心が震えるやりたいことを見つけて欲しい!アメフト選手が運営するキャリア支援サービス。

アメリカンフットボール選手でありながら、所属チームの広報担当としてメディアを運営し、さらに独自のキャリア支援サービスを運営する北村さん。名門野球部で4番バッターを務めた野球少年が魅せられてしまったアメリカンフットボールの情熱とは?北村さんの半生を伺いました。

北村 雅史

きたむら まさし|アメリカンフットボール選手・キャリア支援事業の運営
相模原ライズ・アスリート・クラブの副将・広報を務め、キャリア支援サービス「キャリアライブ」の代表を務める。

甲子園出場、プロ野球選手を目指す


私は神奈川県で生まれ、小学生の時に3つ上の兄の影響で野球を始めました。

とにかく負けず嫌いで、運動も勉強も一人黙々とやっていたので、4番でエース、勉強もクラスで一番、そして学級委員長も務め、絵に書いたような優等生でした。中学では名門クラブチームで野球を続け、全国大会にも出場し、高校は神奈川県の名門、桐蔭学園に野球推薦で進学しました。

学校は全寮制で、携帯は禁止。早朝からの練習、昼間は授業を受け、夕方から練習、夕食後もグランドが使える限り自主練習。ただ、スポーツクラスはなく、授業も毎日6時間目まである文武両道の学校でした。

野球部のメンバーは、意識高く、自分の成長、チームの日本一、とにかくストイックに生きている最高の仲間でした。朝5時に朝練にこっそり行くやつがいると、発見したやつが負けないよう朝練を始め、気づいたらみんな自主的に朝練してるみたいな。(笑)仲間でありながらライバルでもあるんです。とは言っても、メンバー同士で蹴落とすような空気は一切ありませんでした。

私はその環境で1年生の時から4番を打つようになり、周りからも期待され、3年の春の甲子園にも出場しました。ところが、期待される分、少し打てないだけで、周りからあれこれ言われるようになったんです。

元々、スポーツ選手にありがちな言われた事を忠実に行う「優等生イエスマン」だったので、監督に言われるがままフォームなどを次々と変えていき、時には右打ちだったのに左打ちをしたこともありました。ただ、自分のスタイルを確立できず、遂に最後の夏の大会前にレギュラーから外されてしまいました。

しかし、それがきっかけで新しい自分に出会えました。周囲に言われた事をやって結果が出ないなら、後悔無いよう「俺流」でやってみようと。

周りの言うことなんて聞かずに、とにかくフルスイング。すると、1軍と2軍の紅白戦で、1軍のエースから特大の場外ホームランを打つことができました。自分の考えが、確信に変わった瞬間でした。

心が震えるほどの情熱がある、アメリカンフットボール


すると、結果も出て心も晴れていき、最後の夏の大会ではレギュラーに戻り大活躍できました。そして、プロ野球選手を目指し、立教大学に進学しました。

ただ、入学前の3月から寮に入って練習したのですが、高校時代とのギャップを感じてしまいました。高校時代のように熱くなれなかったんです。

元々野球は兄の影響で始めて順調にそのレールの上を走ってきましたが、野球というスポーツ自体が特別に好きだったわけではありませんでした。プロを目指していたこともあって両親含め、周囲からも助言をもらいましたが、「ここでは自分の人生すべてをかけられない」と、自分を貫き、3月末に退部をしました。

ただ、スポーツは続けようと考えていたので、テレビの影響や先輩から話を聞いて興味を持っていた、アメリカンフットボール部に入ることにしました。

実際に始めてみると、未経験であったものの、ポテンシャルを評価してもらい、1年生の冬には19歳以下の日本代表になる事ができました。レベルの高い仲間とともに世界と戦い、本場アメリカとの試合で心が震える程の経験をし、さらにアメフトにのめり込んでいきました。

それからは一気に熱が入っていき、生活の中心はアメリカンフットボールになり、翌年には大学オールスターに選ばれ、個人としての実力をつけていきました。

個人のためか、組織のためか


しかし、大学のチームは強くなかったので、徐々にモチベーションが下がっていきました。そして、3年生の時には、部活を辞めて社会人チームに入ろうと考えていました。1部リーグへの残留も危うい戦績なのに必死になる雰囲気もなく、それが嫌だったんです。

ところが、ある日の練習でそのぬるい雰囲気に耐えられず、遂に怒りが爆発してしまったんです。もっと勝つために必死にやりたいと。そしてそれからはチームを変えようとしたんです。

しかし、リーグ戦では、結局2部リーグのチームとの入れ替え戦にぎりぎりで勝てる程度の実力でした。入れ替え戦の試合が終わった瞬間、私は泣き崩れました。端から見ると1部残留が決まった嬉し泣きのように見えたかもしれませんが、心の中では全く違うことを考えていました。

結局、このチームを変えることはできなかった。このチームでプレーするのはこの日が最後だろうと。

しかし、その後、「チームを強くするために、キャプテンをやってくれないか」と、同期のみんなに言われたんです。この時、それまでずっと個人主義で、自分の成長のことしか考えていなかったけど、果たして自分はチームのために本気になっていたのかと、問いが生まれました。

答えは否でした。

チームに対しての挑戦はまだまだやり残したことがあると。そこでチームの成長に挑戦するため、キャプテンとして大学最後のシーズンを戦い抜きました。

日本一を目指す熱い大人たち


それからはチームを強くするための挑戦をしていきました。しかし、選手としては、社会人チームと試合をした時に社会人との差を感じて、社会人でアメフトを続けることは、自分の進む道ではないと実感していました。

そこで、大学卒業後はビジネスの世界で挑戦しようと思い、キャプテンの経験から興味をもつようになっていた組織・採用コンサルティングを行う会社に入社しました。

仕事では新卒採用のコンサルティングに携わり、やりがいを感じていました。ただ、アメリカンフットボールをやっていた頃のような情熱と達成感は感じられず、1年目には、将来は独立して自分で何かやろうと考えるようになっていきました。

ところが社会人2年目になると、アメリカンフットボールの社会人チームに入らないかと誘ってもらったんです。そこは日本一にもなる程の強豪チームでしたが、スポンサー撤退により解散となり、それでも「もう一度3年で日本一になる」と掲げて再起したチームでした。

考えてみると、私自身、今まで野球でもアメリカンフットボールでも日本一にはなったことがなく、このチームで、大好きなアメリカンフットボールで日本一を目指したいと思ったんです。

母体が変わりチーム名が変わったこともあり、3部リーグからの再スタートでしたが、2年ほどの奮闘の末、ついに1部リーグに戻ることができました。初戦の試合前のロッカールームでは、選手たちは泣いていました。ようやくここまで戻ってきたと。

5000人の観客がいる東京ドームで強豪チームとの試合。そして試合前のロッカールーム。大の大人が周りを憚らずこうも涙を流すものなのかと、心が震えました。

そして、初年度は日本一には届きませんでしたがベスト4に入ることができました。

走ったから見えてきた大きな課題


一方、リーグ戦の大事な試合に集中するために、仕事は一旦辞めることにしました。自分で何かやろうとも考えていましたが、ITをもう少し勉強したいと考えていて、知り合いに誘われたIT系の会社で、ITを駆使した人材事業の立ち上げを行うことにしました。

そして、直接学生と向き合う中で、キャリアについての課題も見えてきました。採用する企業側は、学生に好印象を残すような情報ばかりを並べ、ITの発達により、その曖昧な情報が学生に流れる。社会人と接点が少なく、社会のリアルを知らない学生は、その情報のみで会社選択をしなくてはいけない。この情報の非対称性を何とかする必要があると。

また、アメリカンフットボールのチームはベスト4以降も日本一へ届かないシーズンが続いてました。そこで「日本一になるためには?」と考え抜いた結果、選手として関わるだけでなく、チームの運営に関わることに決めました。

チーム関係者はもちろん、ファンの皆さんにも今のチームを大好きになって欲しい。そして、日本一愛されているチームが、日本一の結果を出せると。それが自分の出した答えでした。

そして、これまでの人生で歩んできたように、再び自分の信じた道を後悔ないよう突き進むだけと、2014年に独立することにしました。

キャリアとスポーツチームの課題を解決する


キャリアに関しては、「キャリアライブ」というサービスを始めました。社会人のリアルな声を大学生に届けるイベントを開催しています。シンプルですけど、これが今世の中に足りてないと。

そして、多くの選択肢を知った上で、優秀な方はITなどの今後成長が見込まれる市場で挑戦してほしいと思っています。それが今後日本経済の発展、より良い世の中になると個人的には思っています。特に私みたいなスポーツをやっていた方は、先輩との繋がりだけでキャリア選択をする傾向がありますので、IT業界の可能生を知ってもらいたいと思います。

ただ、後悔ないように自分を信じて生きることの大切さは、自分の経験からも強く感じているので、大学生が視野を広げて、自分のやりたいことや、色々な選択肢を知るための情報を発信できればと思います。

また、アメリカンフットボールの方は、広報担当としてチームのメディアを運営し始め、チームの収益基盤を作ろうと考えています。プロスポーツチームは、スポンサーがいなければ成り立たないのが従来の慣習ですが、チームが独自に収益化することができれば、今までにない新しい社会人スポーツの形を作ることができます。そのため、メディアもチームの情報を一方的に発信するのではなく、読者に価値ある情報を出していければと思います。

選手としても、今年はアメリカンフットボールの世界選手権があるので日本代表入りを目指して挑戦しています。

これからも、後悔ないよう自分の可能性を信じ、自分の心の声のまま人生をまっとうしていきます。

2015.03.06

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