私はペルーの首都リマで生まれました。父親はペルー人家系、母親は日本からの移民の家系で、ハーフだけど家族に日本語を話せる人はいませんでした。小学校2年生の時、父が日本で仕事を探すと決め、両親と兄と私の家族4人で千葉県に移り住むことになりました。日本に行くと聞いた時は不安などはなく、むしろ楽しみでしたね。

とは言え、最初は日本語が全く分からず、かなり苦労しました。たまたま隣の席に座った女の子が親切で、家族ぐるみで日本に慣れるように色々教えてくれたので、かなり助かりました。海外から来たので、周囲の友達にはちょっかいを出されることはありましたが、日本の子どもたちは、ペルーの子どもと比べて幼いと思っていたので、「子どものすること」と感じて、特に気にはなりませんでした。

日本に来て1年半ほどすると、学校の先生に「最近よく喋るようになったね」と言われました。気づけば日本語もだいぶ話せるようになっていたんです。

中学では柔道部に所属しました。最初はサッカー部に入ろうと考えていましたが、1歳上の兄に「サッカー部は全員坊主」という話を聞き、それは嫌だと思い、兄が所属していた柔道部に入ることにしたんです。

そして、親戚に機械に詳しい人がいて、何でも知っているその姿に憧れ、将来は電気・機械関係の仕事に就きたいと、工業高校に進学することにしました。