活版印刷の文化を、未来に残したい。webデザイナーがアナログに見い出した魅力。

昔ながらの印刷技術である「活版印刷」の普及活動を行う東條さん。アメリカ留学を経てwebデザイナーとして働いていた東條さんが活版印刷と出会い、その文化を未来に残したいと考えるようになるまでには、どのような背景があったのでしょうか?

東條メリー

とうじょう めりー|活版印刷普及のためのワークショップ運営
ディレクター・デザイナーとして働く傍ら、
活版印刷の全工程を体験できるワークショップ開催を行う、「活版工房」の運営に携わる。

活版工房
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活版工房twitter: @kappankoubou

通訳ではなく、グラフィックデザイナー


千葉県の木更津に生まれました。幼いころから絵を描くことやピアノを演奏することが好きで、学校で出されるポスター製作の宿題に嬉々として取り組むような子でしたね。

中学生になって授業で初めて英語に触れると、段々と英語に関心を持つようになっていきました。地元の高校に進学してからは、2年生になった夏休みに、1か月間カリフォルニアにホームステイを経験したのですが、その経験から益々英語が好きになり、将来は英語を使った仕事がしたいと思い、通訳になるという夢を抱くようになりました。

留学をしたいという気持ちが強くなっていったのですが、両親には「留学は日本で大学を卒業してからにしろ」と反対され、一度は留学を諦め、大学受験を考えましたが、押し問答の結果、最終的には、どんでん返しで親から留学を許可してもらい、アメリカ西海岸への留学を決めました。

実際にアメリカで生活を始めてからは、言語の壁はあったものの、新しいものに触れるという、嬉しさと楽しさでいっぱいでしたね。まずは1年程、現地の語学学校に通い、そこそこ英語で話せるようになりました。英語で多くの人とコミュニケーションがとれようになってからは、本当に楽しかったですね。

同時に、自分の中であることに気づきました。それは、私は世界中のたくさんの人と話せるということが楽しいのであって、通訳になりたいわけではないということでした。言うならば、ただのおしゃべり好きで、「あ、私のなりたい職業はこれじゃない」と感じたんです。


改めて自分は何がしたいのだろうと考えるようになり、幼いころからずっと好きだったことは何かと振り返ってみると、浮かんで来たのは絵を描くことでした。

そして、色々と職種を探してみると、グラフィックデザインという職業を見つけたんです。それからは、親にも言わずに専攻をグラフィックデザインに変えてしまい、最終的にはシリコンバレーにあるサンノゼ州立大学に通うようになりました。

日本でWebデザイナーとして働き始める


大学生活を経てもアメリカは自分の肌に馴染んでおり、卒業後もアメリカで働きたいな、と考えていました。しかし、専攻を変えたこともあり、卒業予定の時期がどんどん遅くなり、金銭面やビザの関係で日本に帰らなくてはならなくなったんです。

両親のお金で行かせてもらっていたこともあり、これ以上好き勝手にはできないという気持ちから、やむなく大学を中退し、日本に帰国することになりました。

帰国後は東京のグラフィックデザイン業界で働ければいいな、と考えていました。最初は紙媒体のデザインの仕事に携わりたいと考えたものの、業界に繋がりがあるわけでもなく、海外にいたため日本の業界事情もよくわからず、うまく働き口を探すことが出来ませんでした。

そこで、アメリカで日常的に接していたIT業界でデザインに関わることに方針を変えてみると、まだホームページを持っている企業が一部という時代ということもあり、一転して就職口の引く手は数多という状況。最終的には、大手広告代理店の制作会社に入社を決めました。

活版印刷との出会い


実際に就職してからは、アシスタントデザイナーとして働き始めました。元々広告に携わっていた方々2人を含めた3人の部署で、環境にも恵まれ、楽しく働くことができました。

すると、会社に入社して半年ほど経ったころ、先輩デザイナーの方から、「活版印刷の名刺を作りたい」という話があったんです。私はグラフィックデザインの勉強をしていたものの、「活版印刷」のことをほとんど知りませんでした。しかし、その名刺制作を私が担当することになり、先輩に指定され、東銀座にある活版印刷会社の中村活字さんへ行くことになったんです。

初めて目の当たりにした活版印刷は、私にとって衝撃的でした。それまではウェブ制作という職業柄、全てのデザインがパソコン上で完結していた私にとって、熟練した職人さんが活字と呼ばれる文字をひとつひとつ手で拾ってレイアウトに沿って組み上げるというアナログな作業と、綿密なコミュニケーションを要するというプロセスにとても魅力を感じたんです。

メールを一通送るだけで発注できたり、自分の家のプリンタでも印刷できたりする時代に、職人さんの技術とコミュニケーションを重ねて完成するという部分に強く惹かれたんですよね。そして実際に、そうやって作られた名刺が完成したときの達成感も愛着も、それまでとは全く違うものでした。

これをきっかけに、私は中村活字さんのところに頻繁に通うようになり、活版印刷の世界とその魅力にどんどんハマるようになっていったんです。

せめて、文化としては残したい


しかし、中村さんから色々なお話を聞いていくうちに、活版印刷に必要な機械や道具を作る業者がいなくなってしまったり、業界自体が高齢化してしまっていて、商業的に継続させていくのが難しい産業だという現実がわかってきました。また、中村さん自身、「活版印刷は俺の代で終わりだ」などと仰っていたんです。それでも、「せめて文化としては残していきたい」ということも併せてお話していました。

そんな話を聞いて、こんな素敵な印刷技術が無くなってしまうということに、どうにかしたいと思うとともに、ただ指をくわえて見ていることなんてできないと感じたんです。そもそも、活版印刷について全く知らなかった私がこれほど魅力を感じるのだから、私以外にも活版印刷を魅力的に感じる人はたくさんいるだろうと思ったんですよね。そこで、なんとか多くの人に活版印刷の魅力を伝えていきましょう、何かできることはないか考えましょうと、中村さんを説得し始めるようになりました。

そして3年程経ち、同じ想いを持つ方々と協力して、活版印刷の体験ワークショップを開催しようということになり、2006年に活版工房という任意団体を立ち上げました。

まずは名刺を作るワークショップから始めたのですが、最初はメンバーの誰もワークショップ開催の経験が無かったため、試行錯誤しながら手探りで始めていきました。そして体験の改良を重ね、様々なご縁もあり、お客さん・スタッフが徐々に増えていきました。

ライフワークとして未来につなげていく


現在ではワークショップも開始から8年が経ち、段々と若い方の間での認知度も上がっていき、やり続けて来たことは無駄じゃなかったなと感じています。

主に20代後半から40代の女性のご参加が多いのですが、年配の方で懐かしいと思ってご参加してくださる方や若いデザイナーの方などにも興味を持ってもらえて、とても嬉しく思っています。

活版工房での名刺制作は、活版印刷のほぼ全ての工程を参加者に体験していただくのですが、そのときには職人さんがほぼマンツーマンで教えてくれるんです。

それによって職人さんと会話し、自分の手で一から作る苦労と味わい、この素晴らしい技術を少しでも感じてもらえたらいいなと思っています。

この活動は、私にとって仕事とは別のライフワークのような存在です。今後も、新しいことを次々とやっていくというよりは今の活動を大事に続けていきたいですね。

「産業として盛り上げる」とは大きすぎて言えないのですが、少なくとも活版印刷に関わる方の仕事を将来に残していく力になりたいという気持ちがありますし、後継者が少ない業界ではありますが、言葉や映像などを残すことで、何か未来につながるんじゃないかとも思っています。

そうやって行動し続けることで、誰かに何かが起きたり、プラスの変化を起こしたりすることができるんじゃないかなと思いながら、これからも活版印刷に関わっていきたいです。

2015.03.19

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