保健室よりも、気軽に相談できる居場所を。悩みを抱える女の子を支える活動。

BONDプロジェクトにて、生きづらさを抱える10代、20代の女の子を支援する活動に従事する水野さん。保健室の先生からNPOと異色のキャリアをお持ちですが、「居場所を作りたい」と一貫した思いがありました。そんな水野さんにお話を伺いました。

水野 ちひろ

みずの ちひろ|10代20代の女の子に居場所をつくる活動
特定非営利活動法人BONDプロジェクトにて、10代20代の生きづらさを抱える女の子のための支援を行う。

保健室の独特の空間を良くしたい


私は愛知県名古屋市で生まれ育ちました。

幼い頃から自分で何かやりたいと思うと、すぐに飛び出してしまう性格でした。
両親は比較的厳しかったし、あまり話さない人だったので何を考えているのか分かりづらく、
なんとなく家に居づらさを感じて、よく友達と遊びに出かけていました。

中学、高校では部活でテニスを続けていき、高校2年生位になると進路を考えるようになると、
将来は学校の「保健室の先生」になりたいと思いました。
というのも、保健室という独特の空間をもっと良くしたいと思いを抱いていたんです。

中学校の保健室の先生は少し怖い人で、
体調が悪いと言って保健室に行くと「本当に?」と疑われたこともありました。
保健室って、怪我をした時や体調が悪い時に「ホッとする」特別な空間であるべきなのに、
そんなこと言われてしまったら緊張してしまうし、安心できないなと。

一方で高校の保健室の先生は綺麗で優しく憧れの対象だったし、そんな先生に自分もなれたらと思ったんです。
そこで、保健室の先生になるための教員免許が取れる、地元の大学に進学することにしました。

小学校の保健室の先生になる


高校は進学校だったこともあり、「勉強ができて当然」といった空気に違和感を感じていましたが、
大学では全くそんなことはなく、遊んでばかりの人もいて、色んな生き方があると視野が広がりました。

そして、大学生になっても保健室の先生になるという目標は変わらず、教員免許を取るための勉強を続けていきました。
ただ、周りの友達は企業に就職をする人が多かったので、就職活動をした時期もありました。
しかし、教育実習に行くと改めて保健室の先生の楽しさに気づき、やっぱり学校の先生一本に絞るようになったんです。

また、高校の保健室の先生になろうと思っていましたが、教育実習で小学校に行くと、
子どもたちは可愛いし、頑張っている姿を見るのも楽しくて、小学校で働きたいと思うようになりました。

ただ、保健室の先生は学校に一人なので、教員免許を持っていても、倍率が高くて学校で働けない人はたくさんいて、
私も、4年生の夏に受けた教員採用試験は不合格になってしまいました。
それでも、非常勤で働ける学校からオファーがあり、大学卒業後は念願だった小学校の保健室で働くことになりました。

お互いを褒め合う学校の空気に違和感


働き始めると、怪我をした子どもの手当をしたり、教室に行きづらさを感じてる子どもの話を聞いたりしていき、想像していたような仕事に満足していました。

ただ、学校の先生同士のコミュニティには、違和感を感じてしまいました。
お互いが「先生」と呼び合うと言った些細なことから、お互いを褒めた賛え合う空気だったり、
徐々に違和感は大きくなっていき、居心地の悪さを感じるようになっていったんです。
もちろん熱心な先生も多かったのですが、
「子どもにこういうことをしてうまくいった」という、褒めるための話しか出てこないことにも違和感がありました。

気がつけば、ずっとなりたかった保健室の先生になれたのに、思ったようにうまくできない自分に悩むようになっていましたね。
また、その悩みを友達に話すのは「悪いなぁ」と感じている自分もいて、はけ口を中々見つけられずにいたんです。

そこで、1年の契約が切れるタイミングで、更新の話も来なかったので学校を辞めることにして、
アルバイトで生計を立てるフリーター生活が始まりました。
その先のことに関しては、あまり考えていませんでしたが、アルバイト先の人たちと話すと悩みも少し和らいでいきました。

保健室よりも気軽に相談できるカフェ


そんな時、テレビで「BONDプロジェクト」というNPO活動を知りました。
10代、20代の女の子が、悩みを気軽に相談しに行けるカフェを作っている活動が紹介されていて、純粋にすごく面白そうだと感じたんです。

実際に、学校で働いたことで、子どもが悩みを相談するために「保健室」に行くのは少し気が重たいだろうなと感じていました。
また、私自身、学校で働きながら悩みを感じていた時、
気軽に相談しに行く場所があれば良かったのにと、強く感じていたこともありました。
だからこそ、カフェならお洒落だし、気軽に相談に行けるだろうと可能性を感じたんです。

そこで、とにかくBONDプロジェクトの人に会ってみたいと、東京に会いに行ってみることにしたんです。
すると、代表の人には会えなかったものの、そこで話を聞いたり、
私自身が思っていた「居場所を作りたい」という話をしていくうちに、「一緒にやらない?」と誘われたんです。

そう言ってもらえて嬉しかったのですが、それよりも驚きが大きかったですね。
まだ会ったばかりだし、そもそも私自身東京に出てこれるのか不安もありました。
しかし、一緒にやりたい気持ちは強く、それからも何回か東京に会いに行き、
少しずつ活動の手伝いをするようになりました。

そして24歳の時、半年ほど経ったタイミングで名古屋から東京に上京して、BONDプロジェクトで正式に働き始めました。
一時期、生活費を稼ぐための仕事が忙しくてBONDプロジェクトから遠ざかっていた時期もありましたが、
今は体制が整ってきたこともあり、この活動一本を仕事にしています。

10代20代の女の子にとっての居場所をつくる活動


BONDプロジェクトは、元々活動の元になった、10代、20代の女の子のありのままの声を届けるためのフリーペーパー『VOICES MAGAZINE』の発行など伝える活動や、
メールや電話相談、繁華街のパトロールなどで女の子の声を聴く活動、
さらに必要な子には弁護士と連携して必要な専門機関を繋げる活動を行っています。
また、帰る場所がない子のために、宿泊できる場所も提供しています。

家にも学校にも職場にも居場所を見つけられなくて悩んでいる人の話を聞いていくと、
同じように辛い気持ちになることもあるし、どうしていいか分からないこともあります。
相談している女の子が取り乱していることも多いのですが、
後で落ち着いてから「この場があって良かったよ」と言ってもらえるのは嬉しいですね。

この活動を始めて、社会には悩みは抱えているけど声をあげられない人がたくさんいることが分かってきました。
小さい頃から抱えている悩みを誰にも言えないでいると、
次第に「自分が悪い」と思うようになってしまい、ますます自分の居場所を感じづらくなってしまいます。

私たちはこれからも様々なプロジェクトを立ち上げていくとは思いますが、
「気軽に相談できる、居場所をつくる」と言う軸はぶらさずに活動を続けていきたいと思います。
そして、私たちが悩みを抱える子と向き合っていくだけでなく、
この問題を、みんなで考えていけるような社会にしていきたいです。

2015.03.11

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