波乱万丈でいい、でも後悔はしたくなかった。アラサーの僕がタンザニアへと飛び立った訳。

タンザニアでティンガティンガという伝統的なアートを描いているUedaShogenさん。元々、大手化粧品会社に勤務していたUedaShogenさんがティンガティンガと出会い、一人異国の地に飛びたったそのわけとは?

UedaShogen

うえだ しょうげん|ティンガティンガアーティスト
タンザニアにて、ティンガティンガアーティストである現地の先生の家に住み込みでアートを学びながら、ティンガティンガを描き続けている。

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美術館よりも遊園地に行きたかった


僕は男3人兄弟の次男として、京都の市内から人里離れた田舎で、
高校を卒業するまで過ごしました。

母親が美術大学出身、父親は美術大学出身ではないものの、
教育大学を卒業して小学校の先生として働き、卒業式には自分のクラス生徒全員の似顔絵を描くなど、
両親ともに絵を描くことが好きでした。

そんな両親だったので、小学校の夏休みの宿題で出る自由工作では毎回絵を描くように言われ、
週末には毎週のように美術館に連れて行かれました。

最初はそんな両親の教育方針に対し何とも思っていませんでしたが、
僕にとって美術館に行くことだけは本当に苦痛だったんです。
遊び盛りの小学生なんですから、美術館よりも遊園地に行きたいと思っていました。

また、高校や大学進学の際には、両親から美術系の学校を勧められました。
実際に、兄はそんな両親の勧めに従って、美術大学に進学していました。

しかし、そんな兄の姿を見ていたからなのか、
僕は自分の意思ではなく親に勧められる学校になんて行きたくない反発心と、都会での生活への憧れから、
大学は田舎の実家から離れた京都市内にある大学に進学し、市内で一人暮らしを始めました。

自分にしかできない仕事なのか?


そうして美術とは全く無縁の大学生活を送り、大学3回生の時に就職活動を迎えました。

就職活動では個人的に華やかなイメージを持っていた美容やブライダル関係の業界を中心に選考を受け、
早く就職活動を終えたいという気持ちもあり、一番最初に内定を頂いたある大手化粧品会社の金沢支店で働き始め、
しばらくして名古屋に転勤しました。

その会社では、自分の会社の化粧品を扱っていただいているお店へのルート営業をしていました。
大手化粧品会社の商品ですから自信を持って営業をすることができていましたし、
仕事としてとても充実して楽しく働くことができていました。

ところが、働き始めて3年ほどたったころ「このままこの仕事を続けていていいのか。」と思い始めたんです。

というのは、営業はたとえ自分が体調不良で休んだとしても、
自分の代わりはいくらでもいる仕事だな、と感じたからなんです。
そうではなく、自分が必要とされ、自分にしかできない仕事に就きたいと思いました。

自分が人生の最期を迎え、死ぬ前に自分の人生を年表にしてみた時に、
色々波乱万丈なことがあったけれど、後悔もなく心から楽しかったと思える人生にしたいと思ったんですよね。
なのに、このままこの仕事を続けていても平凡過ぎる人生だなと思いました。

とはいいながらも、会社や仕事自体に不満がある訳ではなく、楽しく働けていた居心地の良さから、
すぐに何か新しいことを始めることはできませんでした。

30歳になる危機感と新たな挑戦


そんなことを考えていた頃、休日に京都の実家に帰った時にたまたま立ち寄った雑貨店で、
ティンガティンガというタンザニアの伝統的なアートを目にしました。

僕はそのアートを見た時、なぜかすごく心が穏やかになり、前向きな気持ちになったんです。

それまで、そのアートについては知らなかったのですが、
それ以来ネットで検索したりするようになり、ティンガティンガの魅力に取り込まれていき、
一度絵を購入しようかと思いました。

しかし、購入するより自分で描いてみたらいいんじゃないかと思ったんですよね。

というのも、何枚ものティンガティンガを見ていくうちに、
絵がパターン化されていて、似たような絵が多いような状況でした。
そこで、そんなある種パターン化されたティンガティンガを、自分の力で変えてみたいと思ったからなんです。

それに、タンザニアにあるティンガティンガ村の現地人から画法を学び、
模倣ではなく、正式に現地人から認められてティンガティンガアーティストとして活動している人がまだ存在していないことを知り、
現地人以外のティンガティンガアーティストとして正式に活動する一人目になりたいという気持ちもありました。

そこで、外国人初のティンガティンガアーティストになるためにも一刻も早く行動しようと思い始めました。
それに、今の仕事を続けていては平凡な人生になると思いながらも、
新しい行動に移せずに30歳に近づいている自分に対して焦りを感じていたんです。
30歳を超えてしまうと自分は挑戦する勇気がなくなるだろう危機感がありました。

そんな気持ちも後押しして、新卒からお世話になった化粧品会社を辞め、
ティンガティンガを学ぶため、28歳にして一人、聖地タンザニアへと飛び立ちました。

自分の作品で人を元気づけたい


現地では、17年以上ティンガティンガを描き続けている、
ある先生の家に住み込みでアートを学ばせていただいています。

最初は先生の模写をさせていただきながらアートを学んでいましたが、
3ヶ月後から先生に認められるようになり、オリジナルのティンガティンガを描かせていただけるようになりました。

ティンガティンガを描くときは風景などを模写するのではなく、完全に自分の中のイメージで描いています。
僕の場合は、背景を塗ると全体の絵をイメージできるので、背景から決めて描いていきます。

絵を描き始めてから8ヶ月経った今では、自分の作品を日本に送ったり、現地人や現地在住の日本の方に買っていただいたりしています。

初めて自分の作品を買っていただいた方は、現地在住の日本人の方で、色から描く内容まで細かい指定のあるオーダー制でした。

先方の指定に合わせたものを自分の中のイメージと重ね合わせて描き、
完成したものが先方の希望通りだとお褒めの言葉をいただいた時は本当に嬉しかったですし、
全てを捨ててティンガティンガの道を選んだ自分に強い自信を持つことができました。

今もティンガティンガアーティストとして様々なお仕事をいただいており、
今後もタンザニアからこのティンガティンガを発信していきたいと思っています。

僕はお金には興味がありませんが、ティンガティンガアーティストとして有名になりたいと思っており、
将来的には自分の作品が美術館に飾られるようになりたいですね。

そうして僕がティンガティンガアーティストとして有名になり、自分が描いたティンガティンガを発信していくことで、
多くの人にティンガティンガを見ていただき、僕が初めてティンガティンガを見たときに感じたあの感覚を実感してもらうことで、
心が穏やかになり、元気になれる人をもっと増やしていければと思っています。

2015.03.23

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