営業、ディレクターを経てパフォーマーへ。様々な肩書きを通じて見い出したデザインとは?
クリエイティブ業務全般を幅広く担当するディレクター集団SCHEMA,Inc.にて、“PERFORMER” として活躍されている橋本さん。WEBデザイナーを志すも新卒入社した会社では営業職で採用され、頭角を現していた入社1年目に会社が買収されるという体験もした橋本さんが、独立して起業するまでには一体どのようなストーリーがあったのでしょうか?
橋本 健太郎
はしもと けんたろう|デザインを軸としたクリエイティブ制作
WEB制作・スマートフォンアプリのUI/UXデザイン等を中心に、
クリエイティブ業務全般を幅広く担当する制作ディレクター集団、
株式会社スキーマにてPERFORMERを務める。
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「絵」「音楽」そして「インターネット」という衝撃
埼玉県の秩父に生まれ、小さい頃から絵を描くことが好きでした。
父親がレストランの経営者ということもあり、いつも周りには誰かがいる環境で育ちました。
人なつっこい性格で、家の前で休憩するおばあちゃんや目の前を歩いている人など、
誰彼構わず声をかけて話をしていました。
その後、開放的で積極的な性格は学生時代になっても変わらず、
小中高とクラスでは行事のまとめ役や盛り上げ役的なポジションにいました。
もう一つ変わらなかったのは、「絵」を描くことが好きなところ。
暗記系の勉強が苦手だった反面、ルールが分かれば解ける数学や物理は好きだったこともあり、
大学ではそれら2つを活かせる分野を学びたいと思い工業デザインを専攻しました。
ただ、入学してからは「音楽」漬けの日々を送りましたね(笑)。
叔父が演歌歌手だったので幼少期から「音楽」には興味があったのですが、
気づいたらパンクの特定のジャンルにのめり込むようになっていました。
一方で、授業で習った Photoshop というソフトを通じてインターネットという衝撃に出会いました。
初めて触れた瞬間、ボタン一つで今まで憧れていた絵を描くことができ、感激したんです。
それ以来、パンクバンドのCDジャケットを自ら再現してみたり、WEBサイトの制作にも挑戦してみたり、
デジタル表現の世界にどっぷり浸かっていきました。
知らないバンドの方から「レビュー書いてください」とか「いつも読んでます」等の連絡をもらうくらい反響が大きく、
自分が全然知らないところで僕のサイトが紹介されているのには、とても興奮しました。
インターネットの影響力を肌で感じた瞬間でした。
絵を描くことが好き、音楽での表現活動が好き、インターネットの可能性が好き。
そんな背景から、自然と「WEBデザイナーになりたい」と考えるようになっていました。
デザイナーを志すも、まさかの営業採用!?
WEBデザイナーになることを心に決めて挑んだ就職活動で、
第1志望だった大手WEB制作会社の最終面接で落ちてしまったんです。
WEBデザイナーになることしか頭になかった上に、
最終選考の3名のうち採用されたのは僕以外の美大出身者たちだったため、
強い敗北感を感じました。
結局、第2志望だった情報誌を扱う出版社にデザイナーとしての入社が決まっていたんですが、
入社日直前に、上司から「橋本みたいなタイプは、一度営業を経験した方がいいよ」と提案されてしまったのです。
僕は憧れのデザイナーになれるものだとばかり思っていたので正直戸惑いましたが、
もともと人とコミュニケーションをとるのは好きだったし、内定取り消しだけは避けたかったので、
すんなり営業配属を受け入れ働き始めました。
実際に営業として仕事に就いてみると、思いのほか成績が良く(笑)、
あの手この手を使って頭を働かせながら案件を獲得する営業という仕事に興味が沸いたんですね。
いわゆる営業会社だったので、諸先輩方も数字達成に必死で、
締切間際追い込み時の営業力は目を見張るものがありました。
また、下っ端の僕が数字を上げると、先輩達は必ず僕以上の数字を獲ってくるんですよ。
彼らの気概や熱っぽいところにも感銘を受けて、営業の楽しさと大変さ、
そして奥深さにどんどんハマっていきました。
そんな感じで営業色に染まっていく傍ら、
大学時代の友人たちがどんどんデザイナーとして成果を出しているのに焦りは感じていました。
自分は同じフィールドに立てるのだろうか?と、漠然と考えていました。
営業の先に見つけた「ディレクション」
営業として働きつつ1年が経ったタイミングで、青天の霹靂とも言える事件が起こりました。
会社が、ライバル企業であったリクルートグループの傘下になるというのです。
これにはさすがに驚きました。(笑)
それでも、持ち前のポジティブさで、新卒入社1年目で会社が買収される経験もなかなかできないだろうし、
「営業」という仕事の醍醐味を覚えたてだった僕は、
天下のリクルートの「営業スタイル」をこの目で見てみたいという願望に駆られ、
リクルートに出向することになったんです。
出向していた期間は、毎日が感動の嵐でした。
社名が通じたり、営業だけすればよかったり、実際に売った媒体に反響があったり、
営業の面白味も前職とはまた違った点で感じられ、社員のモチベーションをどう高く保つかに長けた組織だったので、
いつもやる気がみなぎっている状態を維持できていました。
また、この頃から仕事同様にプライベートも全力で遊ぶようにもなりました。
仕事終わりに海まで遊びに行き、アイスを食べるためだけに六本木に戻り、
そのままクラブで踊り明かした後に30分だけ寝て出社、みたいなことを繰り返していました。
ホント楽しかったです(笑)。
特に強烈だったのは、1年間ひたすら仲間の誕生日パーティを盛大にやっていた時期ですね。
1人にサプライズをすると、次の人にはさらに凄いサプライズを仕掛けるという…
全員のアイデアをマッシュアップさせて、思いつく限りのネタもの企画をやってました。
例えば、深夜0時ちょうどに、
誕生日を迎える仲間のmixiでつながってる友達全員のプロフィール画像をサプライズ画像に変えるなんていう、
ちょっとしたソーシャルキャンペーンになりそうなアイデアをやってました。
自分でクラブイベントをプロデュースし始めるようにもなり、出会いが出会いを呼び、
よく聞くような話ですが(笑)、人と人とをつなげるような仕事をもっとしていきたいな、
と本気で思い始めました。
その後、営業職にも慣れ公私ともに充実しているタイミングで、出向期間の2年が終わりを迎えることもあり、
転職を考えるようになりました。
そこで、どんな職種がいいかとリサーチするうちに、図らずも経験した営業というスキルを活かしつつ、
デザインやWEBに携わることができる「ディレクション」という領域が存在することを知ったのです。
デザインの分野ではすでに周りに遅れをとっている気もして、
デザイナーではなく「ディレクター」という立場でなら自分の経験を十分に活かせるのでは、
という考えを抱き始めていました。
そんな折、リクルート時代の上司がとあるディレクター集団の会社の役員に就く話を伺い、
株式会社ロフトワークというプロジェクトマネジメントを得意とする会社に転職することになりました。
ここなら今まで自分が歩んできた道を全て肯定することができるし、
たまたま配属された営業時代から自分が積み重ねてきた出会いや経験が、
無駄にならないイメージが持てたんです。
不意に出てきた「起業」というキャリア選択
転職した先では「クリエイティブディレクター」という肩書きでキャリアがスタートしました。
すべてが新鮮で、1日があっという間に過ぎていき「これがやりたかったんだ」と心から思えました。
ディレクターという仕事は、コミュニケーションスキルが必要不可欠で、
新卒時に経験した営業スキルは非常に役に立ちました。
どのように伝えれば、気持ちよくクリエイティブ力を発揮できる場づくりができるか、イメージした世界をどう表現するかなど、
悩み抜きながらも充実した時間を過ごしました。
特に、新人の時から自分の裁量に任せてもらえる部分が多く、
業界でも有名な方々と一緒に働く機会にも恵まれたんです。
そんな風に仕事は非常に充実していたため、会社が大好きで、
「いかにこの組織を盛り上げるか」について常に考えるようにもなりました。
同期だった2人と下北沢で開催する「下北会」という定例会を週2で行い、
最終的にはトップの方を下北沢に呼び出して「会社をどうしたいか」について熱く語ったりもしました。
そんなある日、某インベーダーゲームの30周年記念サイトのコンペ依頼が舞い込んできて、
社内の誰もが受注は無理だと諦めていたところ、
志連という、同期の1人と勝手にプレゼン資料を作り提案したら、見事に受注したのです。
実績として雑誌にも取り上げられ、この提案を志連と2人でやり切ったという成功体験は、
自分の中でも大きなインパクトとなりました。
その後も「会社をもっと良くするにはどうしたらいいか」そんなことばかり下北でくっちゃべっていた時、
同僚から思ってもなかった言葉を言われたのです。
「自分たちで会社をつくったら?」
正直、それまで起業なんて1ミリも考えたことはなかったし、
この会社と心中するんじゃないかってくらいに思っていたので、
起業という言葉はすごく新鮮な響きでした。
そして、その言葉を聞いて以降、自分たちで新たな世界を作りたいという想いがムクムクと沸き上がり、
ついには新しい手段として起業を本気で考えて、動き出すことにしました。
そして、3年ほど同社で働いたタイミングで、同期と一緒に自分たちが目指す新しい世界を実現するべく、
同期の志連と共に、「株式会社 スキーマ」という会社を創業したんです。
28歳のことでした。
「コミュニケーション × クリエイティブ」を知る
独立する際には、面白そうなクリエイターさんリストを作り、
その方々にお声がけして取材やイベントを主催するようになりました。
恐れ多くも、その中には某AR界の偉大な三兄弟や、面白法人のアイデア王、元祖ダダ漏れの女帝と、
素晴らしい方々と交流がありました。
そして、正真正銘の天才たちとふれあう中で感じたのは、同じ土俵では勝てないなということでした。
すんなり負けを認めるくらい彼らは天才でしたから(笑)。
話している内容も全然わからなくて、自分は表現者という領域ではなく、
別軸のポジションをとる必要があると痛感しましたね。
そして、僕がそれまで築き上げてきた経験から、それはきっと、世の中に面白いことを広げる立ち位置 、
つまり「プロデューサー」がゴールなのだと気づいたのです。
また独立をすると当然のごとく、新しい仕事を獲得しながら目の前の仕事に対応しなければいけません。
ある程度覚悟はしていましたが、これが想像以上に負担でした。
うまく回らず、何度も挫折感を味わいました。
それでも、それまで大切にしてきた「とにかくたくさんの人と会うこと」を心がけて行動し続けていたら、
徐々に何をすべきかが見えていったんです。
コミュニケーションはすべての物事を凌駕するし、
クリエイティブは、時にそのコミュニケーションをも凌駕する可能性を秘めていることも実感しました。
特に、クリエイティブだけは創業以来こだわってきましたし、
圧倒的なクリエイティブがあれば、コミュニケーションがうまくいかない時も、
それを補って余りある力を発揮するんだという場面にも何度も立ち会いました。
一緒に起業した志連のもつクリエイティビティがあってこその経験だと感謝しています。
また、逆にコミュニケーションがクリエイティブを超えることもあり、
クリエイティブとコミュニケーションの深い関係性に完全にのめり込みました(笑)。
クリエイティブとコミュニケーションの力があれば、
どんな人の懐にも入り込んでいけるんだという自信もつきました。
その後、全国各地の案件が増え東京以外の拠点探しのため、
ノープランで大阪に3ヶ月滞在することになりました。
東京の仕事は他のメンバーに任せてとにかく人に会い、会話をし続けたんです。
1日に8件アポを入れたり、週末にお花見PARTYを5件はしごしたり、かなりアクティブに活動しまくりました。
初めて会った人に「次いつ飲み会ありますか? ご一緒していいですか?」と、
知らない人の輪にも果敢に割って入っていくといった感じです。
そんな風に、人に会いまくっているうちに大阪の同業の中で「どこにでも現れる変な奴」と一部で噂になり、
気づけば今度は僕が人と人をつなげる役割に回っていました。
関西で出会った方々にはたくさんの素敵な人を紹介していただき、
結果としてたくさんお仕事をいただくまでになりました。
逆に、大阪に行くことで東京の仕事が増えたりもしました。
大阪巡業は、僕の本質にも触れられた経験で、
人とのコミュニケーションがいかに重要かということにも改めて気づかせてくれた宝物のような期間でした。
その期間を通じて、本質を探りあてると同時に揺るぎない自信も得られました。
未知の挑戦を海外で
現在は、スマホアプリやWEBサイトのデザインなどをはじめ、
最新デバイスのUI/UXのお仕事を多くさせていただいています。
「僕らでいいのかな?」と思わず疑いたくなるような大規模なお仕事もご相談いただくようになり、
努力を続けてきてよかったと心底感じています。
会社にはとても魅力的なメンバーが集まり、もちろん大変なこともありますが、
日々ドラマチックな時間を過ごしています。
たくさんの出会いと経験を得た今、コミュニケーションをとること自体がデザインだと認識していて、
良いクリエイティブを生み出すには、いかに良質なコミュニケーションが取れるかで決まると思っています。
相手への気配りなどもデザインの範疇であり、クリエイティブで解決できると思うのです。
デザイン表現そのものがコミュニケーションであり、コミュニケーションを省略できるクリエイティブでもあり、
逆にコミュニケーションと組み合わせることで、さらに高いレベルに昇華させられるものであると思うのです。
これからは、より勝負を仕掛けたいと考えていて海外展開も積極的に進めていく予定です。
まずは、デザインという領域からアジアへの展開に挑戦したいです。
2020年には複数の海外拠点を設けるイメージをもって取り組んでいます。
海外は言語という大きな壁がありますが、コミュニケーション × クリエイティブの発想があれば、
新たなモノを生むことができると信じています。
それに、せっかく生まれてきたんだから、海外に飛び込まなきゃもったいないですよね。(笑)
時代の動きにあわせたクリエイティブを追求するために、
未知のチャレンジも続けていきたいです。
メンバー全員が自分の可能性を信じて突っ走れる組織にしていきたいです。
これからも多くの方々とコミュニケーションをとって、
また新たな自分を見つけていきたいと思っています。
2015.03.03