷う部分もありました。その場で「転職を考えている」と伝えれば、一緒に働こうと誘っていただけることは見えていました。でも、「本当に自分自身それでいいのか?」と考えてみたんです。

すると、それまで人から言われて作る経験ばかりだったので、事業会社に行くか自分で起業をしようと考えていたこと、ネットプロテクションズ自体が自分が行かないと潰れるだろうなという感覚を抱いたこと、そして何より、後払い決済が上手く行った先のビジネス的な可能性に強烈に惹かれたんです。

そこで、「実はちょうど今の会社を辞めようと考えているんです。」という話を柴田さんに伝え、ネットプロテクションズに参画することに決めました。30歳のことでした。

自分の意見や考えを上手く伝えられない葛藤


会社は15名規模で、私はシステム開発のマネージャーとして働き始めました。最初はとにかく自分にできることをやり続ける日々でしたね。全貌が見えない中で走り続けるような感覚でした。

また、それまでと大きく異なったのが、自分の意見や考えをうまく伝えられないということでした。学生時代の研究の経験からも、自分の中に蓄積している様々な構造の中から、これが良いのではないかというアイデアが浮かぶのですが、何故それを良いと思うかの理由を相手に伝わる形で説明することが、うまく出来なかったんです。

これはすごく悔しかったですね。それまでは「自分ができればいいや」というような環境だったため、ほぼ初めて感じるような感覚でした。

そんな背景もあり、CTO(最高技術責任者)に就任してからも、人に任せることがうまくできず、結果的には自分で現場の設計を行う日々を続けていきました。

しかし、次第にサービス自体が拡大していったこともあり、自分だけでは手に負えなくなり、周りの人に任せざるを得ない状況になっていきました。

そこである時から、考え方が合わなくても一旦任せてみて、結果を見て判断する方向性に変えていったんです。そうすることで手を離れるようになりはするものの、自分の意図に反するものが出てくることが増えていきました。結果に繋がれば良いものの、そうでないケースもあり、葛藤は続いていきました。

ビジネスアーキテクトという、将来の可能性のための挑戦


そんな悩みを抱えながらもサービスは順調に成長していき、2013年頃からは完全に軌道に乗ったような感覚がありました。それまで一生懸命後ろから押していたのが、急にゴロゴロ転がり始めて、手を離れたような感覚でしたね。

そして、サービス設計や開発という意味でも自分の手を完全に離れた状況で、改めて何をしようかと考えると、今後よりサービス・会社が拡大することを踏まえて、事業ごとの人材配置やベンダーとの協力体制含め、将来に向けた組織自体を設計していくことに力を入れるようになりました。

そこで、常々抱いていた「仕組みやノウハウをメンバー間で伝えること」をテーマに、サービスの構造や、事業を進めていく上でのノウハウを図示し、設計図として会社全体の意思決定に活かしていく機能として、「ビジネスアーキテクト」という新しい部署を立ち上げることに決めたんです。

そこには、会社が拡大し新しいメンバーが入って来たり、会社の機能自体が分化していく中で、サービスの構造や設計意図を誰にでも共有できるようになっていないと、長期的にまずいのではないかという課題感がありました。それが障壁となりスピードが遅くなり、拡大の妨げとなってしまう気がしたんです。

そして、それを「システム部」の管轄として取り組んでも、飽くまでシステム屋さんのような立ち位置になってしまい、ITとビジネスに乖離が生じるが故に、ビジネス部分の共有がされないような危機感がありました。

そのため、新たな機能として打ち立てることで、会社の中心の機能として進めていければという思いの決断でした。

実際に取り組み始めてみて、最初は意図が伝わらずモヤモヤを抱くこともありましたが、メンバー間で考える場を設けていくことで、段々と描いていた形に近づいている感覚があります。また、サービスの改善や開発の機能も担いながらも、実際に手を動かして開発する部分はパートナー企業に任せ、これまで以上にエンジニアがビジネスの分野で活躍できているような実感もあります。

個人的にも、これまでは自分が考えて手を動かしてという働き方でしたが、今は人一人のメンバーが価値を発揮しているので、どういう組織を作るかという観点でそのサポートをしていきたいですね。そうすることで、基盤となる決済サービスはもちろん、私自身が可能性を感じたその先の広がりに挑戦していき、「つぎのアタリマエをつくる」というミッションを達成していきたいです。

サービスの本質を考え設計し、その構造を周囲に伝えていくために、ビジネスアーキテクトという新しい機能を押し進めることで、将来の会社自体の可能性を広げていきたいです。

2015.04.23

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