思いがそのまま伝わるように。滋賀を、写真を、次世代まで魅力的に。

滋賀の魅力が伝わるような写真を撮る「滋賀グラファー」として活動する山崎さん。何度も挫折しようとも、「写真で生きていきたい」と語る背景には、どのような思いがあるのでしょうか。お話を伺いました。

山崎 純敬

やまざき よしのり|フォトグラファー
滋賀県内を中心に活動するフォトグラファー。
また、滋賀ローカルラボのメンバーとして、活動されている。

HP
滋賀ローカルラボ
 

惹かれるものとの出会い


僕は滋賀で生まれ育ちました。小さい頃から、1人遊びが大好きで、ファミコンをしたり、絵を描いたりと、凝り始めたら止まらなくて、ゲームで高得点を出すために、何時間も夢中になってやっちゃうんですよね。ある意味、集中力がとても高い子供だったと思います。成長するにつれて、絵を描くことにどんどん夢中になり、美術系の大学へ行き、油絵を描きたいと思うようになりました。

高校2年生の秋ごろには、受験のためにデッサンを習いに行ったりしていたのですが、結局、大学受験に失敗してしまい、現役で芸術大学へは入れませんでした。しかし、絵を描いて生きていくと思っていた僕は、芸術大学を諦められず、1年間浪人することにしたんです。そんな時、滋賀県の美術館に、ニューヨークの作家でシンディ・シャーマンという写真家の展覧会が開催されることになり、受験勉強の息抜きのつもりで見に行ったんですよね。

すると、そこにある写真は、自分がこれまでに見てきた写真とは全く違っていたんです。それまで自分の中にある写真とは、スポーツや報道など事実を伝えるものでしかなく、そのようなものには何の魅力も感じていなかったんですが、展示の中には、コム・デ・ギャルソンのキャンペーンを撮影したシリーズなどがあり、そんな芸術やファッション性のある写真を見て、初めて「写真っていいなあ」と感じたんですよね。

このことがきっかけで、僕も写真を使って芸術表現をしたいと思い、絵ではなく、写真を勉強していくことにしました。

写真家ではなく、フォトグラファーに


絵を専攻するつもりだった大学も写真を専攻し、一生懸命頑張ろうと意気込んで入学したのですが、実際に大学へ通うようになると、友達と遊ぶことに夢中になってしまったんです。大学時代の同級生たちはみんな、僕のことを大学へ来て遊んでいる人として認識していたと思いますが、その通りで、大学へは行くものの、授業には出ずに、敷地内で友達と遊んでいてました。

そんな中でも、シンディ・シャーマンに憧れて、自分なりにかっこいい作品を作っていて、その頃、友達に誘われて活動していたバンドのジャケット写真を作りたいと思い、作品作りに励んでいました。気付くと、芸術作品として写真を撮るよりも、何かの目的のために写真を撮るという方向へ徐々にシフトしていましたね。

ところが、夢中になっていたバンド活動も、他のメンバーが就職活動などで忙しくなっていき自然と活動しなくなりました。

その後、4年生になって、周りは就職活動を始めていましたが、僕はあまり就職する気はありませんでした。しかし、付き合っていた彼女から、結婚を考えているのであれば就職をするように言われたので、スタジオにインターンや見学に行ったり、セミナーに参加してみたりと、自分なりに頑張ってみることにしました。しかし、遊びに熱中しすぎて働くために求められるスキルを身に付けられてなかったことや、就職氷河期ということもあり、どこにも就職することができなかったんです。

自分の人生に対して感じた危機感


結局、彼女には振られてしまい、僕はフリーターとして時給が良かったパチンコ屋で働き始め、その傍らでDJをしている友達の写真を撮ったりしていましたね。

しかし、1年間働いてみて、食べていくためだけに仕事をするなんて嫌だし、このままフリーターとして生計を立てていくと、自分の人生が崩壊してしまう気がしましたし、何より「やっぱり写真で生きていきたい」と感じたんです。

このような気持ちを抱くようになっていた頃、研究生という制度で、大学にいつでも戻ることできるということを知ったんですよね。そこで、今度こそは、必死で写真について学ぼうと思い、卒業して1年後に、研究生として再び大学へ通い始めました。

研修生は、大学の機関を利用して、自分が決めた研究テーマに沿って作品を作るのですが、僕の場合は音楽をやっている人を撮っていたんです。モデルとなるのは、大学時代の友達がやっているバンドで、彼らも精力的に活動していたので、九州やハワイなど、イベントがあるたびに同行し、ライブの風景やアーティスト写真を撮ったりして、真剣に活動していました。

しかし、2年経って、もう研究生としてはいられなくなってしまいました。それでも、大学に居れば、機材やスタジオも使えますし、何より自分の写真を社会に認めてもらいたいという思いが強く、大学の先生のアシスタントとして、働くことにしたんです。

やりたいことを、やる人生


アシスタントになって数年後、あるフォトグラファーの方が大阪の写真スタジオで一緒に働けるカメラマンを探していると、友人から連絡があったんです。自分が発展する上で、自分のしたいことを優先し、環境が整っている大学の中で働き続けることは、収入的に厳しいと感じていた時に、ちょうど結婚したいと思えるような人と出会っていたこともあってスタジオのお話しに縁を感じ、転職を決めました。写真スタジオで働けば写真を撮る量が増え、収入も大学時代のよりも安定して増えると見込んでいたので、結婚も決め式も挙げました。

スタジオでの仕事は、誘ってくださった尊敬出来るフォトグラファーの方と一緒でとても刺激的で楽しかったのですが、次第にスタジオのオーナーとその方との折り合いがつかなくなり、結婚してすぐなのに、何も考えず彼と一緒にスタジオを辞めることを決め、フリーランスで働くために営業に回りました。根拠のない自信で回った先からすぐに仕事がもらえるつもりでしたが、以前からの関わりも実力も実績もないカメラマンに仕事はありませんでした。収入がないので、結婚した際にあったお金も尽き始めて怖くなりました。このままでは子どもが出来るときには無職で食べさせていけず家族を路頭に迷わせてしまうと思い、この時初めてカメラマン以外の仕事も考え、真剣に就職活動をしましたね。

そして、収入がない日々が続いて時間も余裕もないカメラマンという職業を諦め、運送会社のトラックの運転手に内定が決まり、家族のために違う道をいくと覚悟を決めました。ところが、働き始めた初日に、以前に面接を受けていた地元滋賀県の地域の情報紙のカメラマンの仕事に採用の連絡があり、諦めていたカメラマンの道が開いたのです。すごく嬉しい報告だったのですが、自分のしたいことを優先してよく考えず直感で生きてきたことで、家族に大きな迷惑をかけてきた自分としては収入の多い運送会社を選ぶか、収入の少ないカメラマンの仕事を選ぶか、相談して決めることにしました。

しかし、現実的に考えて収入の多い運送会社を押していた奥さんも、僕が本当にしたい仕事が何か分かってくれていたので、彼女に感謝をしつつ、写真を仕事にすることに決めました。

こうして働きだして、毎月滋賀の情報を仕事として扱っているうちに、自分の住んでいる街の外にばかり目を向け、地元にいながらも全く滋賀のことを知らない自分に気付きました。

そんな時に、取材先で「いつも見てるよ」「楽しみにしてるよ」「あの企画が面白かった」など、読者として見てくださっている取材対象の方からの感想があり、自分の仕事の励みとなりました。そして、素敵な滋賀の人や風土とお店などに出会う度に滋賀が好きになり、何も無いと思っていた地元がものすごく輝いて見えるようになりました。

次第に、自分の体験や経験と同じように、体験して感じてもらえる機会を作ろうと、情報誌を越えて自らの写真や活動を通して伝えていきたいと思い、独立考えるようになりました。

そして独立するのを機に、大好きになった滋賀を写真を通して彩っていけるような気持ちを込めて、“SHIGAgrapher”として活動することに決めました。

こうして独立を果たしてから1年後、大学時代の先輩の突然の死により生きることへの意識の転機が訪れました。

彼は僕にとって尊敬する先輩であり、大切な友人でした。たくさんの友人がいて、趣味で空手やサーフィンやスノーボードなどをして、とても活発で健康的に見えていました。ところが、身体の調子が悪いからと看てもらった医者から癌の宣告を受け、それからたった半年で亡くなってしまったのです。

彼の死の数時間前まで一緒にいたのに、どう彼に声をかけていいかも分からず、何も出来なかったので、とても落ち込みました。先輩の死を受け入れることは今も出来ていませんが、それ以後自分の中に死への意識が芽生えました。

自分の人生は紆余曲折がありながらも、大好きな写真の仕事を独立してまでできていますが、本当に死ぬ直前まで後悔しないくらい人生を充実できているのかを問いかけるようになり、やりたいことや実現したいことは何なのかを深く考えるようになりました。そしてこの出来事がきっかけで、自分のやりたいことをやらない人生なんてもったいないし、自分にしかできない事がきっとあるはずで、それに対して最大限にトライしていかなくては、 亡くなった先輩に失礼だと思うようになりました。そして今まで世間からの目を気にして、変にカッコつけてきたプライドも無くなり、 シンプルに考え行動できるようになっていったんですよね。

滋賀と写真のために自分が出来ること


現在も、情報誌や雑誌に掲載するために滋賀県内を撮影して回っていたり、百貨店などの料理や商品の撮影をしていて、写真に携わりながら生きていけることを、とても幸せに感じています。

その中でも、特に「食」に重点を置いていて、今後は日本の食文化を海外へ広めようとしている人とお仕事をしていきたいと思っています。仕事の中で大切にしていることは、いろんな角度からキレイに見える写真を撮ることで、写真を撮る対象者の考え方や言葉を聞き、自分の解釈を通して表現することです。

また、情報誌や雑誌を作っていく中で、滋賀らしい場所の美しさや素晴らしさに気づくようになり、いつしか生まれ育った土地に恩返ししたいと考えるようになり、今は、滋賀で活動している仲間達と一緒に、滋賀の魅力について発信して、地元である滋賀の活性化を図ろうとしています。

そして写真を撮る楽しさや魅力を、誰でも簡単に味わえるよう体験してもらいたいと思い、現在は写真のワークショップを行ったりしています。

今の社会では、電子端末の発達で、携帯やカメラでも様々な加工ができるようになっていて、これから先、誰でも簡単に写真を撮れる時代になっていくのは間違いないです。だからこそ、これからのフォトグラファーの役割は、写真を、結果としての技術で売っていくのではなく、撮ることの楽しさや、伝えることの楽しさや難しさを伝えて、写真に多く触れてもらって、見るときの視点を変えてもらう機会を自ら設けていくことだと思うんです。

僕は、ワークショップの中で伝えていることは、本当に好きな物や大切な物を理解して写真を撮ることで、オリジナリティが出るということです。

それは依頼されて撮る仕事も同じです。職人としての技術の高さはすでに当たり前で、依頼者の思いに共感し表現することが大事なのです。依頼者になり得る人は、大切な商品や作品、出来事を真に理解し写真で表現しようとしてくれる人に出会いたがっているなと、これまでの経験から思うようになりました。撮る対象物がないと成立しないフォトグラファーの世界では、対象となる被写体に共感し理解しないと成立しなくなるんですよね。

また、わたしの感覚のなかで良い時代のコマーシャルの役割が終わろうとしていると仮定すると、まだ存在しない物を作る商業写真以外での写真の役割もすごく重要になっていくと思うんですよね。そして、ずっと存在していたのに見向きもされなかった地域性だったり、その場所に行かないと出会えないものをアピールするために、地方にいるフォトグラファーがその地域を活かしきることが、非常に大切だと感じているんです。だから僕は、地方を拠点でやることに意味があると思うんです。

2015.03.04

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