憧れと悔しさが努力を生み、そして自信になる。「人生が拓けるような可能性」への挑戦。

20代社会人向けレコメンド型転職サイトの運営に携わる篠原さん。 若手社会人の可能性を広げ、「人生が変わった」と言ってもらえるようなサービスを目指す背景には、自らの可能性が大きく広がったある経験がありました。 「楽をしないような環境にあえて身を置く」というストイックな挑戦の原動力となる思いとは?お話を伺いました。

篠原 孝明

しのはら たかあき|20代社会人向けレコメンド型転職サイト運営
株式会社ビズリーチにて、20代社会人向けレコメンド型転職サイト「キャリアトレック」の運営責任者を務める。

キャリアトレック
株式会社ビズリーチ

経営者に囲まれて育った学生時代


私は兵庫県西脇市に、男3兄弟の末っ子として生まれました。元々、祖父が始めた無線機の販売の事業を父が継ぐという自営業の家系だったのですが、将来自分が家業を継ぐような感覚はなく、「やりたいことをやりなさい」と言われて育ちました。

それでも、父は私にとって憧れの対象で、小学生のある時、ITに関心の強い父が家にマッキントッシュを買って来てからは、私もコンピューターに関心を抱くようになりました。

最初はデフォルトのゲームで遊んだり、ペイントで絵を描いたりという程度だったのですが、そのうちに、機械を分解するようになり、中の構造にも関心を抱くようになりました。精密な部品が均等に並ぶ様に美学を感じ、「こういうところまで作られているんだ」と驚きましたね。

その後、中学に上がると、6歳上の兄が会社を立ち上げました。元々親への憧れもあり、自分も何か生み出したいと思っていた分、単純にすごいなという気持ちに加え、にわかに悔しさもありました。

そしてそれ以来、兄が声をかけてくれて経営者のセミナーに同行するようになりました。私も名刺を作ってもらい、ほとんどが30代という中、様々な方と話をさせていただきました。正直、話の中身が分からないこともありましたが、決して私のことを見下さずにフラットに話をしてくれる様を見て、「将来は自分もこんな風になりたい」と考えるようになっていきました。また、ITの領域で事業を起こしている方も多かったので、よりITへの関心は強くなっていきました。

その後、高校に進学してからは、授業に出て部活をして、家に帰ってからはネットサーフィンという生活をしていました。小さい頃から情報収集をする癖が着いており、周りの大人の方と話をするためにも、インプットは意識的に増えていきました。

一方で学生らしい生活も並行しており、靴に砂が入るのがいやだから室内競技を選び(笑)、その中相性の良かったバレー部に入り、部活に熱中していました。ボールを繋いでいくプロセスももちろんでしたが、アタックの機会が多く、自分の承認欲求が一番満たされるような種目だったんです。

そんな学校生活を経て、高校3年生を迎えると、進学校だったこともあり、周りは大学に進学していきました。

しかし、私には大学に進むという選択肢はありませんでした。兄や周りの経営者の方の話を伺う中で、遊んでしまう環境に身を置いてはダメだと感じたこともあり、卒業後はそのまま社会に出ようと、早くから決めていたんです。

そして、関心を持っていたITの領域、経営者の方と話す中で重要だと気づいたプレゼン能力を養うため、幼い頃から好きだったアップルに就職を決めました。

余命宣告を受けた父に見せる、自立した背中


18歳でアップルに入ってからは、テクニカルサポートとして、新製品のプレゼンや、お客さんへの技術サポートの接客に携わるようになっていきました。自分自身がその会社の顔になるということもあり、責任は大きなものでしたが、好きな仕事だったこともありワクワク働く事ができ、求められるが故にのめり込んでいきました。

そんな風に楽しく仕事をしていたある時、父の誕生日に、突然メッセージが来て、父ががんを患い余命3ヶ月と宣告されたということを知ったんです。

久しぶりのメールだったこともあり、正直、冗談だろうと思いました。しかし、すぐに受け入れなくてはと気持ちを改め、3ヶ月の間にできることをしようと決め、会社の退職を決めました。父に会いに行きやすい環境を作るための選択だったので、迷いはありませんでした。

そして、実家に帰り、病室に入ってみると、抗がん剤で髪の毛が無くなっているにも関わらず、食事に出ていた味付け海苔を眉に着けて周りを笑わせている父を見て、「ああ、父は絶対に大丈夫だな」と感じましたね。

いかなる状況でも楽しむことのできる強さを感じ、なんでこんなことができるのだろうという驚きがありました。

また、会社は辞めたものの、退職した時から個人で仕事は続けると決めていました。私が自立して働く姿を父に見せることも、3ヶ月の間にすることに含めていたんです。

そこで、知り合いから仕事をもらい、webデザイナーとしての制作や、結婚式での撮影の仕事等を引き受けるようになっていきました。

フリーランスでの試行錯誤と、グリーへの転職で広がった可能性


その後、強い父は病気を克服し、再び元気に生活を送り始めました。しかし、私は職場に戻ることはせず、より最短速度で成長しようとフリーランスとして試行錯誤する日々を過ごしていました。

自身を追い込むために家も引き払い、風呂なし・トイレ共同のワンルームアパートをオフィス兼自宅として引っ越し、とにかくストイックに努力を続けました。楽な環境にいたら怠けてしまうという危機感もありましたし、先を行く兄に近づきたいという気持ちもありました。

正直、受注する段階では必要な知識を持っていないことも多々ありましたが、納期までに必死に勉強して納品して、ということを繰り返し、納期間際は1日30分睡眠なんてこともざらにありました。それでも、自分の若さにも期限があると思い、駆け抜けるように毎日を過ごし、少しずつ壁を乗り越える自信を積み重ねていきました。

そんな背景もあり、段々と仕事の幅は広がっていったものの、次第に、元々抱いていた「世の中に新しい価値を提供したい」という思いから、受託ではなく、自分のサービスを社会に出していきたいと考えるようになったんです。

しかし、全てを自分一人で行うにはスピードが遅い。そこで、優秀な仲間とサービス作りができる環境がないか探していると、グリーという会社でメディア企画ディレクターの募集があることを知りました。自分自身、経営者の方に囲まれた環境ではあったものの、自らが社長になることにこだわりは無かったので、環境の魅力に惹かれ、22歳にしてグリーへの転職を決めました。

実際に入社してからは、やったことのないことだらけでした。事業計画書の作成からネイティブアプリの企画立案・製作管理、開発会社との折衝など、新しい仕事の内容に圧倒される日々を過ごしました。

それでも、「ここで成果を出せば自信になるな」という感覚も強く、新しい環境で挑戦を続けていきました。手探りで進んでいたフリーランスの時期から一転、自分の可能性が一気に広がっていく手応えがありました。

人生が変わるような事業で、会社のブレークスルーに立ち会いたい


仕事に打ち込み、成果が認められて社内でも役職に着くようになると、段々と意思決定を迫られるシーンが増えていきました。そして、判断に迷って先輩に相談してみると、「やった方がいい」・「やめた方がいい」と両方の意見を貰うことに。

そんなことを繰り返していると、ふと、「やった方がいい」と言ってる人は皆どこか自信を持っており、社員番号が300番以内の方が多いことに気づいたんです。

そこで、会社自体がブレークスルーする段階に当事者で携わった人はきっと大きな経験を積むことが出来るのだろうと感じ、より小さな環境に身を置いてチャレンジをしたいという思いを持つようになりました。

また、グリーではゲームの制作に携わっており、たくさんのユーザーに利用していただき、面白いね、と言ってもらえる嬉しい機会もたくさんありました。

しかし、「人生が変わった」と言われることは無かったんです。

自分自身、グリーに入って新しい環境で機会を得て人生が変わった感覚があったからこそ、周りの人にも同じような機会を提供できるような事業に携わりたいと考えるようになったんですよね。

そんな背景から、アプリではなく事業、ゲームではなくライフイベントに携わりたいという思いを抱くようになっていきました。そして、2年弱働いた後、24歳にして、150人規模でこれから大きくなっていくフェーズの株式会社ビズリーチへの転職を決めたんです。

社員数は10分の1以下、会社の看板に依存しない新しい環境での挑戦がしたいという思いでの転職でした。

20代の社会人の可能性を広げるサービスを


ビズリーチに入社してからは、これまで経験したことの無かった新規開拓の営業に携わるようになりました。まだ知名度が無く、かつ無形商材ということもあり自らの力を試したいという思いにはぴったりの環境でしたね。入社翌月にはチームでトップの成績を残すことができ、新しい環境での仕事も刺激的なものでした。

そんな矢先、入社2ヶ月で新規事業部の企画ディレクターに誘っていただいたんです。ちょうど種をまいたばかりの、若手社会人向けの転職サービス事業に携わることになり、ゼロベースでライフイベントに関わる事業作りができるという、まさに願っても無い機会でした。

手がけることになったのは、「キャリアトレック」という20代社会人に向けた、性格診断等に基づくレコメンドを強みに、その人に合った会社を紹介するサービスでした。

年齢的にもまだ自分の方向性が明確でない人が多く、「知っている会社」から転職先を選んで応募することが多い現状がある中で、ユニークな企業はたくさんあるので、知らない企業も含めてより多くの選択肢を持ってもらうために、転職を決意する前から読み物として閲覧してもらえるようなサービスを目指すようになりました。

そうすることで、転職をもっと身近に感じてほしという気持ちがあるんです。自分自身、フリーランスからグリーに入って可能性が一気に広がったように、
それまで見ていなかった選択肢によって、人生が拓けるケースもあると思うんです。だからこそ、転職直前の駆け込みで情報に触れるのではなく、美容やグルメのように、日常的に見てもらい、出会いを見つけていくようなサービスにしていきたいですね。

直近では事業自体のプロデューサーという役職を任せていただき、私自身責任がより大きくなり、意思決定の回数もとにかく増えました。自分の判断一つで関係者の手が止まってしまったり、多くの人を巻き込む難しさを感じながらも、日々新しいことを学んでいます。

今後は、まずはこのキャリアトレックの事業をビズリーチの核に持っていき、それからは同じくライフイベントの領域で、経験を横展開し、複数の事業に携わっていきたいです。

元々、手の届かない人ばかりのコミュニティに入れてもらい、そこに追いつきたいという一心で仕事に打ち込んできました。そこで、次第に評価もしていただき、少しずつ自信を得ることもできました。これからも、この向上心を原動力として持ちつつ、より多くの人の人生の転機に携わっていきたいです。

2015.04.15

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