美容師とGoogleとサムライ魂。誰でも簡単にビジネスをできる世界への挑戦。

中小企業のテクノロジー化をテーマに、全自動のクラウド会計サービスを運営する佐々木さん。家業である美容師になろうと考えていた佐々木さんが、広告代理店やベンチャー企業・Googleを経て独立に至るには、中小企業、そして日本に対して抱く危機感がありました。背景にはどんな思いがあるのか、お話を伺いました。

佐々木 大輔

ささき だいすけ|クラウド会計サービス運営
クラウド会計ソフトシェアNo.1の「クラウド会計ソフトfreee」や、ワンクリックで給与計算が終わる「クラウド給与計算ソフト freee」を運営するfreee株式会社の代表取締役を務める。

クラウド会計ソフト freee
クラウド給与計算ソフト freee

メインストリームではない活躍の仕方、世の中をモデル化したい


僕は東京都台東区に生まれ、地元の公立の小学校に通いました。しかし、私立中学への進学率が高い学校だったこともあり、小学5年生になると、急に回りに遊ぶ友達がいなくなってしまったんです。

どうしたものかと思った結果、親に相談し、友人と同じ塾に通わせてもらうことにしました。もっぱら、勉強というよりは塾で流行っていた大貧民が楽しくて通っていましたね。(笑)ところが、大貧民が強い友人は皆上のクラスに行ってしまうので、自分も最強の大貧民チームに入ろうと頑張っていると、気づけば一番上のクラスにおり、受験を経て開成中学に入学することに決めました。それまでは勉強で目立ったこと等なかったのに、モチベーション次第で結果は出るんだなと感じましたね。

しかし、実際に中学校生活が始めると、周りの生徒に圧倒されてしまったんです。勉強はもちろん、スポーツも楽器もできる。「なんでこんな人がいるの?」という感じでした。そこで、この人たちと張り合うのは難しいなと感じるようになり、萎縮し、何をやっても目立てないような感覚に陥り、自分のアイデンティティが見えなくなってしまいました。

そんな悩みが高校1年生頃まで続いたのですが、他の学校の友達と遊ぶようになってから世界が広がり、少しずつ自分の立ち位置みたいなものが定まってきました。

世の中の「レール」には乗らず、人と違うことをしようと考えるようになったんです。例えば、同世代で流行っていた私立高校の鞄を発注して売りさばいたり、人とは違うことにやりがいを見いだしていきました。

その後、卒業が近づくと、将来は実家の家業である美容師になろうと考えていました。元々祖父の代から皆美容師で、自分も美容師の仕事をするイメージがあったんです。周りは医者や弁護士を目指す中でしたが、自分の道を歩もうと考えていました。ただ、親戚の中でも、大学を出て専門学校に入った叔父の影響を受け、一橋大学の商学部に進学することを決めました。

データサイエンスへの関心と、『Beautiful Life』


中高の経験を通じて自分の方向性が定まったはずが、大学に入学してからも、しばらくはそれまでと同じような悩みを考えることになりました。

高校まで遊んで来たため、もっと熱いことがしたいと思い、ラクロス部に入ることにしたんです。しかし、ある種社会のメインストリーム的な選択をしてしまったことで、ここでも環境に合わない葛藤を感じるようになり、結局2年の終わりに退部をすることになりました。

突拍子のないものが許されないような、秩序立った雰囲気や上下関係に、自分の人生のペースに合わないような感覚を抱いてしまったんです。

それからは、再び自分のしたいことで人がしていないことをしようと、3年からは勉強をしてスウェーデンのストックホルムへの留学を決めました。ちょうどEUが出来始めた時期で、色々な国の人が集い、皆3・4カ国語を話しており、「国なんて関係ないな」という新鮮な感覚でした。

また、帰国後は統計学への関心からデータサイエンスのゼミに所属しました。元々確率の問題を解くことが好きだったことに加え、世の中で起こっていることをモデル化・数式化することに非常にやりがいを感じたんです。

そこで、大学のゼミだけでなく、インタースコープというインターネットリサーチを行うベンチャー企業でインターンも始めました。仕事はとにかく面白く、自由に取り組ませてもらえる環境だったこともあり、日曜の夕方に会社に来て土曜の朝に帰るような、泊まり込みの生活をしていました。主力製品の制作にも携わらせてもらい、「また元の自分に戻ってきたな」という感覚がありましたね。

その後、大学を卒業が近づくと、就職活動を経て博報堂に就職を決めました。インターン先の会社のメインクライアントだったこともあり、そこで働いてみたいという憧れを感じていたんです。

また、大学2年の時に『Beautiful Life 〜ふたりでいた日々〜』という木村拓哉が美容師の役を務めるヒットドラマがあり、それを機に美容師になることを辞めました。他の人と同じように、ドラマを見て美容師になりたいと思われるのが嫌だったんですよね。(笑)

納得のいく仕事を求める20代


博報堂に入社してからは、様々な会社のマーケティングに携わりました。しかし憧れを抱いて入ったこともあり、この選択もまた、自分にとってあまり相性の良い環境ではありませんでした。現場調査をして、要素をモデル化し企画を立て・・という誰もしていない仕事の部分は非常にやりがいがあったのですが、残りの部分にあたるCMの企画等、所謂広告業にはあまり関心がなかったんです。

特に、費用対効果の観点でお客さんに価値を明確に伝えられないことに違和感を感じ、もっとその部分に向き合う仕事がしたいと思い、2年働いた後、プライベートエクイティのファンドに転職を決めました。全く新しい環境でしたが、不安はありませんでしたね。

その会社は外資系で、僕が入社したのはちょうど日本オフィスの立ち上げのタイミングでした。実際に仕事をしてみると、投資を通じて様々な業界と携われることは面白いものの、予想していたより、投資後に携わる機会が少ないことに少し物足りなさを感じました。

投資後は少し遠くでお祈りをするような印象で、何が起こっているのか分からないのが正直なところだったんです。「それだったら、投資されて事業を作る側に回る方が面白いな」と考えるようになっていきました。

そこで、1年程働いた後、以前のインターン先の社長が立ち上げた15人ほどのベンチャー企業に転職することにしたんです。資金調達を検討していたこともあり、CFO(最高財務責任者)として事業会社で挑戦をすることになりました。

実際に働き始めてみると、それまでとは一転、激動の環境でしたね。資金調達のために、新しくEコマースサイトむけのレコメンドエンジンを作ることになり、プロダクトのコンセプト作りから、自らプログラミングを学んでプロトタイプも作り、新商品をゼロから作り上げる経験をしました。

毎日3時まで働くような毎日でしたが、実際にプロダクトができると組織の雰囲気も一気に好転し、大きな流れが変わるような瞬間に立ち会うことができ、非常にやりがいを感じました。

「日本はこのままじゃダメだ」サムライ魂でGoogleに


そんな激動の時期を経て、事業が立ち上がり会社が軌道に乗った頃、Googleから採用のオファーをいただいたんです。元々、スウェーデンに留学していた際にGoogleにインターンをしていた友人がおり、ぼんやりとですが、すごい会社だなという印象はありました。

しかし、日本国内では総務省が国産検索エンジンの輩出を掲げるような時期で、どこか「Googleは敵」というような雰囲気もありました。

そこで、中学からの親友にその話を相談してみると、「それは絶対にやったほうがいい」と言われたんです。「日本がこれ以上グローバルなプラットフォームから外れることは、国としてのリスクだ」と。

その話を聴いて、「日本はこのままじゃだめかもしれない」という、今までに感じたことの無いような思いを抱くようになりました。

たしかにそうだな、と深く納得したんです。それまでは自分の納得度や関心から環境を選択して来たのが、まるでサムライ魂のような日本への思いから、転職を決めたんです。

Googleで見いだした、中小企業のテクノロジー化の可能性


Googleで働き始めて最初の3ヶ月は本社で、その後は日本のオフィスで働いたのですが、「とにかくすごい環境だな」というのが感想でした。データサイエンスの部署ということもあり、ほぼ全員統計の分野で博士号を取得しており、にも関わらずコミュニケーションにも長けている。一人一人のバックグラウンドも多様で、仕事に対するアプローチにも圧倒的なレベルの違いを感じました。とにかく、最初はなんとかついていこうという感じでしたね。

しかし、入社後すぐにリーマンショックが発生したことで、データ分析よりもよりビジネスに繋がりやすい分野に力を入れる方針となり、中小企業の広告主を増やすプロジェクトに従事するようになりました。

そして、このプロジェクトは自分にとって非常にピンと来るものでした。これまで感じていた費用対効果の不透明さも無く、知見がしっかり貯まっていく環境に加え、テクノロジーを用いることで、全世界に小さなビジネスを広告できることに、とても大きな可能性を感じたんです。

特に、日本の中小企業はIT活用度が低く、小さなビジネスに携わる人の可能性は制限され、この流れを変えないと、起業自体も少なくなってしまうような危機感がありました。また、実家が美容院を営んでいるために課題に対し当事者感覚もあり、小さい頃からの家族の風景も変わるような気がしたんです。

そんな背景から、業務の枠を超えて「中小企業のテクノロジー化」というテーマに意味を見いだすようになると、ふと、マーケティングだけでなく、経理の課題の煩雑さに気づいたんです。元々、前職でCFOを務めていた際に仕組みを自動化しようとしたり、会計ソフトを使いこなそうとしたものの、上手く行かなかったんですよね。

そして、それはおかしいと思ったんです。IT企業に務め、財務に携わって来た自分が苦しむのであれば、他にも悩んでいる人はたくさんいるんじゃないかと。特に、会計はどの企業にも必要な機能のため、これがインターネットで自動化できたら、他の分野もITによる変革が進むし、何より「中小企業はかっこいい」という状況になるための一歩に思えました。

そこで、31歳のタイミングで4年弱働いたGoogleを退職し、クラウド会計サービスを提供するCFO株式会社を創業しました。

自分の目標に対して思いとどまる点は無かったですし、失敗してもどこかに戻れるという気持ちもあり、不安は無かったですね。

誰でもビジネスを作り運営できる世界のために


創業後、サービスリリースまでは正直摸索する時期が続きました。プロトタイプに対するユーザーからのフィードバックがあまり良くなく、「既存の会計ソフトで十分満足している」と言われてしまうことも少なからずありました。そんな誰に聞いてもダメだと言われる状況から改善を重ね、なんとか全自動のクラウド会計ソフト「freee」のリリースまで至りました。

すると、リリース後は一転、事業が走り始め、軌道に乗っていったんです。その後、サービスと同じfreee株式会社に名称を変更し、会計という分野に置けるインパクトはもちろん、私達のサービスの後からBtoB分野のクラウドサービスが増えていき、目指していた中小企業のテクノロジー化に少しずつ近づいている実感があります。世の中が変わっている手応えを持ちながら成長できるのは非常に嬉しいですね。

最終的には、そういった変革を進めていくことで、誰もが簡単にビジネスを作り運営できるような世界を創りたいです。

また、そのためには私たち1社だけではできないこともあるので、他の企業のモデルになるような新しい挑戦を行うような会社でありたいですね。例えば、現在は海外のベンチャーキャピタルからの資金調達等を行う等、「あんなことやっていいんだ」とか「ああいう会社を創りたい」と思われるような挑戦をしていきたいです。

2015.04.22

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