トップ企業最前線の経験を、産業への恩返しに。「現場にこだわる挑戦」を経て描く、次の夢。

【ビジネスノマドという、新しい働き方】専門家のスキルと企業の課題をマッチングし、マイクロコンサルにより課題解決する 「X-book」との協力でお送りする「新しい働き方」の特集です。 ビジネスノマド2人目は、エンジェル投資家として30社以上のスタートアップの顧問を務める三木さん。 「産業に育ててもらったので、恩返しをしたい」と語る背景には、急成長ベンチャーで事業を立ち上げ続けた先にたどり着いた、シンプルな思いがありました。

三木 寛文

みき ひろふみ|エンジェル投資家・スタートアップ支援
エンジェル投資家兼スタートアップのアドバイザーとして、インターネット/ヘルスケア/教育などの領域を中心に、スタートアップ支援や事業サポートを数多く手掛ける。

※この特集は、株式会社サーキュレーションの提供でお届けしました。
→このようなノマドに1時間程度の相談・ディスカッションができるサービス「X-book」の法人/個人のご利用はこちらから

大学受験に就職活動、節目の選択で常に挫折


私は、東京の下町で生まれ、小学2年生から埼玉県で育ちました。

小学生の頃は勉強も運動もひどい成績で、まったく自分に自信が持てない生活を送っていました。ただ、中学校に入った最初の持久走大会で、女子生徒全学年がゴール地点で応援していることに男子として危機感を覚え、毎朝早朝練習を頑張った結果なんと上位入賞。努力すれば何でも勝てることを学び、その後も常に挫折と努力を繰り返すも、なんとか中学を卒業する頃には学校でも生徒会などで目立てる存在になれました。

しかし、高校になると県内トップクラスの進学校に入学できたものの、またもや成績は下の方。それでも、努力すれば目標が実現できることを既に学んでいたのと、男子校だったので女子の目も気にせずにマイペースで自由闊達な生活を送っていました。

将来については、元々、親がネックレスを作る職人をしていたこともあって商売は身近にあり、漠然と商学部や経営学部に進もうと考えていました。

ところが、学校の仲間と一緒に毎日学校に居残って早稲田大学を目指すも一人だけ不合格。浪人生活が始まった頃に、先に入学した友人の華やかな学生生活を聞いて悔しくて眠れなくなり、入学してからやりたいことをとにかく全部ノートに書き出すようになりました。

そんな背景もあったため、大学はとにかく毎日アグレッシブにやりたいことを一つ一つ実現。最初は約15以上のサークルに参加し、アルバイトは短期のものも含めて100種類ぐらいは経験、バックパッカーとして海外の辺境地にも毎年積極的に行っていました。

特に、アイセックという学生団体では企業と一緒にイベントを行う機会が多く、その中で起業家の方のお話をたくさん伺い、私自身もベンチャーマインドに感化されていきました。中でも、最も有名だったベンチャー三銃士の一人だったパソナの南部社長の「迷ったらやれ!!」という言葉は、その後の自分の行動に大きな指針になりました。

また、サークル活動をきっかけに知り合った商社のベンチャーキャピタルでインターンなどもしていました。その会社では、日本にまだ存在しないサービスやモノ、店舗を保有する会社に投資して、海外から日本に誘致するような投資/支援活動を現場で見ることで、これまでに無い新しい価値を提供することで世の中にインパクトを与える姿に、とても強い憧れを抱くようになりました。

その後、就職活動ではインターン時代の影響もあって総合商社への志望一筋で選考に望みました。

ところが、結果は全滅に終わってしまったんです。英語も話せないし体育会出身でもない私は、だいたい最終面接までは進むもののそこで不採用に。志望業界を完全に絞って就職活動をしていたので、ショックは大きくて、悔しさにしばらく寝込んでしまうほどでした。

結局、友人の紹介で受けていた旅行代理店のJTBだけ内定し、まあ人気企業だからいいかという理由で、卒業後はそのまま就職しました。

葛藤の時代を経て、急成長ベンチャーで見つけた仕事の楽しさ


JTBに入社してからは、とにかく法人営業と添乗員業務に明け暮れる日々を送りました。元々、旅行自体は好きだったこともあり、仕事を通じて様々な会社と国内・海外の色々な観光地や視察場所に旅行に行ける楽しさはあったものの、団体旅行のマーケット自体が伸び悩んでいたこともあり、徐々に大きく成長している業界や会社への転職を考えるようになりました。

特に、学生時代の経験からベンチャー企業への関心が強く、同級生で野心的な仲間たちが、特に大手企業からネットベンチャーへ飛び込む姿を見ていたこともあり、自分もネットベンチャーに挑戦しようと考えるようになったんです。

JTBで2年半働いた後、Webコンサルを行う会社に転職をしました。しかし、転職先では最悪の結果に。入ってすぐに会社の業績が悪化してしまったため、1年経たずに再度転職を迫られることになりました。ただ、その会社でネット業界を一通り知ることができて、新規事業の立案・実行も行っていたため、新しい環境でも新規事業に携わるようになりました。

25歳、2度目の転職(挫折?)を経て入社することになったのは、株式会社サイバードという、着メロや待ち受け等の携帯コンテンツ運営を行うベンチャー企業でした。

実際に入社をしてみて、まさに急成長している企業に集まってくる人のレベルの高さ、事業スピード、部署や役割変更の多さなど、とにかくすべてが一変しました。

業界的には、まさにモバイル黎明期。ちょうどNTTドコモのi-modeが始まって利用者が急速に増えていました。サイバードは、そのモバイル企業の中でも目覚ましい成長を遂げて、自分が入社する前に上場まで果たしていたため、仕事も人も情報も全てが次々と目まぐるしく入ってくる環境で、とにかく目の前の仕事をやることで手一杯という毎日。

前半の数年は法人向けの携帯マーケティングソリューションの法人営業に始まり、後半数年はエンタメ領域でガラケーの公式携帯サイトを立ち上げる部署に移り、音楽やゲーム、芸能、占い、スポーツなど、様々なエンタメ分野で新しい携帯コンテンツをたくさん立ち上げました。

とにかく忙しい日々ではあったものの、既存産業を守るためのルーティン業務ではなく、世の中に新しい価値を提供し、しかも様々なエンタメ領域に関わることができ、「仕事って楽しいものなんだ」と始めて感じることができました。

会社からの帰りが遅くなるのも苦ではないくらい、打ち込むようになっていったんです。

急速に成長するグリーで覚悟を決めた、生き残るための道


しかし、ガラケーの公式サイトが増え続けると、コンテンツプロバイダーと呼ばれるビジネスモデルは、次第に業績が頭打ちになってしまったんです。業界の雰囲気も大きく変わり、破竹の勢いだった「携帯公式サイト神話」の崩壊をまさに感じました。

また、急成長企業であるが故に優秀な人材がどんどん入って来て、まだ若くて未熟な私は、役職が上がっていけないという葛藤も抱えており、もっと創業期に近い、未上場のベンチャーに飛び込んでみたいという気持ちも大きくなっていきました。

そこで、ちょうど30歳を迎える頃、3度目の転職活動を経て、当時日本で流行り始めた、PC向けのSNS運営を行うグリーへの入社しました。従業員数は20名ぐらい。プライベートでは、結婚後に一人目の子供が生まれてすぐの頃でした。

当時のモバイル業界において、通信事業者は神同然の扱いだったのですが、グリーではKDDIと共同で事業をやれる事に大きなポテンシャルを感じました。しかも、グリーは、僕よりもさらに若くて優秀なメンバーが、毎日深夜まで、しかも仕事を本当に楽しんでいる姿を見て衝撃を覚え、入社を即決しました。

当時のグリーは平均年齢が25・6歳の会社。みんなインターネットが本当に大好きで、若い社員が自分の仕事が終わっても会社に残り、これからのWebサービスの未来についてお酒も飲まずに熱く語る姿を見て、これだけのメンバーなら、例え失敗しても悔いが残らないんじゃないかという思いを抱きました。

グリーでは事業開発の担当として、携帯向けの無料エンタメコンテンツの立ち上げ、3大通信事業者との交渉、広告宣伝部の立ち上げから初めてのTVCMの全国実施、芸能や政治メディアの立ち上げ、ゲームのプラットフォームの立ち上げ、中国でのプラットフォーム事業の立ち上げ、ゲーム以外の新規事業立ち上げなど、会社が20人から2,500人近くまで拡大する約7年半の間に、約20回ぐらいの事業開発を行いました。

特に、グリーに入社した初期のころは、自分の上にはもう役員しかいないという状況だったこともあり、自分が自分の担当する領域の仕事に責任を持つしかないため、気づけば、週の半分は深夜遅くまで仕事をして、六本木のロアビルにあるマンガ喫茶に泊まり、翌朝起きてスポーツジムでシャワーを浴びて出社する、という生活を送るようになりました。こんな生活も毎週のようにやっていると体が自然と慣れて苦痛を感じることもなく、六本木の街を歩きながら迎える朝日がまぶしくて心地よかったです。

グリーでは、とにかく仕事をすればするほどモバイル業界を自分が変えられている実感が増えていきました。1時間仕事をすれば、1時間会社と業界が前進することに、寝る時間も惜しみながら一心不乱に働いていました。すごく仕事に集中した日々を送っていて、家に帰らなくても不満を漏らさなかった家族には、本当に感謝をしていました。

ただ、会社が急速に成長していき、数年で見事に上場会社の仲間入りし、会社の知名度が上がることでさらに優秀な人がどんどん増えていき、私より後に入社した人が上司になることも度々ありました。それまではただ目の前の事業立ち上げに没頭していけば会社から評価されて良かったのですが、徐々に組織の成長に合わせて自分の立ち回り方を考えなければ行けなくなり、会社が大きくなるにつれ、働きながら葛藤するようになりました。

しかし、悩んでいる中でたどり着いたのは、自分の強みが「突破力」にしかないということでした。

私がグリーで生き残っていくためには、これまでひたすら続けて来た事業開発の領域で、価値を発揮し続けるしかないと感じたんです。そう気づいてからは、ひたすら現場で新規事業の立ち上げをすることに集中しました。

トップ企業で経験した事業開発の経験を、誰かの新しい挑戦に活かしたい


会社は上場した後、入社時に数十名だった社員が数千人規模までに成長する中で、会社のステージが変わるのに伴い、求められるスキルセットとマインドセットが変わっていきました。昔のようにめちゃくちゃな働き方をすることにやりがいを感じて、といったことは無くなっていきました。しかし、どこか入社当時のように仕事に打ち込んでいた時期の刺激や楽しさが結局忘れられず、自分の役割が一段落ついた感覚もあったので、グリーを退職し新たな環境に身を置こうと考えるようになりました。

しかし、実際に何をしようか考え始めると、関心の矛先は多数あるものの、いくら経ってもピンと来るものがみつからなかったんです。次第に漠然とした不安が募っていき、ついには老後や死も意識するようになりました。

「このままいったら普通に60歳とか70歳ぐらいになり、今と変わらないまま何も成長せずに、普通に死んでいってしまうんじゃないか」

と感じるようになったんです。そこで急に危機感が強まり、人に相談したり偉い人の本を読んだりして自分より先を行く人が考えていた事を学んでいくと、
最終的に辿りついたのは、「人の為に何かしたい」ということでした。死を意識してみると、結局あの世にモノもお金も知識もノウハウも人脈も、持っていけるものなど何もないし、死ぬ直前に自分が寝ている周りで、「お前がいたから」とか「お前のおかげで」よくなったよと感謝してもらえるようになりたいと感じたんです。

そんな折、知り合いから紹介を受け、ベンチャーキャピタルを運営されている方と会う機会がありました。そこで、その方が運用するファンドに個人として出資をすることに決め、実際にそのベンチャーキャピタルの投資先が働くシェアオフィスを見に行かせてもらう機会があったんです。

そのシェアオフィスは、なんと僕がグリーに入社した当初の雑居ビルの隣で、そこで20代の起業家が毎日寝ないで働いているのを見てハッとしました。「これだ!」と思ったんですよね。もう一度、こういった挑戦に関わりたいと思うようになったんです。

そこで、すぐに様々な起業家や投資家の方に会って回るようになり、起業家の手伝いも始めるようになりました。

そして、色々な起業家と話す中で気づいたのは、ネットベンチャーでの事業開発経験が豊富な投資家が実は多くないということでした。複数の急成長してきたネットベンチャーで、たくさんの事業立ち上げの経験をさせてもらった私は、その知見を、これからの挑戦する人に還元していかなければいけないという使命感を抱くようになったんです。

ネット業界で鍛えられたキャリアだからこそ、ちゃんとネット業界に恩返しをしようと思ったんです。

そんな思いを胸に抱き、2014年に約7年半務めたグリーを退職し、エンジェル投資家として、ベンチャー企業の支援を始めました。

業界に育ててもらったので、1社ではなく業界全体に恩返しを。


現在はスタートアップの支援を8割、新しい産業のエコシステムを作ることに1割、それ以外に自分のやりたいことへのチャレンジを1割という配分でリソースを割いています。

スタートアップ支援としては、エンジェル投資家として30社程度のアドバイザーを務めながら、毎週10社前後の新しい起業家とお会いして、自分にできる支援をしています。

もちろん、再び創業期のベンチャーに参画するという選択肢もあったのですが、1社に尽くすのはかなりやってきたので、急成長業界の急成長企業にいたからこそ得ることができた知見を、1社だけでなく、できるだけ多くの会社に還元していけたらという思いでした。

現在の活動を通して、ユーザーの増やし方や優秀な人の採用の仕方をアドバイスしていた創業期のベンチャーが、うまく軌道に乗って一瞬で急拡大していき、組織の整理や仕組み化、資金調達や上場準備、さらには数年後の長期スパンでの成長戦略の検討など、フェーズごとにアドバイスする内容も次々に変わっていて、その成長の早さに改めて驚かされる毎日です。正直実は、私が一番勉強させてもらっているんじゃないかなと感じます。

今後もさらに急成長していくベンチャーをさらにたくさん支援していきたいです。また、会社単位でのベンチャー支援だけでなく、ヘルスケア産業や教育産業など、これから日本でITを活用して産業を発展させられるような業界向けに、その業界での起業家を支援していく場を提供していくなど、エコシステム作りも始めています。

例えばネット業界では、起業家も、興味を持つ優秀な社員も、個人の投資家も、アドバイザーも、ベンチャーキャピタルもいて、ある程度アイデアを持っていれば発表する場もあり、ベンチャーが必要なリソースは何でも揃うと思うんです。ただ、他の産業ではまだまだそこまで進んでいないことも多いので、そういうエコシステムの場を作っていこうと思っています。

また、ベンチャー支援とは全く別に、大学からつけ始めたノートに書いてある、やりたいことへの挑戦も並行して行っています。学生時代からアジアの成長性に興味を持ったことから、現在はベトナムのホーチミンでNIKUTAROという焼肉屋も開店し、グローバルで和食が評価されていく様や、チャイナリスクの影響で日本の工場が南下し、東南アジアに移住する日本人が急増しているのもリアルタイムで見ています。

これからも、自分自身の経験や投資先の会社で得た知見をもとに、成功体験の再現を繰り返していき、あと10年くらいはこういう働き方をしたいと思っています。

そして、その先はまだ未定なのですが、今は投資で資金を貯めて財団を設立し、ゲイツ夫妻やザッカーバーグ夫妻のように、投資でもない、戦略的な寄付活動で世界の役に立っていきたいという目標もあります。

人のために経験を活かすこと、自分のやりたいことを追いかけることを並行して行い、過去の自分には想像もできない自分になりたいと思っています。

2015.04.20

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